『そげいぶって知ってますか?』そ☆げ☆ぶ
かの洞仙修行リクド・ナフテスが562頃より始めた沿刮修行の一環で、
リクド・ナコトが754年頃編み出した禁術中の禁術であり、最悪の死芸の
ひとつである。かのやり口はこうである廃れかけた漁村で、急に手を叩き
ながら弟子たちが「誰が一番沖合まで出て早いか、競争をしよう」と出て
金銭を入れるざるを掲げながら賭け競泳のようなものに身を投じていた。
波間で急速に身を奮わせ沖合の離れ小岩にまで誰が一番早くに辿り着くか
過酷な競争。だが、勝って金を受け取れるものは誰も居らず、時には
死者も出るような過酷な争い合いの末に何も得られなかったという……。
何故、誰も彼もがこうやって打ち負かされ、自分を、自信と自身を破壊
されながら、それでも何故かみな健やかに負けを認め受け入れ去って
いくのだという。自らの至らなさを反省したように振る舞いながら……。
その事実はこうだったという。競争に出ると、決まって誰かが小舟を
出して離れ小岩にすぐさま至るという。そしてこういうのだ、誰が舟を
出してはいけないといった?しょせん人ひとりの小さな身の上じゃ文明
文化の利器、人の知恵には敵うはずもないのだ。そういって笑い飛ばされ
己が小ささを知った彼らは怒りを示しきれず腑に落ちて帰って行くしか
なくなったというのだ。しかしそこはまぁ、それとしてそこはそこ。
小舟を出し皆を出し抜くのが毎回毎回お説教を据えつつ掛け金の集金を
している師範そのものではないか、色々あって、762年頃から糾弾が
始まり漁村の隅に追いやられていって、774年くらいには打ち壊しに。
しかし、彼は彼で哀れをかけられたという。つまり、役所に届けも許可も
得て許諾された上で、そのような形で儒教的アトラクションパーク遠泳を
やって集客集金していたのだから、今更客が、友が死んだとかそんな事を
言われ糾弾されても……、こっちだって妻も娘も居るんだ、生きるために
頑張ってるんだ、仕方ないだろうと。結局焼き討ちにあったものの、同情
を得て打ち滅ぼしに合わせた方の弟子のひとりも滅ぼしにあった。782年。
しかし、その弟子は弟子で何らかの問題があり、件の師範の一人娘と関係
を持っていたとも言われている。
俺自身がインデックスの塊だった……、
記憶の底から禁書目録(リアル古書)が!!?そ☆げ☆ぶ!
最近はこのような古書を熟読した事のある
ユの国豪皇世代が増えているのだという……。