Victo-Epeso’s diary

THE 科学究極 個人徹萼 [CherinosBorges Tell‘A‘Bout] 右上Profileより特記事項アリ〼

SegmentArk (『AnswerBreed;Criminal』改題作)

;.セグメントアーク
   第一部 シェイプシフトの海

      

   白熱光
      
 太平洋を辿る海路の上、豪華客船が優雅に風をそよいでいる。
  真新しい船体に太陽の光が反射して、純白のドレスを着た花嫁のような輝きを呈している。
  何処までも青い海の上で……

  乗客達は思い思いに船旅を楽しんでいた。
  ある者は備え付けの屋外プールでスイミングを嗜み、ある者は甲板の手すりに背を持たれ掛けさせたまま潮風に吹かれ、泡の含まれたドリンクをグラス片手でくるくる回していた。ある者は子供を連れて遅めの船内ランチを楽しんでいた。
  
 浮世から離れた楽しげな景色に影を落とし始めたものは、ほんの小さな歪だった。
  
ーーなんだろう、あれは。
  
  プールサイドで、一人の乗客が東の空を見てぼんやりとしている。
  それに気づいた仲間が何事かと追従して眺めると、異変はすぐに表面化していった。歪はやがて空を揺さぶる波に変わり、雲が消える。空が球体状にしぼんで、立体感を失くす。 大気中に生じた何か大きな生き物の卵が、孵化しようとしているようだーー球体は暗く染まってから、やがて弾けて、内部から膨大なエネルギーを放出し、それは巨大な光の双翼を中空に描いた。

  膨大な光と熱が渦巻いている。その焼け付くような熱気と異様さは、遠く離れた客船の乗客達にも伝わってきた。

 船を預かる船長は、この世の終わりを見たかのような、しか目面をした。
  しかし、その光景を眺める眼は、どこか懐かしいものを眺める眼のようでもあった。 
  船長は退役した軍人で、元空軍のパイロットを努めていた時期もあった。
  その時の記憶が、薄らぼんやりと蘇ってきて過ったのかもしれない。あれは、核物質が使われたのではないかと言われた戦場を横切る任務だった。新人だった頃の彼にとって、特攻同然のような命令を下された時のことだ……
  極限の精神状態で必死で総蛇管を握っていた彼は、軽い臨死体験のような幻視体験を発症していた。軽いパニック障害のような状態だと診断されたのだったか。
  その時確かに、朦朧とする意識の中、いずれ来たるであろうこの時を、見たような気がした。彼は最初からすべてを知っていた気がした。
  
  その日、南米大陸の1/5が消失する大災厄があった。膨大な光と熱を撒き散らし、後には深い水たまりとかしたクレーターだけが残った。
  全世界が直ちに原因の究明に乗り出したが、詳しいことは一切判明しなかった。
  噂では新種の水爆実験が失敗して、このような大惨事を起こしたという説も唱えられたが、それにしては汚染物質が少なすぎる。人類未曾有の事態にも関わらず、何故このような事が起きたのか、説明できる人間は居なかった。
  
  あれから数ヶ月が経って、あの時の客船の船長は今でも思う。
  南米大陸を飲み込んだ光の鳥。ないしは、あれは天使だったのかもしれない。あれは何処に飛び去っただろう。いつかまた降臨し、人類を焼き尽くすために再臨するつもりだろうか。正体の見えない不安が付き纏う。
  いずれにせよ、人類は何か天の禁忌に触れるようなことをしたに違いない……彼は無神論者だったが、理由もなくそう確信していた。その禁忌というのがが何なのか、彼にはついぞ理解らなかったのだが。

 

 

 

 

 


   あの日……
  
  身体が震えている。
  今にも崩れそうな四肢を立たせて、息を激しく吸い込み、吐き出し、掠れる視界を何度もこすり直して意識を覚醒させる。
  この先に一歩。たったそれだけを、踏み出さなくちゃいけないはずの足が、その一歩をなかなか踏み出せずにいる。
  
  だけど、行かなくちゃ……。
  そして、伝えなくちゃ。
  
  誰に?誰かに。ちっぽけな背丈をした何の力もない少年、彼がこれからやろうとしている事で、何かを感じ取ってくれる誰かのために。
  
  そうでなければ、この大きな広い宇宙は、大変な秘密を人々から隠したままになってしまう。
  そんな事は許されない。彼は決意を新たに、その閉鎖されていたビルの屋上から、まるで自殺志願者のようフェンスを乗り越えた。
  小高いビルの屋上の縁から覗く世界。眼下には街を行く無数の群衆が見える。どこにでも在る、どこまでもありふれた世界の風景。 この先に……今までと違う世界を開くことが、彼には必要だった。
  そして彼は、無造作に四肢を放り投げ、空中に一歩を踏み出した。
  
  あの日……。
  もしもあの日、彼が勇気ある一歩を踏み出さなかったら。
  もしもあの日、彼が、彼女が、その場に居なかったなら。
  もしもあの日、何かが少しでも欠けていたのなら。
  運命は大きく変わったかもしれないのに……!
  
  彼は、小奇麗に身なりを整え、メガネを掛けた背の低い少年。
  ひ弱そうな四肢が、空中に身体を投げたまま静止している。
  
  その異様な光景に、眼下を行く方向者たちの中から、声を荒げて、その存在を指摘する者たちが現れ始める。
  一見目立たない存在だったその少年が、今日この場、この街角で、誰にも彼にも注目を帯びる存在になっている。
  ぽかんと口を上げたまま、上空の彼を仰ぎ眺めている仕事帰りの会社員。
  グループで騒がしくしながら、携帯カメラで彼の姿を撮影する女子高生たち。
  ナンマンダブ、ナンマンダブと念仏のようを唱え始めた、杖をつく老婆。
  
  彼の試みは成功した。実験というよりは、とんでもない大博打だったのだが……。
  彼は、荒れた呼吸を整えて、宙に浮かんだまま、大きく息を吸い込み叫んだ。
「みなさん、これを見てください!重大なことです!」

 そして、凛々しく、雄々しく、少しだけ震える声で言った。
「見ての通り……この世の物理法則が、ゆがみ始めているみたいです」
 彼の人生はそこで最高潮《クライマックス》を迎え、やがて急降下を見せることになる。

 

 

 

   非科学の息子
      
 朝霧夕一《あさぎりゆういち》は、ただの小学5年生だ。
  
  彼は、今しがたまで見てきたものを信じられずに居た。
  彼は帰宅して、二階にある自分の部屋で休んでいる。頭の中で整理すべき事が多すぎた、大きすぎた。そういう事だったのだろう。
 
  夕一は、空を飛ぶ少年を街で見た。
 彼は言っていた。「この世の物理法則が、ゆがみ始めているみたいです……」確かに彼は、そう言っていた。
  自分より五、六歳は年上の、高校生くらいの少年だった。朝霧にとってはお兄さんと呼べるくらいの少年だ。
  彼は、ここ数ヶ月、朝霧夕一と言う人間が密かに心に抱いていた疑念を見事に問題提起してみせたのだった。

  『この世界の物理的な法則が、以前とは少し違って感じられる』何が変わったとは言えないのだが、なんとなくそんな知覚だけが働いていたのは確かだ。

  その違和感を見事に現したのが「この世の物理法則が、ゆがみ始めているみたいです……」という言葉。夕一は、あの瞬間、確かに心を打たれた。
  あの瞬間、夕一は自分の感じる違和感に見て見ぬ振りをしていられないような気になったのだ。
  しかし、その言葉を発した当人は、何処を間違ったのか、何かをやりすぎてしまったのだろうか。

  彼はあの後、駆けつけた警察官に取り囲まれ、射殺された。
  
  夕一にとっても、周囲の誰にとっても突然のことだった。眼の前で人が死んだのだ。警察官も錯乱していた。眼の前でありえざる事を見て、恐慌状態にあったのかもしれない。

  言葉にはしなかっただろうが、その場に居た誰もが、心理的なショックで怯えていた。
  
  繰り返すが、朝霧夕一は、ただの小学5年生だ。人の死を前にしてそこまでドライにはなれるはずもない。彼の心には理不尽への怒りや悲しみが満ちていた。

  しかし、同時に、警官隊のしたことは正しいことではないと思いながらも、世の中はそんなものなのかもしれない……という柔軟な考えを持てるようになっていた。

 なにせ、下手をすれば明日は我が身だ。
 何故か?それは、僕だけが知っている。

  彼はベッドの上で時間を潰し、頭が冷えるのを待った。そういう事ができる利発な少年だった。
「世界の法則が歪んで、ありえない事象を人の力で起こす事が出来るようになった。少なくとも、そういう存在が現れた。でも、それを言ったら殺される。人類は寛容になれなかった」
 彼が今さっき見てきたのは、平たく言えばそういう現実だったのだ。何がショックだったかといえば、何もかもだ。

  朝霧夕一は、ただの小学5年生なりに、夢に思い描いたことがある。何度も何度も繰り返し思い描いた夢がある。
  それは、自分が空を飛んで、自由な生き物として人間を離れて生きていく夢だ。

  それは、ずっと昔から、繰り返し繰り返し見ている夢だ。寝ている時に見る夢でもあるし、起きている時に感じている夢でもあった。
  あの時目撃した、空を飛ぶ少年。彼は、朝霧夕一の夢の体現者だった。

 人間が、人間のままで居るしか無いなんて誰が決めたんだろうか。少なくとも、そうでなくなる事が出来るなら、そうしたって良いんじゃあないのか。
  だが、今日街で見てきた現実は彼にとって厳しかった。『人間をやめる事は許されないというのだ』

 彼はため息を付いて、上半身を起こした。 眼の前に手をかざして、意識するーー風を起こす。
  部屋を飛び交う小さなホコリが、手のひらの上で起こした気流に乗って大きく動いたのが眼に止まった。

  それは、明らかに既存の物理法則に逆らうような動きでしかない。
  
「世界の法則を歪めているのは、あのお兄さんだけじゃなかったし、僕だけでもなかった」朝霧はそうひとりごちた。

 心の整理を付けながら休んでいるうち、完全に日が落ち、彼の両親が帰って来る。
  しばらくすると夕飯の合図が階下から聴こえて、夕食を取りにダイニングに向かう。
  帰ってきた父が付けたニュース番組、リビングルームのテレビに映るリポーターは夕方の事件を報道していた。

「……少年はテロを目論んで、何らかの起爆装置を持ち歩いていたとされ、駆けつけた警察官によって取り押さえられそうになるも抵抗。やむなく射殺されてしまいました」

 嘘だ。あの時見たお兄さんはなんの抵抗もせず、駆けつけた警察官に近づいて対話を試みようとしていたはずだ。そう夕一は思い出す。

  それに、起爆装置を隠し持つような素振りはまったくなかった。作り話で、警察の威信を取り繕っているのだろうと彼は思った。
  テレビの中で、あの時のお兄さんは、ワイヤーアクションで大衆の気を引いた事になっているが、実際にはそんな不自然な動きでは全く無かった。
 彼は、確実に自分の力だけで空を飛んで見せていたのだ。だからこそ心を打たれたというのに。

「世の中もおかしくなったもんだな、こんなショーみたいなテロを起こそうとする子供が居るなんて」
 朝霧は何の気なしに呟いた父の言葉に反感を抱いたが、黙っておくことにした。どうせテロリストを目撃して、テロリストに感化されてしまったと思われるのが落ちだ。

  そこで、切り口を変えて話しかけることにした。
「ねえ、父さん、ワイヤーアクションとかじゃなくて本当に『人が空を飛ぶ』事が出来たら、そのためには何が必要だと思う?」
「なんだ、夕一。空を飛ぶなんて、また夢みたいなこと言ってるのか?」

「そういえば昔、夕一ときたら『自分が空を飛べる』と信じてよく高いところから飛ぼうとしてたわね」
 母の不遠慮な一言に、父も追従する。
「そうだな。また、あの頃の癖がぶり返しちゃったのかと思って父さん心配だぞ」

「ああもう、そんなんじゃなくて、科学者だろ?父さんも母さんも。研究者としての見地から何か面白い話は無いわけ?」
「無い!科学は面白みのためにあるんじゃないからな」
「はあ」
 父の堂々とした一言に、夕一はついため息を漏らす。

「しかし、そうだな。何かスーパーマンみたいに人が空を飛べるなら、それは人のほうじゃなく、世界の法則の方が歪んでくれた場合だろうな。人も結局は物によって出来ているんだから」

「世界の法則が、かあ。なるほどね」

「ま、実際には無理って事だな。摂理が歪むことはない。いくら無理を通したって、本当の意味での道理は引っ込まないものだからな」
「それよりね、聞いてよ。南米の件。もしかしたらお父さん、アレの原因究明のために出張に駆り出されるかもしれないのよ」
「うむ、そうだな。そしたら、しばらく顔を合わせられないかもしれないが、寂しくするなよ、夕一」
「誰もその程度で寂しいなんて思わないよ、どうせ一、二週間がせいぜいでしょ?」
「まあ、多分な。そこまで長くなるならなんとか理由をつけて断るつもりだから、あまり心配するな」
「まあ、南米の方は大変そうだからね……ごちそうさま」

 夕一は夕食を終え、自室に戻った。
 勉強机の前の椅子に腰掛けて、もう一度、手のひらを目上にかざし、風を起こした。
「世界の法則が歪んでいたら、か。みんな同じ結論になるんだな」
 そんな独り言が溢れる。

 そして、もう一方の手のひらを、空気を握るみたいに手の上に重ね合わせ、手の中にまとめたその空気を投げつけるみたいに壁に向けて腕を振りつげた。

  眼の前の壁に亀裂が入った。

 夕一は、愕然とした表情を現し、やがて項垂れた。
「科学者の息子のはずが、ずいぶん非科学的になっちゃったもんだ」
 そうつぶやいて、夕一は乾いた笑いを浮かべた。

 

 

 

   ザ・シェイプシフター

 翌土曜日、朝霧夕一は映画館に一人で来ていた。鑑賞する映画はヒット中の大作SFアクションサスペンス『ザ・シェイプシフター』だ。

  数週間前から上映されているこの映画は、大ヒット御礼により上映予定期間がどの映画館でも軒並み伸び続けている。

  内容は、いわゆる人間に化けた宇宙人であるところのシェイプシフターに財界・政会・学会が乗っ取られている設定の世界で、真実に気づいてしまった検察官の主人公が命を狙われ、そのうちにレジスタンス側の勢力と接触しシェイプシフター社会と闘っていくという物語だ。

  この世界では『全体の幸福』が管理され、世の中の出来事はその都合に合わせて仕立て上げられる。

  そんなディストピアと戦うためにレジスタンス側のマスター達は立ち上がるのだが、シェイプシフターは人類を遥かに凌駕する身体能力と科学技術を持ち、一筋縄では戦えない。
 そこで、イマジンという特別な力を利用して彼らに対抗していくのだ。

  宇宙全体の根源意識であるコンシャスネスにアクセスした人間は、イマジンという力を用いて超自然現象を操ることが出来るようになる。
  コレにより主人公は救世主と呼ばれる目覚ましい活躍をする事が出来るようになる。

 イマジン同士の戦いの中では、実際の肉体を用いた戦いが始まる前から既に戦いが始まっている。

  互いのイマジネーションによって想定された戦いの結果が、互いの精神の損耗としてフィードバックされ、実際の戦闘の結果まで決してしまう。しかし、その確定された未来を如何に覆すかというのも物語の鍵になっている。

  決めゼリフは、トム・ライナフ演じる主人公の「六十八手で君の負けだ」というセリフ。これは、シェイプシフターの親玉であるミスター・フリーマンに追い詰められ、「二十一手で私の勝ちだ」という言葉に対抗して「いいや、六十八手で君の負けだ。君は自分から勝利を手放すだろう」と返すシーン。

  このシーンで主人公のザックは、決死で入手した世界救済の鍵である進化人類、スターチャイルドの遺伝子情報が詰まったデータキューブを破棄して、フリーマンを驚愕させる。

 シェイプシフターは新たな段階へシフトする為に欠かせないスターチャイルドの塩基情報を欲してやまなかったので、シェイプシフター側勢力は大願を逃し手に入れ損ねた形になる。
  その揺さぶりによりミスター・フリーマンのイマジンの制御が雑になり、主人公に敗北を喫する事となる。

  「まさかお前が救済を手放すとは」と言われ「俺は救世主じゃない。俺の戦いの目的はひとつ……ただ……お前と違ってシンプルでありたいだけだ」と返す。「シンプル?」「ありのまま、生きることだ」「そんな貴様らの欲望を我々は管理してきた!」「本物の生きる力は、管理してもしきれないものだ」
  ミスター・フリーマンは口をつぐみ、不敵に笑って炎に包まれる。

 ちなみに、その後スターチャイルドは主人公の恋人であるソフィーを母体としてダウンロードされ、既に妊娠していた事がラストシーンで発覚、二人の娘のエレアに希望を託して、未来にシェイプシフター社会の支配体制は崩れるだろう、と宣告されてエンディングとなる。

  勧善懲悪でない複雑な設定でありながらシンプルに進んでいくストーリーと、迫力満点の映像で人気を博すことになった。

  朝霧夕一は、映画を観終えてホールに戻ってきた。チケット売り場の奥の座席に座って休む。

  最初にこの映画を観た時、何か不思議と感化されるものがあったが、今となっては理由は理解る。劇中の超能力描写が、自分のそれと重ね合わせてしまうからだ。

  映画の中で描かれる『イマジン』の力は、そのまま彼自身の持つ力に重ね合わせて考えることが出来るかのようだ。
  劇中の、『善良な』宇宙人側に付いた人間である『マスター』達のマネをして、超能力を使うイメージトレーニングをしていたら、声をかけられた。

「朝霧くん?」
「あ、ああ……愛原さん?」
 それは彼の学校のクラスメートの愛原美波《あいはらみなみ》だった。
  彼女とは取り立てて不仲でも相性が悪そうでもないが、直接仲良くするような接点はあまりない。
「偶然だね、こんなところで会っちゃった」
「偶然じゃないよ」
「え?」
 愛原の意外な一言に、朝霧は虚を突かれた思いになった。

「先週もこの映画館に居たでしょ。私、知ってるんだから」
「あ、ああ」
「で、同じ映画見てた。『ザ・シェイプシフター』ね」
「まあ、そうだけど」
「私も映画好きだからちょくちょくここに来てるけど、2週間前も同じ映画見てなかった?それで、結構気になってたんだ」
 朝霧は少し照れくさかったが、堂々として答えた。
「リピーターってヤツだよ。まあ、おかしいって笑うかもしれないけど、僕は満足してるから」
「ううん、笑わないよ。今日初めてシェイプシフター観て、面白いって思ったもん」
「そりゃ良かった。ファンなんだ」
 そう言って朝霧はにっこり笑った。

「うん。でも、朝霧くん、今もしかしてだけど、劇中の超能力描写真似してたよね」
「ああ、恥ずかしいな。見られてたんだ」
「うん……でもさ、超能力って実際あると思う?」
「あると思うよ」
 そう答えたら彼女は驚いて目をむいていた。

「即答だな、もっと悩むんじゃない?普通」
「まあ、なんというか……」
「アタシね、こないだ超能力者を見ちゃって。知ってる?こないだニュースになった、射殺された高校生。あそこに偶然居合わせたんだけどね、空を飛んでたんだよ。ワイヤーアクションとかじゃなくて、本当に空を飛んでいたの。超能力としか言いようがなかったんだよ。超能力なんて無いと思ってたけど、アレを見て私は考えを変えたね」
 愛原美波は一気にまくしたてた。

 朝霧は少し考え込んでから返事をした。
「知ってる。……っていうか、そうか、愛原さんも見てたんだ。僕もその場に居たよ。その場に居て見てたんだ。でも最後、警官が理不尽に……いや、言っちゃいけないのかな」
「ああ……酷かったね……なんであんな事になっちゃったんだろう?」
「あの、……実は、僕も超能力っぽいのを使えるって言ったら……驚く?」
「えっ!本当に?」
 愛原美波はびっくりした表情を見せて、それから、見たい見たい、と言い出した。

 朝霧は懐からペンライトを取り出して、ふるふると目の前で横に振る。そして、左手でペンライトを持ちながら、もう片方の手をペンから出る光に近づけて、力を発揮する。
  朝霧の手は、ペンから指す真っ直ぐな光を、ねじまげて左曲がりにみせた。
「うわ、凄い!」
「しー、静かに」
 朝霧はペンライトをしまって、そそくさと席を立った。

  二人は帰り道を歩きながら話をした。
「光の進行方向を捻じ曲げたんだよね、さっきの」
「うん、そういう意識でやってみた。もちろんそんな機能、ペンライトには無い」
「じゃあ、そういう超能力なんだ。あ、シェイプシフターにも合ったよね、光の屈曲率を変化させるとかで、偏光状態を作り出す敵キャラとか言って……」
「そうだね。参考になったよ。こういう時、フィクションの物語って結構参考になるのかもね」
「でもさ、本当になんかおかしいね。超能力みたいな力を使える人がこんな増えるなんて
……本当にさ、あのお兄さんが言ってた『世界の法則が歪み始めているみたいです』って、……本当にそうなのかもしれないね」
「うん……もしかしたらね……」
 朝霧はなんとなく落ち込んだ表情を見せた。

 その様子を敏感に感じ取った愛原美波は、
「あ、でも朝霧くんの存在が歪んでるとかそいういう話じゃないからね」

 朝霧は振り向いて、愛原の顔をマジマジと見る。屈託のない笑顔をする娘だ。
「……フォローありがとう」

「アレさ!私にも超能力、使えるかな。練習してみるよ」
「あー、うん。それも良いかもね。イマジン使いになろうぜ」
「はは。それじゃあマスター、今度から色々教えてくれない?」
「暇があればね」
「約束だよ?」
「良いよ。でも、超能力って呼ぶのはナシで行きたいな。射殺されるかもしれないしね……」
「ああ、うん……」
「じゃあ、今度から二人で『シェイプシフターごっこ』やろうぜ」
「うん!」
 こうして、朝霧は愛原に力を伝え始めた。シェイプシフターごっこと言う名の、長く続く呪いはここから始まったのだ。

 

 

 

 

   ヒーローとヒール

 翌週の日曜日も、朝霧は映画館に来ていた。
  ただし、今度は最初から愛原も一緒だった。

「面白かったー、シェイプシフター。二回目見直しても良かったね!最高」
「僕はもう四回目だけど、飽きないなぁ」
 二人は『ザ・シェイプシフター』を改めて見直して、議論していた。
「思ったんだけど、なんで最後の最後でザックは、自分の娘はスター・チャイルドじゃないって言い出してたんだろう?」
「アレはたぶん、『本当の生きる力は管理しきれない』って言葉に対する答えなんだと思う。最初は、ザックが『自分の娘はそれでもスター・チャイルドの運命に飲まれたりしない』って希望で言っていたかと思ったんだけど……」
「私は、奥さんのことを愛しているからそう言ったのかと思ってたけど。遺伝子情報が書き換えられてしまってるのは間違えないもんね。でも、二人の子供であることは確かなわけで」
「まあ、そういう考え方も妥当だよね。っていうか、色々含みを持ったセリフなんだと思う」

 二人は感想を交わしながら映画館を後にして、それから近場のファーストフード店に入って、他にも劇中の名場面についての議論を続けた。
「あ、そういえばね、私も少しだけ、シェイプシフターごっこ出来るような気がしたよ」
「ええ……?出来るようになったの?」

「こないだ見せてもらった光曲げみたいなことね。でも、おかしいんだ。色がね。赤い光は曲げやすいのに、青い光は曲げにくいんだ」
「光の周波数って知ってる?」
「いや?なんの事かな?」
「まあ、スペクトル分布によって曲げやすさのイメージが違うのかもしれない。これは、個性次第なのかもしれないけど、自分が知ってる知識や情報次第でもあるのかもなぁ」
「ああ、朝霧くんはなんだっけ?両親が偉い科学者さんなんでしょ?だからか~」
「偉くはないけどね。っていうか、僕の両親の事なんて知ってたんだ?僕は愛原さんの両親なんて何も知らないのに」
「お母さんがね、言ってた。なんか学校の親の間では有名みたいだよ?」
「そうなのか」
 二人はファーストフード店を出て、家路についた。

  その途中、不良っぽい高校生くらいの連中に絡まれている、同年代の男子を見かけた。

「お前、もう一度言ってみろよ、いちゃもんつけたらぶん殴ってやる」
「だから!嫌がってるじゃないですか、やめてくださいよ」

 見れば、ギャルみたいな高校生の二人組が怯えている。彼女らが、不良グループに絡まれているところを彼が割って入って助け舟を出したという体のようだ。

  その少年は、眼鏡を掛けた華奢な人物で、この間警官隊に射殺された『お兄さん』を二人は想起してしまった。
  だからというわけじゃないが、朝霧もこの状況を見て見ぬ振りというわけにはいかなかった。

「てめぇ、本当にぶん殴るからな、おら」
 少年は、果敢にも立ち向かったが、なにせ体格が一回りどころか、二回りも三周りも違う。ボロボロに殴り倒されるのは目に見えていた。

  そこで、朝霧は『シェイプシフターごっこ』を発動した。劇中の『イマジンバトル』に倣って、イメージの中で不良たちを傷つける暴力を思い描く。
  もっと言うと、不良たちの頭のそばで爆発する不可視の球を思い描く。
  この前は部屋の壁に予期せず亀裂を入れてしまったくらいだ。威力は折り紙付きだった。

  それはもはやイメージの暴力ではなかった。朝霧は苦もなく『イマジン』を具現化させてしまう。もはや現実の猛威として、それは顕現していた。

  不良たちはバタバタと倒れていく。メガネの少年が不良たちに向かってタックルをひねり出すのに合わせて、不良たちの頭部周辺の空間が刹那、弾け飛ぶ。
  こうして、彼は四人も居たすべての不良をたった一人で倒してしまった……ように見えただろう。

 実際には、自分の手を汚さずに朝霧が一人でやったことだった。

「ハア、ハア、ハア……」
 少年は無我夢中で戦った素振りを見せただけだ。あまりの事態に我を忘れ掛けていたが、不良連中が全員倒されたことを知ると、女子高生二人組に駆け寄り、
「大丈夫ですか?」と声をかけた。

「う、うん……ありがとう。キミ、凄いんだね」と言ったのはキャップをかぶったショートカットの女の子だ。
「ほんと。きゃー、って声が出ちゃった」
と言ったのは髪の長い金髪の方。

「ね、ここから離れようよ。ずっとここに居ちゃ不味いんじゃない?」とショートカットの娘が言うと、
「そうだね。騒動になって、捕まっちゃうかも」と金髪が頷く。

「キミも一緒に行こ?」
とショートカットの娘が少年に声を掛けると、
「あ。でも待って。救急車を呼びます」
「コイツラの分?律儀だなぁ」
と金髪は呆れ顔だ。

「あ、そこの君たちも……」
メガネの少年は二人の顔を見ていった。
「騒ぎに巻き込まれないように、早く移動したほうが良いですよ」

 三人が移動していくのに合わせて、朝霧と愛原も後を付けていった。
「ねえ、今の、朝霧くんの力だよね?」
「まあね」
「超能力でアイツラをやっつけちゃうなんて凄いな。本当に凄い」
「超能力?シェイプシフターごっこだよ」
「あ、シェイプシフターごっこか……ごめんごめん」

「でも、こんなに簡単に人を昏倒させるなんて、うかつに使っちゃいけない力なのかもね」
 そう言って沈む朝霧の手を握り、愛原は言った。
「確かに、そういう意味では悪役みたいかもね。でも、良いじゃない。困ってる人を助けて気分がいいんだから」
「ま、まあそう言ってもらえると嬉しいよ」

 一方、眼鏡の少年は二人の女子高生ギャルに質問攻めにされていた。
「ね、なんて名前なの?」
「なんであんなに強かったの?」
「小学生なの?親はどんな人?」
「携帯番号は?教えて教えて」

 彼は観念して、女子高生たちの興味本位に付き合うことにしたようだ。
「僕は小5で、鎌取祐也《かまとりゆうや》って言います。今日はたまたま何故か、勝ててしまっただけで……僕なんかが偉そうに出来ることじゃないんですよ!本当ですよ」
「そっか。私は羽鳥江見《はとりえみ》。私のお父さん、警官なんだよ。ギャルっぽくしてても怒られないけどさ、事件に巻き込まれたりしたら、怒られちゃう。助かったよ」と金髪。
「私は浅見由佳《あさみゆか》。江見の友達で……」とショートカット。

「ね、携帯番号交換しよう。キミにはお礼したいからさ。今度また会おうよ」
「え、ええ、良いですけど……」
 結局、鎌取は携帯番号を半ば強引に聞き出され、コミュニケーションアプリの交換登録もさせられた。

「胸張ってよ、キミは今日のMVP!ヒーローなんだからさ」と羽鳥、
「そうだね。カッコ良かったよ」と浅見。
鎌取は終始「それほどでもないです……」と照れた様子だった。

 それから、五人は別れて、それぞれ別の方向に帰ってゆく。その途中、鎌取は朝霧と愛原にこう言った。
「今日は、助けてくれてありがとう」

「えっ、僕たちは何もしてないよ」
と白を切った朝霧だったが、

「なんとなく理解るんだよ。キミが、あの高校生たちをやっつけてくれたんじゃないの?」
 自分でも自分の言葉に対して不思議そうな物言いで、鎌取は二人に尋ねた。

「ああ、バレてるよ」
「愛原さんっ」
 朝霧が嗜めたが、もはや無駄だった。

「そうか、やっぱり君たちが」
「正確には、朝霧くん一人でやったことだけどね」
 愛原はもう開き直って行くことに決めたようだ。朝霧も観念して、白状する。
「別に、大したことはしてないんだよ。本当なんだ」

「うん……そっか。でも、本当にどうやったの?まるで超能力か何かみたいだ」
「キミこそ、テレパスか何かみたいだよ」
 朝霧の指摘に、鎌取は屈託なく笑った。
「ははっ、確かに。自分でもなんだか不思議な感じなんだ」
「まあ良いけどさ……」

「じゃあさ、また今度会えるかな?」
「さあ……どうかな」
「会えるよ、きっと。今日はどうもありがとう。じゃあ、またね」
 鎌取はそんな事を言って、連絡先も寄越さないままに消えてしまった。
「マイペースなヤツ……」
「なんか不思議な人だったねぇ」
 鎌取の調子ににペースを乱された朝霧と愛原は、妙に浮ついた感じで、家路についた。

 

 

 


    共犯者

 鎌取との再会は早くも翌日の放課後、学校の廊下でだった。
「やあ、朝霧くん、また会ったね」
「あっ」
 朝霧はポカンとして声を上げた。
「どうしてここに」
「同じ学校だったからに決まってるじゃない。今まで同じクラスじゃなかっただけで」
「ああ、まあ、そうか」と朝霧はとぼけてみせた。
「昨日の事、聞かせてくれないかな」
 鎌取はそう言った。
  
  朝霧は面倒な事になりそうだぞ、と思いつつ、さして理由もないので断ることも出来なかった。
  ここで彼がキッパリと断っていれば先の世の中はまた変わっていた事かもしれないが、この時の朝霧には知る由もない。
「別に……ただ、シェイプシフターごっこをしていただけさ。知ってる?映画、『ザ・シェイプシフター』」
「ああ、この間家族と一緒に見に行ったよ。面白かったね。となると、君は、あの映画の『イマジンバウト』を再現してみせたっていうの?」
「まあ、大体そんなところだよ。あの不良連中がムカついたから、死ね死ね~、って念じながら頭の中で蹴っ飛ばしただけ!」
「そしたら、君は頭で念じるだけで人を殺せるかもしれない天才じゃないか」
「う~ん……」
 どうも要領を得ない感じだ。
  
「悪いけど、人にはあまり聞かれたくないんだ。人の居ないところに行こう」
 朝霧は、体育館の裏の松の木の辺りを提案し、二人は示し合わせて移動した。

「話す前に聞いておきたいんだけど、この間ニュースになってた、射殺された高校生の話について。知っている?」
「いや……僕は詳しくは知らないな。ニュースでちょっと見た程度の話しか」
「そうか……じゃあ、難しい話になるな。ニュースになっていた彼は、人前で空を飛ぶ超能力を使ったんだよ。その結果、殺される羽目になった。だから、僕は二の轍を踏みたくはないんだ」
「そんな事があったのかい……?」
「まあね。実際に見てないと理解らないと思う。かなりショッキングだった。この世界でありえないはずの事を行うには、とんでもないリスクを伴うんだよ」

 朝霧は鎌取を諭す。
 現実にあの光景を見ていない鎌取の考えが甘いのは仕方ない。だが、朝霧にとっては重大な問題だ。甘い考えで踏み込んでほしくはない。

  鎌取は少し考え込んでから、言った。
「でも……事実、君には力があって、それを無かった事には出来ない。そうだろ?」
「まあ……ね」
「だったら、君はもう少し堂々とすべきだ。堂々と力を振るえってことじゃないけど、卑屈になって縮こまっていても現実は悪化するだけだと思う」
「そうかな?」
「そうだよ。一人で抱え込んでいたって解決しない。ねえ、僕にも『シェイプシフターごっこ』をご教授してくれよ。そうすれば、僕は君を抜かして大きな力を使えるようになってみせるよ。そしたら、もし射殺されるにしても、実験動物になるにしても、僕の方が先だ。どうかな?君にとっても悪い話じゃないと思うんだけど」
 うーん、と考え込んで、朝霧は言った。
「大した自信だなあ……誰にだって出来ることとは思えないんだけど」
「自信があるわけじゃないよ。でも、確信があるんだ。君の助けになりたい、なった方が絶対に得をするって、何となく思うから」
「君って、不思議な考え方をする人だね」
 朝霧は皮肉でもなく心からそう言った。
  
  鎌取は少し照れくさくなったのか、ポリポリと頬を掻いてみせた。

「じゃあ、いいよ。シェイプシフターごっこについては、もっと研究を重ねなければいけないとは思ってたんだ。力の優劣とか個人差も含めて、一緒に研究しよう」
「本当に?」
 鎌取はぱあっと明るい表情を見せて、はにかんだ。
「ああ、今日から僕らは仲間……いや、共犯者、かな?」
「ははっ、それは良いね!」
 朝霧の告げた共犯者、と言う響きに、鎌取もくすぐったくなって笑ってしまう。

  ひとしきり笑った後、鎌取は言った。
「じゃあさ、ワガママを言うと、もうひとりだけ加えたいメンツが居るんだ。連れてきても良いかな?」
 朝霧は、とりあえず会ってみてから決めるよ、と返事をして、彼の言葉を待った。
「君と同じクラスの高杉渚《たかすぎなぎさ》くんだよ」
「ああ、あの、気弱で、たまにいじめられてる感じの……」
「僕から話しして連れてくるよ」
「あ、じゃあ僕も愛原さんを呼んでこようかな。彼女も共犯者みたいなものだから」
そうして一旦別々に別れて、彼らはそれぞれに別のパートナーを連れてきた。

 愛原美波はその日は日直の仕事があったのだが、クラス日誌や黒板消しの掃除を終えて、朝霧の誘いに乗った。
「おー、ついに学校でもシェイプシフター会議かー、って感じだ」
「でも、今日からは僕一人じゃないよ」
「ああ、うん。まさか鎌取くんがここに加わるなんてねぇ、っていうか、同じ学校だったんだねぇ」
「愛原さんも知らなかったんだ」
「まあね」
「あっちはこっちの事知ってるみたいだったけど」
「言ったでしょ、君のご両親ちょっとした有名人みたいだって」
「ああ、なるほど……今までずっと違うクラスだったけど、そういう事もあるのか」
「ま、実際にはよく理解らないけどさ……」

 もう一度、体育館の裏で落ち合う。
朝霧と愛原の前に、高杉渚を連れた鎌取祐也が姿を現した。

「ど、どうも、朝霧くん。鎌取くんから聞いたんだけど、な、なんか、面白い事があるって?」
 高杉渚はどもり気味に挨拶した。彼はふわふわした癖っ毛で、整った顔、均整の取れた体型の、黙っていれば美少年なのだが、どうも気の弱い質が災いしていじめられっ子体質だった。
「ああ、まぁね」
「なんで連れてきてもらえたのかわからないけど、嬉しいなぁ……。一体、何が始まるのかな?」

「高杉くんさ、たまに同じクラスの子に蹴られてるだろ?」
 鎌取の言ったそれは、尋ねる意図の言葉というより、説明と確認の為の言葉のようだった。

「高杉くんがちょっとやそっとの事じゃ舐められない体質になってほしいんだ。彼はセンシティブだから、たぶん習得出来るんじゃないかなって何となく思うから」
「ああ……なるほどね」
 なかば予想していた事だったが、鎌取は思った以上に明確に自分の意志を示した。朝霧は一応形式上頷いて、内心では、まぁこの状況も面白いかもしれないと思った。

「それって、け、喧嘩とかするって事……?格闘技とか……?」
 一方で高杉はちょっと怯えた態度を見せるが、本心からというほどではなさそうだ。その顔は期待半分、不安半分といったところだ。

「違うよ、格闘技じゃない。超能力だって」
「愛原さん、超能力じゃない。これから始まるのはシェイプシフターごっこだ」
「あ、そうだね。シェイプシフターごっこだ。また間違っちゃってごめん」
 愛原美波はついニヤニヤしながらやり取りを楽しんだ。
  
「シェイプシフターごっこ……?」
 高杉渚は不思議そうな表情で三人のニヤケ顔を見ている。
「次の休みも、『ザ・シェイプシフター』鑑賞会で決まりみたいだね」
 朝霧はケラケラと笑って、シェイプシフター研究会のリーダーとしてのはじめての決定を行った。

 

 


   子どもたちの群像

 朝霧と愛原にとっては先週と同じく、『ザ・シェイプシフター』鑑賞会を終えてから、近場のファーストフード店で席を取ってひとしきり映画の内容について議論していた。
「しかし、あの場面に『神の眼』の意匠があったなんて気づかなかったな」
「僕も最初見た時は全然気づかなかった。だから、あの大統領は元から『神の眼』側の人間だったって事が自明なんだよ。結末は描かれていないけど、評議会の粛清対象になったはずだろ?それを知っていたから、彼はザックを裏切るような真似をしたんだ」
「なるほどね、あの場面も、ただインパクトがあるだけじゃなくて、細かいところまで考えられていたんだ」
 今となってはそんな細かい描写の議論でまでも彼らは白熱していた。
「あ……ハンバーガーもう一個頼んでくる」
愛原が席を立った時、
「あ、美波ちゃんじゃない」
 と声を掛けてくる女性が居た。
  
「あ、芦原さんじゃないですか。こんにちは」
 気付いた愛原は頭を下げ丁寧に挨拶を交わす。
  子供連れで、ファーストフード店に居たのは、愛原美波の親戚で、芦原芹奈と言った。
  愛原にとっては、母親の従姉妹の結婚相手のまた従姉妹といった、遠い親戚関係で、血の繋がりもほぼなかったのだが……昔からの家族ぐるみの付き合いで、たまたま顔を合わせる機会が多い印象だった。

  五歳になる息子と、ゼロ歳の息子を胸に抱え、二人兄弟を連れてファーストフード店で涼んでいた彼女に、愛原はからかわれた。
「なになに、ボーイフレンド三人も連れて、美波ちゃんもやるもんだねぇ」
「そんなんじゃないですよ。彼らとは、一種の同好会みたいなもので」
「あらあら、謙遜しなくてもいいのに。それに、貴方にそのつもりがなくても、彼らは本気になるかもよ?」
「本気ってなんですか?もう、やめてくださいよぅ」
「ごめんごめん、ついからかってしまって。おばさんみたいね」
「良いです良いです、気にしてないですから」
 つん、とすねたふりをしつつ、愛原は笑顔だ。
  だが、冷ややかな視線を送る者が居た。五歳になったばかりの、芦原の長男だ。
「あら。亮吾。どうしたの?お姉ちゃんを睨むのはやめましょうね~」
「睨まれてる?たまたま目付きが悪くなっただけだよね?」
「いいえ、この子、すぐにこうやって癇癪起こすのよ。悪い癖だわ本当に。ごめんなさいね。直させたいけど、なかなか直ってくれなくて」
 芦原は息子を叱りつけて、ため息を付いた。
「ごめんなさいね、私達はもう店を出るけど、美波ちゃんはごゆっくりね」
 芦原はそう言って、食べ痕を片付けて店を出ていった。「ほら、行くよ」長男の手を引いて行く彼女の肩越しに、胸に抱きかかえられた次男の顔も見て取れた。長男と同じしかめ面で南の方を睨んでいる。

 愛原は肩をすくめて、席に戻っていった。
「ごめんごめん、なんでもなかった」
「聴こえてたよ。親戚のおばさんか何かだよね」
「ああ、まぁねー。しかし、なんか、あの人の息子さん、あの子には嫌われてるみたいだね」
「ああ、どうしたんだろうね?」

 愛原はなんとなく身震いをした。
「最近思うんだけどさ、近頃の子供って不気味だよね。なんか、ここ数ヶ月くらい、だと思うんだけど、変な感じの子供が増えた。幼稚園児とか見かけると、そう感じない?」

 朝霧は、「理解らなくもないかな……」と言った。「変な感じというか、嫌な感じの子供だな」
  高杉は、一旦「そうかな?」と言ったが、「そうかも」とすぐに手のひらを返した。
 鎌取は、「僕は、なんだか、彼らが苦しんでいるみたいに見えるな」と言った。
「苦しんでるって、どういう事?」

 高杉の質問に、鎌取は少し目を伏せてから言った。
「さあ……ただ、なんとなく、今までと違う世界の中を生きてるような……そうだ、ちょうど南米の大爆発のニュースがあった辺りからだ」
「まあ、確かにあの辺りが転機だった気がするな……」
 朝霧もその意見に追従した。
「ん?というと?」

 愛原の疑問に対し、朝霧は答える。
「僕がその……シェイプシフターごっこに傾倒し始めたのは、正確にはあの辺りからだったな」
「じゃあ、『ザ・シェイプシフター』公開以前に始まってたことになるね」
 愛原のツッコミはスルーして、
「まあ、深く考えないでほしいんだけど。あの辺りから僕は『世界を構成する摂理』が変わったような感じを覚えてる。なんて……かっこつけ過ぎかな?」

「じゃあ、まだ知識とか常識の薄い子どもたちは、さらに鋭敏にそれを感知している可能性もあるね」
「ああ、それを僕も考えた。彼らがそれを苦しんで知覚していたとしたら……」
 愛原と朝霧の想像はどんどん膨らんでいく。

  極めつけに、
「彼らの中から化物みたいな能力者が出てくることもありうるのかな?」
 鎌取の疑問に、
「理解らないけどさ、なんとなく不安だね。これから先、僕らが大人になる頃には、社会はまるっきり変わってしまっているかもしれないんだから」
 朝霧は、自分たちが、人類の誰も足を踏み入れたことのない、まるっきり今までと違う社会に自分が生きる事を想像して、なんとも言いようのない胸のざわめきを覚えた。
  
  
  
   先人たちの足跡

 答えは意外な形で、すぐに出た。
「子供達の間で、新型の疫病が流行ってるらしいぞ」
 それは、家族団らんの時、朝霧夕一の父、朝霧誠司の言葉だった。

「新型の疫病って?」
「なんだかな、タンパク質や細胞を変質させて、特に小さい子供に対しては無自覚なイライラとか不安、ぐずりを引き起こすんだとさ。熱病に発展することも有り得るからってことで、母さんの研究所の方では対策を講じているぞ」
「そうなのか……」

 前日のファーストフード店での会話が思い浮かばれる。愛原美波の親戚の子供達は、その疫病にでもかかっていたのかもしれない。
  そう考えれば、なんとなく昨日の会話も自然な形で決着がつくというものだ。

「最近、目付きの悪い子供が増えてる気がする」
「ああ、確かにな。たまに道行く子供を見るとそう思うよ。夕一は大丈夫そうだな」
「うん」

「でも、なんでそんな新しい病気が出て来るんだろう?」
 夕一は何の気なしに言ったつもりだった。が、誠司は「これ、内緒の話な」と前置きをしてから話し始めた。

「普通は細菌とかの変異、流行の流行り廃れ程度で話はつくんだけどな。……今回は、南米の大爆発の一件と関係があるんじゃないかって言われているんだと」
「南米の?それって一体?」
「さあな、詳しいことは理解らん。しかし、時期的な一致と患者らしき症例の分布が一致しすぎているんだと」

「じゃあ、核で新種の病原体が発達したとか?」
「いや、父さんはな、アレが核じゃないって確信してるよ。ダーティ・ボムが使われたにしてはあまりにも環境がクリーンすぎた。確かに、一部放射化した残骸が見つかったりはしているが……未だに学会でも詳しい原因は特定できていないんだ」
「なにそれ。現代科学の敗北?」
「悔しいが、そうなる」
「ふーん……そっか……」

 誠司は一瞬、逡巡を見せてから口を開く。
「それとな。実は……もっとオカルトな話もたくさんあるんだ」
「ほうー?何それ、興味ある」
「お、食いついてきたな。」
「空を飛ぶ子ども達の話だよ。大爆発の前からな、消滅した地域で何だけど……目撃者がたくさん居たんだと。それが本当だとしたら、いったい彼らは何をしたんだ?超能力者チルドレン量産計画でも南米で進んでいたんじゃないか?それに巻き込まれて、彼らは消されたんだ……とか。まあ、よくある与太話っちゃ与太話に聴こえるだろうがな」
「いや、ビックリした。そんな事があったなんて言われても、にわかには信じられないよ」
「ま、そうだろうな。流石は俺の息子だ。根拠のないオカルトに流されたりしない」
「褒めても何も出ないよ?」
「はは、コイツめ」

 母・爽子が声を上げた。
「夕ごはんよー」
「お、来た来た。いただきまーす」
 誠司は喜び勇んでダイニングに駆ける。
「お父さん、いただきます、は席についてからでしょう」
「すまんすまん、失敬した」
 そんな夫婦漫才を見ながら、誠司に続いて夕一も食卓についた。
  
  夕食を食べながら、夕一は尋ねた。
「さっきの話だけどさ。……空を飛ぶ人間が実際に居たら、どう感じると思う?」
「そりゃあ、自力で空を飛ぶ人間が居たら……それはもう人間じゃないんじゃないか?」
誠司の答えに対し、「なるほど」と言って夕一は食事を続けた。

 

 

 


   血液検査

 その週、全国各地の小中学校で生徒全員の血液検査が実施された。

  感染拡大中の原因不明の疫病への予防が第一義で、感染していると血液組成に変化があるので判るのだという、最低限の説明をして血液検査は強行された。

  健康診断の時期でもないのに、注射で血を抜くのは堪える生徒も多く、泣き出してしまう子供達も多かった。

  この時、生徒の保護者会同士の間で噂が広まっていた。
  これは近年発見された特定の染色体をマッピングして判定する為のダミーの血液検査で、その特定遺伝子を持っている子供は、新世代特有の優れた子供なのだという。

 政府はこのデータを参考に、子供達の進路指導を主導しようとしているというまことしやかな噂だ。

  噂の出処は例によって不明だったが、近年の生徒進路指導の強化を含む学校制度への改革法案を鑑みると、単なる陰謀論として否定しきれないと言うものの見方をする保護者も一定数居た。

  しかし表向きは新種の疫病対策である以上、
なかなか検査の拒否を行わせることは出来ない。真相は究明されず闇の中だった。

 そんな事情はつゆも知らず、子供達は滞りなく血液検査を終えていった。
  
  朝霧夕一は、担当保険医の近藤正平に尋ねた。
「この検査で、陽性反応が出た場合、どんな処置を施されるのですか?」
「さあ。とりあえず紹介状をもらって大病院で診察を受ける事になるだろうけど、その後の事は、病状や医師の裁量次第だからね」
「簡単に治るんですか?」
抗生物質を服用することで症状が止まり、すぐに完治するとは言われている。まあ、臨床データがそこまで豊富なわけではないので、悪化するケースも稀にあるかもしれないが」
「そうですか」
「なんだ、ずいぶんと興味があるみたいだな。将来は医者でも目指しているのか?」
「いいえ、全くそういう事はありませんが、疫病については噂を聞いていたもので。ずいぶんと対策が早かったなあと思って」
「ウン、そうだな。なんとなくおかしいとは思うよ。実際には殆ど被害は出ていないと言われる疫病で、全国で臨時の血液検査まで行うなんて……そういう意味では、先生は朝霧くんの味方だぞ」
「別に、検査なんてしなくても良かったと思うんですか?」
「まあね。この件については、医師会もきな臭い動きがあるらしい。なんて、言っても理解らないとは思うけどね」
「そうなんですか」
「おっと、君みたいに熱心な生徒には、つい色々要らない事まで話してしまうな。悪い癖だ。できれば、今の話はすぐに忘れてくれよ」
「はい、そうします」
「結構。じゃあ、終わったから、次の生徒呼んできて」

 放課後。
  朝霧は日課のシェイプシフター研究会を招集する。今日は皆、血液検査の話題から入った。
「注射、痛かったでしょ」
「まあ、うん。仕方ないけどさ。なんか怖いよね」
 そんな高杉と鎌取に、
「情けないなー、たかが注射くらいで」
 と愛原は言う。

 そこで朝霧は、
「そんなに呑気でも居られないかもよ」と告
げ、父から得た情報を全員に聞かせる。
「南米の事件が引き金で疫病が起こった?」
 愛原はびっくりした様子で目を瞬かせていた。
「そんなの、先生たちもテレビのお偉いさんも発表してないじゃない。本当なの?」
「うん。だから、この一件、僕は結構きな臭いと睨んでる」
「ちょっと不安だな。そんな疫病ってどんな病気なんだろう?」
「僕の考えだと、シェイプシフター能力ってのは、南米の大爆発が原因で起こった疫病で、肉体の一部が変質したから発現したんじゃないかって思うんだ」
「え?既に感染してるって言うの?」
「ちょっと抗生物質を飲めば治る程度の病気だ。健康なうちに自然治癒した分なら気づかないこともあるだろう」
「なるほど。じゃあ、シェイプシフター能力って言うのは、病気から生まれた進化みたいなものなのかな……」
 高杉はそんなことを言って、頬を掻く。
「……実は、ここ二、三日、朝霧くんの言うことが理解るようになってきたんだ。部屋の埃を、手を触れずに動かすことが出来るような感覚……僕も、もうシェイプシフターとして変異しているのかな」
「僕の考えは適当なでっち上げというか当て推量に過ぎないけどね。でも、現代科学でありえない事象が南米でも、この国でも起こった、起こってるんだ。何の関係も無いのかな?って思ったら、繋げて考えたくなった」
 朝霧は自説に対し自信があるわけではなかったが、何らかの連動を感じとっていた。自分のような存在が生まれたからには、何らかの意味や理由、きっかけがあったに違いない、と。
「でも、地球の反対側からこっち側まで影響が出るなんてねぇ。考えてみれば凄いことだよね」
 愛原の言葉に、朝霧は頷く。
「まあ、確かにね。全地球規模の話ってわけでもあるまいに」
 朝霧の言葉は、数年後までには全く笑い飛ばせない話になるのだが、彼はまだその時を迎えていない。

 

 

 

    出会い

 早朝。

 朝霧夕一は、街を走り回っていた。
 ちょっと早めのジョギングみたいに速度を上げ、住宅街の人通りが少ない道を選んで走る。

 彼は走りながらシェイプシフターごっこを始めた。彼はこの技術を究めようとしていた。イマジンの中なら何だって出来る。風よりも早く走り抜け、空間を消し飛ばして跳躍する事すらも……
  彼の多くの試みの中でも、これは殊更うまくいった方だった。彼は、助走付きとはいえ、
8m近くの距離をひとっ飛びで跳躍していた。
幅跳びの選手にだってなれそうだ。

 偶然だが、彼と同じタイミングで、同じような事をしていた女の子が居た。
  天塚恵《あまつかめぐみ》は、街を走り回っていた。
 ちょっと早めのジョギングみたいに速度を上げ、住宅街の人通りが少ない道を選んで走る。

 天使恵は、走りながら鳥のように飛ぶ自分をイメージしていた。イメージの中なら何だって出来る。風よりも早く駆け抜け、距離感なんてなかった事にしたみたいに跳躍することも……
 彼女が走っていたのは、単に体力づくりの一環だった。しかし、身体が実際に羽根のように軽い。
 彼女は、8m近くの距離をひとっ飛びで跳躍していた。幅跳びの選手にだってなれそうだ。
  
  そして、彼と彼女は偶然にだが、出会った。それこそ、運命の為せる業だったのかもしれない。
  彼と彼女は、不思議な空間に躍り出る。
 そこは、整備中のまま長期間放置された公園みたいな場所だった。

  不思議な感覚だった。入ってきた途端、この場所が通常とは違う空間だということが理解ってしまったからだ。

  二人の記憶にはこんな道も、こんな空間もこんな場所にありはしない。この街に、こんな場所があるなんて知らなかった。

 コンクリートで舗装された道には、整然としない露出した芝生が散見され、ランダムにノイズをかけたみたいに植え込みがあったり、無かったりした。
  海外の高尚なデザイナーが作ったと言われても信じそうなくらいに、その庭園は無作為に作られていた。  
  二人は、大きな植え込みの中、佇む一本の樹の下で、ふとすれ違った。
「あ、こんにちは……おはようございます」
 天塚恵は、朝霧夕一に声を掛ける。
「あ、おはよう……はじめまして」
 天塚恵はちょうど、朝霧と同じくらいの背丈、年齢の女子だった。二人はこの時シンパシーを得たのかもしれない。

 なんとなく、二人は同じような事を思い描いていた。
 これは夢?なんとなく現実感の薄い世界観で、二人の感覚は麻痺していた。

「なんか、ココらへん、こんな場所ってあったっけ?最近作られたのかな?」
「いや?たぶんそんな事はないんじゃないかな?最近作られたにしては、無造作に草が生えすぎてる」
「そうだね。なんだろう、不思議な場所。こんな場所はじめてだよ」
「僕もそうだね。こんな雑然とした道路整備、見たことがないよ。こんなの、夢の中の風景に違いない」
「でも、私達は居るよ?」
「まあ、確かに。じゃあ、なんだろう?」
彼らは初対面にも関わらず、悪びれず親しげに話す。これもまた不思議な感覚だった。
「ここに来るのに、何をしてたの?」
「走ってた。そしたらここについてた。なんだろうね」
「私も同じだから、理解るよ」
「じゃあ、これは?」
 朝霧は、目の前の樹立に向けて足を振り上げた。右足は空を切るが、直接蹴り上げられたかのように、けたたましい音と共に樹立の上部の葉葉は激しく揺れ動いた。
「わ、今、何をしたの?」
「空間を蹴り上げたんだ」
「空間を?」
「押し出された空間のシェイプが、ちょうどあの木を揺らすみたいに狙いすましてね」
「なんとなく、理解るような気がする」
「僕は、この技術を『シェイプシフターごっこ』って呼んでる」
「シェイプシフターごっこ……あの、映画のやつ?」
「知ってるんだ?」
「まあ、予告編くらいはテレビで何回か見たけど。本編はまだ見たこと無いな」
「そっか」
「空間を捻じ曲げたから、こんな場所にたどり着いたのかな?」
「そうかもしれない。君も、同じことしてたんだ?」
「たぶんね」

 今度は、冷たい風が吹きすさんで、樹立を激しく揺らす。
「帰ろっか」
「そうだね」

 二人は、気づけばどちらともなく同じような足取りで歩き出していた。
  不思議な殺風景の曲がりくねった道をたどる。不気味な静けさだった。辺りの家には、人の気配が感じられない。
  遠く背後で鐘の音が聴こえた気がした。ふたりとも、初めて聞く音だった。
 心臓を鷲掴みにされたような重圧感を感じた後……

 気がつけば二人はいつもの道に戻っていた。

「じゃあ、ここで」
「ええ、どうも」
 二人は、どちらともなく別れて、それぞれの家路についた。朝はまだ早い。
  何故、僕は、
  何故、私は、
  こんな早起きをしてまで街をひた走っていたのだろう。
  何か、巡り合うべき運命に巡り合うためだったのだろうか。
  ごく自然な感覚でそんな気がしながら、二人は帰宅した。

 

 

 

 

 

 


   幽体離脱  
  
 天塚恵は、怪我をした栗本夏木に付き添って放課後の保健室に来ていた。保険医の近藤正平は、快く二人を迎え、怪我の治療を施してから、ベッドでしばらく休むことを提案した。
  2つある保健室のベッド上には、片方先客が居た。高杉渚だった。付き添いの朝霧夕一もここに居る。が、カーテンレールで区切られたベッドは、向こう側が見えなかった。

なっちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ、ちょっと顔面でレシーブしちゃっただけだし。まだクラクラするけどさ」
「もう、無理しないでよ?」
「うい」

 近藤正平は、高杉渚のベッドを見て、
「どう?まだ目を覚ましそうにない?」
「はい……なんでだろう、動かなくなったままですね」
「診た限り、眠ってるだけとしか言いようがないんだけどなぁ。突発的な眠りか。病的なものじゃなければ良いんだけど」

 その時、渚の手がピクリと動いた。
「う、ううん……ここは……」
「渚くん、目を覚ましたか。ここは保健室だよ」
「ああ、うん、理解る、今、僕、体の外に出てたんだ。帰ってきたから理解る」
「え?大丈夫?何言ってるんだい?」
 近藤が心配そうに覗き込んでくる。
「頭でも打ったのかい?」
「いや、ちが……」
 朝霧が否定するよりも先に、
「だ、大丈夫、僕は正気ですよ。そんな夢を見てただけですから」
「ああ、なんだ。それなら良いんだ」
 近藤は今度は天塚・栗本の方を見て言った。
「先生はこれからちょっと職員会に顔を出してくるから、十分休ませてから帰るんだよ、良いね」
 と言ってそそくさと出ていった。

「で、渚くん、一体何がどうしたんだ?」
「ああ、聞いてよ朝霧くん、僕、大変なことになっちゃったんだ。僕、どう考えても幽体離脱してたんだって」
幽体離脱……?君、何があったか覚えてる?」
「ええと、確か……光を曲げる訓練をしてたんだっけ?」
「あ、うん。そうだよ、でも、渚くん、アレだけは下手だから……でも、集中してたかと思ったら変な感じにぼんやりし始めて、いつの間にか眠ってたんだよ」
「いつの間にか、眠ってた?いや、待って。あ、あの時確か、光をじっと見つめてたら、変な気持ちになってきて……」
「催眠状態に陥ってるみたいだったね」
「ぼく、そんな感じだったの?」
「うん……」
「それで、いつの間にか体の外に出ちゃったたのか……なんとなく納得はしたけど……」
「本当に幽体離脱したなら、何処をさまよってたんだよ?」
「お、お星様かな……。宇宙空間まで飛んでみようと思って、空高くまで出たんだけど、その辺りで自分のコントロールが効かなくなってきて……」
「それ、下手したら成仏しちゃう流れじゃない?帰ってこれて良かったね」
「あ、そうだ、その後、変なものを見たんだ」
「変なもの?」
「変なもの……なんだっけ……なんか、すごく大事なことのような気がするんだけど……」
 高杉はウズウズして、何か見たことを見たままに話そうとしているが、うまく行かなかった。
「うん、とにかく、たくさんお星様が見えて、面白かった記憶だけはあるんだ」
そこで、隣のベッドの上に居た天塚恵がたまらず話しかけてしまった。
「ねえ、さっきから一体何の話してるの?」
「え?ああ、すみません、あ、寝てる人には迷惑だったかな……」
 と高杉はカーテンレールで区切られた向こう側を向きながら、物腰低く謝った。
  天塚恵は堂々と隣のカーテンの中に入っていった。
「あ、今朝の、『シェイプシフターごっこ』の人だ」
 天塚恵は、朝霧夕一の姿を認めるなり、つい言葉に出してつぶやいていた。
「同じ学校だったんだね」
「ああ、今朝はどうも……」
 朝霧夕一は、朝の事を思い出しながら挨拶をした。
  二人は、互いの胸に付けられた名札の色を認める。
「もしかして同じ学年?」
「五年。天塚恵」
 尋ねた朝霧に、少女はシンプルに返す。
「僕も五年。朝霧夕一って言うんだ」
「ふーん、そっか、知らなかった。よろしくね」
「ああ、うん」
 天塚恵は、奥のベッドの高杉を見つめる。
「あ、ぼ、僕は高杉渚。朝霧くんとはクラスメート」
「うん。それで、なんか今ふたりとも変なこと話して無かった?」
「あ、朝霧くん、どうしよう」
「洗いざらい話そうかな?彼女はもう色々知ってるんだよ」
「そうなの?」

「実は、僕ら、シェイプシフター研究会なんだ」
「空間のシェイプをシフトさせるとかってやつ?」
「元々の意味はともかく、それも含む」
「で、能力を研究してたら、僕が気分悪くなっちゃって……」
「なんとなく理解った」
「は、早いね」
 高杉は、天塚の理解力に平伏させられた。
「ねえ、朝霧くん、私もその研究会、見に行っていいかな?」
「ああ、うん、いいよ。なんとなくそうなる
気がしてたんだ」
「良かった。じゃあ、今度そっちの教室に遊びに行くよ。良いよね」
「何時でも歓迎するよ」
「あっさり決めるね、朝霧くん」
「彼女も、シェイプシフター能力者だからね」
「うん」
 天塚恵は認めた。
「そうだよ。私もその、シェイプシフター能力者って奴と同じだと思うから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   エデン

 高杉渚は、その夜夢を見た。
  学校の放課後、幽体離脱という神秘的な体験をした時の夢だ。
 気持ちがふわふわと浮つき、感覚がすっと引いていく。
  もしかしたら、今もまた幽体離脱しかかっているのかもしれない。
  
  身体がすっと透明になり、もう一つの身体から出てくる。あれは肉体だ。肉体という殻の中から出て、僕は実体であるところの自分を取り戻した、そんな風に知覚できた。
  あの身体のもとに戻るより、この本当の自分で広い世界を見回してみたい。放課後に気を失ったときと同じ欲望がむくむくと湧いてきた。

 身体がどんどん浮上していくイメージをする。それと連動して、高杉渚の幽体は、家の天井を突き抜け、空高く遥か遠くに浮遊していく。
  やがて、地上が遠くに離れる。浮上感が最大限に達する頃、雲を突き抜け、高杉の幽体は雲の上、星々の世界にまで浮上しようとしていた。

  酸素のない宇宙空間でも、息ができるような感覚があった。むしろ、大宇宙の大いなる息吹を吸い込んで、いっそう健康になったような気分だ。

 遠く向こうに人工衛星や小さな宇宙ゴミの存在一片一片まで知覚できる。たとえこの体が幽体でなかったとしても、きっと撃ち落とされることはないだろう。

 この場所で、僕は自由だ……ここに居るために、僕は生まれてきたのかもしれない……そんな風にさえ思い始めていた。

 だが、突然に動悸がする。
  いけない。僕はここには居られない。
  なんとなく、そう思う。

 遠く東の空の先を見通した中空に、小さなキューブ状の物体が認識できた。
 それは、まさしく箱だった。何らかの存在が封じられた箱。その箱を認識した途端に、知覚の中に侵入してきた闖入者の存在を感じた。
  
  ああ、そうだ、今日の学校の放課後も、僕はあの存在を恐れて戻ってきたんだ……

 あれは、何だ?

ーーエデン。

 答えが、知覚に挿入される。
  圧倒的な異物感に、狂気の氾濫を見た。
  
  見れば、知覚の中にある箱が、四次元的に展開し、表面と裏面がひっくり返ったみたいに箱の中身が開闢した。
  展開した箱の中身は広大な空間で、そこには広大な森林が見て取れた。

  そして、その真ん中に隆起して開けた場所があって、いくつかの巨大な樹立がそびえているのが見えた。
 それは大自然の栄華を体現して在ったが、どこか人工的な印象を覚える空間でもあった。

ーーエデンの園

 高杉の印象はそんな感じだった。だけど、何故あんなキューブの中に、こんな場所があるのだろう?
  見ていると、更にキューブは裏と表を入れ替えたみたいに立体的な展開を始めようとしていた。キューブは表と裏が二重、三重の構造になっているかのように姿を変えていった。

  今度は、近未来的な都市の工業地帯とみられる場所が見えた。まるで映画の中の世界に迷い込んだみたいだ。

ーーここには、まだ足りない。

 声が再び、知覚に挿入された。
 頭が割れるように痛み、目の前は白い白い、
全方面真っ白な空間に躍り出た。そして、その場所には大きな門があった。

 黒い影が門の前に立っている。
  腰に手を当て、ポーズを取っている。

  高杉はいよいよ自分の正気が信じられなくなりかけた。それでも強制的に知覚されるその情報が告げていた。
ーーこれは、人間じゃない。
「君は誰?」
「僕はエデン」
 黒い影は口を開いた。
「楽園の番人?」
「そう!」
 影はケラケラと笑っていった。
「なんで、僕の前に姿をーー」
「それは、君たちがまだ足りないから」
「足りないって?」
「まだ、進むべき時じゃない。だから、ここを守ってる」
 その時、高杉は思い出すことがあった。あの映画の設定だ。人類を管理している、シェイプシフター……宇宙から着た大いなる種族のくせに、人類の科学技術が行き過ぎないようにひっそりと管理・調整している。
「君の思い浮かべた概念はユニークだ。だけど、僕の仕事はそこまで複雑なものじゃない」
「どういう事……?」
「君にはまだ早い。君たちにはまだ早い。それだけなんだ」
「そんな……」
「君は、ここに居ちゃいけない」
「うわあああああっ」
 知覚の中に、強烈な痛みと苦しみが浮かぶ。
「もうここには来るな」
 高杉は、魂にダメージを食らったかのような苦しみ、薄れゆく意識の中で影の声をはっきり聞いていた。
「それでも、君がいずれ『その時』に達したら、僕は君を歓迎するよ」

 うあああああああああ、と自分自身の悲鳴が聞こえ、高杉は強烈に中空から地上にいっぺんに叩きつけられたのが理解った。

  彼は、自由に星星の世界を駆け巡りたかったのに、そこには壁があった。
  それは三途の川の守り人か、死後の楽園の番人なのか。
  いずれにせよ、まだその時ではないと拒絶され、星星の世界への渡航を禁じられた高杉は、ショックを覚えて目を覚ました。

  部屋の隣のベッドには、姉の湊が浅い息を立てて眠っている。
 彼女を起こさないようにそっと部屋を出て、
家の玄関から外に出ていく。遠い夜空を見上げた渚は、あの場所に、実際にあんな存在が居たのだろうか、と考える。

 あの影の言っていた事が正しければ、あれは遠い昔から人類の歴史に組み込まれてきたなにかなのかもしれない。おとぎ話のなかの天使や悪魔になぞらえられるような存在なのかもしれない、と……
 しかし、それと同時に、なんとなく彼は思った。あれは人類が触れるべきものではないのではないか、と……
  何故だ?何故そんな風に感じる?
  あの存在の正体が理解らない。

 

 

 

 

 

 

 


   空を飛ぶ方法

「じゃあ、天塚さんも見たんだ、あの人の事」
「うん。あの後わたし、気分悪くなっちゃって」
 朝霧と天塚が話しているのは、あの、射殺された空飛ぶ高校生の事だ。
「仕方ないよ。人が撃ち殺されているところだよ?警官だって無茶苦茶だよ。いっぱい人がいる前で発砲するなんて事自体」
「空を飛ぶ人間なんてのが居たら、同じ人間と思えなくなったんだろうね。だから、自分に仇なすかもしれない化物を撃ち殺そうとしたんだ」
「まあ、そんなところだろうけど……」
 朝霧と天塚はそんなやり取りをしていた。
「でも、だからこそかな。私は、負けたくないって思ったんだ。たとえ、人間離れした特殊な能力があったとしても、私は人間だよ」
「うん、そりゃそうだ」
「だから、何時かこの力を世間に認めさせたい。そう思わない?」
「まあ、それは理解らなくもないけど、危険な考えだよ」
「そうだね。自分でやるのにはちょっと気が引けるかも」

「良いじゃない、ふたりとも。例えばテレビの見世物になったとしたって、世間に認めさせられれば僕らの勝ちじゃないか。結局、いずれは遅かれ早かれなんだからさ、目標は大きく持ったほうが良いよ」
 二人の会話に、鎌取が混ざってくる。

「でも、現実はそんなに甘くはないよ」
「例の、射殺された高校生の話?」
「うん。空を飛んだ高校生の話。未だに、空を飛ぶ方法だけはよく理解らないな。そういえば……」
「私達も練習してみる?空を飛ぶ方法」
「ああ、そうだね……いずれは解明したい事だ」
 そんなこんなで、今日のシェイプシフター研究会のテーマは『空を飛ぶ』だった。

 校庭の隅の方に、セメントで固められた壁がある。通り抜けられる穴が空いていて、アスレチックの一部として置かれている壁だが、背の高さと同じくらいの高さがある。
  一行は、そこからジャンプする事で、擬似的に空を飛ぶ方法を探ろうとしていた。

「うわっ、とと、なかなかうまく行かないな」
「うわわ、これじゃただジャンプしてるだけだよ」
「あー、駄目だわ。全然うまくいかない」
「うーん、何かつかめないなぁ」
 高杉が、天塚が、愛原が、朝霧が、次々にチャレンジしては失敗していく。

  最初に功を奏したのは、鎌取だった。

「うわ、鎌取くん今……落ちる時、ちょっと浮いてたよ?」
 高杉が指摘すると、鎌取は不思議そうな顔で、
「え?本当に?」
 と返した。
「もう一度やってみて!」
 と言われ、
「うん、わかった」
 と張り切る様子を見せた。

 やがて、鎌取はコツを掴んだのか、浮遊の持続力も飛距離も上がっていった。
「これ、水泳と同じだ。自分が主体となって空を飛ぶ前に、自然に宙に浮かべる感覚で行くのが大事なんだ」

 鎌取は自分の感覚を皆に伝え、皆それを模倣して、だんだんと宙に浮かぶ力を身に着け始めた。

  やがて日が落ち始め、学校から帰る時間になって、彼らは一通り、短時間なりとも宙に浮かぶ能力を身に着けていた。
  
  一行は歩きながら談笑をする。
「しっかし、今日はトントン拍子で行ったなぁ」と朝霧。
「本当にね!ずいぶんと皆、力をつけたような感じがする」と愛原。
「そうだね、今までの自分から一皮剥けたみたいだよ」と天塚。

 鎌取は何か考え込んた感じで見守っていたが、やがて口を開いた。「ねえ、そもそも僕ら、まだまだ成長期だよね。これから先、この力をもっと磨いていけば、とてつもなく強い力になるのかな」

「そしたら、どうなる?」
 愛原が尋ねると、鎌取は笑顔で応えた。
「そうだな……僕たちが、僕たちの存在が、社会を変えられるんじゃないかな」

「どうやって?」
「それは理解らない。でも、きっと変わるよ」

「僕は……不安だな。怖いよ。社会が変わってしまうなんて」と言ったのは渚だ。

「社会はそう簡単に変わらないよ、たぶんね」
 そう言ったのは朝霧だ。

「人が、変わっていっても?」
 鎌取の言葉に、朝霧は頷いた。

「人が、自由に空を飛ぶ時代が来ても?」
「うん」

 鎌取は、残念そうにうつむいた。
「そっか」

 だが、鎌取は顔を上げ、言った。
「それでも、僕は信じたいな。世の中が良い方向に変わっていくって」

 

 

 

 

 

 

   離散の前兆

 非核武装論者の台頭で、政治の世界が荒れているというのが最近のテレビでも新聞でもメディア全体の風潮だ。
  もちろん、これは日本に限ったことではない。南米大陸の大消滅事件から始まったこのムーブメントは、政治の場に怪しい動きをもたらす呼び水にもなった。
  時の総理大臣である日下部順一は、かつて原発復古論者だった頃から鞍替えしていた過去を叩かれ、内閣支持率の低下も顕著だった。その一方で、こういったムーブメントは日本国内では一過性のものに過ぎず、とりたてて対策を講じるほどの動きには繋がらないと論じられていた。
  他方、国外では目まぐるしい動きがあり、核武装のあり方やその安全管理基準について見直す動きが大きくなっている。この数ヶ月、世界各国で随分と法整備が行われたものだった。
 今話題に上る事が多くなっている女性議員の三宮玲子は、昔から原子力関係には一家言あり、事あるごとに軍拡派と戦ってきた古強者だ。
  彼女は、日本始まって以来最も総理大臣に近い女性だと言われ、日本初の女性総理大臣の誕生を後押ししようとする女性解放主義者からの支持も熱い。
 あれから、実際の南米大陸は、南北に大きなクレーターが出来たことで地理的に分断され、国際紛争の引き金となる枢軸国は大きく勢いを絶たれた。
  代わりに世界各国からの復興需要の手、特にUSNAの介入とその影響は大きく、破壊された環境状態の復興のため、協調と協力の時代が望まれていた。
  現在も地方国家での小競り合いが続いているが、鎮圧する力も強まり、世界全体の流れとしては南北アメリカの大きな再編期という様相を呈している。

 三宮玲子はこの期を逃さず、米国政府との協調、国際援助の約束を取り付け、大規模な復興産業の進出で利潤を手にすることに成功していた。

  与党内部では三宮議員の評価が上がっていたが、この一連の流れに異論を唱えていたのは穏健派の坂井秀一議員だ。彼は軍縮主義には抵抗しており、これからの時代だからこそ軍備強化の必要性が問われると確信していた。

 今はいいが、これから動乱の時代が訪れる。
 その危機に立ち向かうためにこの国にはもっと大きな力が必要だ。

 そして坂井秀一には、ちょっとした切り札があった。彼は作戦に打って出る前に、最愛の一人息子に会っておこうと決めた。

  重大な事を決める前、彼はいつも家族を大事にすることに決めている。ただ、最愛の妻である坂井冬美との間には子供は居ない。

  息子の名前は鎌取祐也。かつて離別した女性、鎌取涼浬との間に生まれた一人息子だった。

 

 

 

 

 


   天の眼

 天眼会《てんげんかい》。その名前だけは知っていた。

 何の事かといえば、近頃街中に散見されるオブジェのことだ。四角錐のピラミッドの下部に逆さまのピラミッドがくっついていて、透明な円柱の中に浮いている。そして上部のピラミッドには天の眼を表す意匠が両面に掘られている。
 これは天眼会と言う宗教団体のシンボルマークのようだ。
  最近、街を行くとどんな都会でもこんな感じの意匠をよく見かける。それだけこの宗教団体が街の至るところに食い込んでいる証拠だ。
  
  天眼会は大人しい宗教団体と言われていたが、近頃は力を付けすぎたのか、その存在を疎ましく思う勢力が増え、ヤクザ同士の抗争紛いに発展した、新興宗教の信者同士の諍いが増えた。
  勧誘方法や教義に対する冷静な批判もマスコミから受けていたが、それらはあまり堪えていないようだ。

 一番の問題は、源流を同じくするという宗教団体『召和の光』との確執だ。かつての宗教団体の幹部同士が袂を分かって新しい宗教団体を設立した。この事から両者は多分に仲が悪い。両者は一触即発だった。

 この天眼会のシンボルマークだが、このマークに近い形のシンボルが映画『ザ・シェイプシフター』に登場している。
  このような風刺描写は明らかに既存の宗教に対する皮肉で、設定上はシェイプシフターに屈服した人間勢力のシンボルマークとして描かれていた。主人公は、こんなシンボルマークがそこかしこに並び立つ近未来社会に戦いを挑むのだ。
  
「あのシンボルを見てると、シェイプシフターで主人公がやってたみたいな破壊活動をしたくなる」
「あ、理解る」
 朝霧の言葉に、愛原が相槌を打つ。
「ココらへんにもあの宗教があるんだね。なんかゲンナリ
 愛原の言葉に、鎌取も頷く。
「まあ、見ていてあまりいい気分にならないよね、あれに関しては。何ていうか、見張られているような気分になる」
「実際、あまねく世界を見渡す神の眼、ってのがあのシンボルのモチーフらしいよ」
 高杉は言った。
「よく知ってるね。あれ、正直言って気持ち悪いって思う」
 天塚はそう言った。
「なんで最近ああいうの、増えてるんだろう?」
 愛原の言葉に答えたのは朝霧だ。
「オカルトの界隈では、救世主待望論の機運が高まってるらしいね。南米の一件もあるし、
世界の終わりが近づいているっていう終末思想が最近台頭しているらしい」
「テレビとか見ててもそういうのあるよね」
 天塚も頷いた。

  朝霧は続ける。
「父さんの受け売り。あの手の人々は、科学もこの時代、行き詰まって来てるって主張してて、新しい文化のブレイクスルーが起きない限り人は幸せになれないって説いてるんだってさ」
「科学が、行き詰まりねぇ。考えすぎだと思うけど……」
「そうだね」
「そういう人たちって、どうすれば満足するのかな?」
「さあ。……そうだな、例えば、人が空を飛んだりすれば良いんじゃないの」
 そう言った後、朝霧は少し後悔した。どうしても胸をよぎる光景があったからだ。それは、同じ光景を眼にした愛原も天塚も、苦い思いを感じずには居られなかった。

 


   

 

 

 

 


   湾上特区

 東京アークシティ。それは、近年再開発が進んでいる東京湾の湾岸地帯の事だ。
  居住用メガフロートと埋め立て地による補填で、新基軸の水上都市を開拓中で、水質汚染を伴わない都市拡充を謳った一大事業となっている。
  年々その面積は拡大しており、湾上特区《アークシティ》・東京と通称される。
  シェイプシフター研究会の一行は、休日を利用してこの地域に足を伸ばしていた。
 湾上特区の特色といえば、複雑な立体空中道路と、モノレールだ。
  朝霧たちシェイプシフター研究会の一同は、はモノレールに乗って湾上特区の新都心付近まで来ていた。
  駅の反対側から向こうは、アークシティヒルズと呼ばれる高級住宅地になっている。他方、朝霧たちが出ていった北口から向こうには、百貨店や歓楽街がゴミゴミとして続いている。ここから十分くらい歩くと、オープン初日の科学博覧館が見えてきた。
  博覧館と言っても、だだっ広い高層ビルの下半分をぶち抜いてこしらえられたような形状で、その実態は新種のテーマパークだ。
  各階には『科学』をテーマにしたアトラクションが立ち並び、上層の階は展望台として開放されている。
  鎌取祐也は、たまたまこのテーマパークの初日招待券を貰ってきた。6名まで団体券として利用できる為、シェイプシフター研究会の面々を誘って皆でここに来たのだ。
  チケットをくれた相手は、久しく顔を合わせていなかった実の父だ。
  父は、議員でありながらもかつての来歴から物理学に造詣が深く、このテーマパーク初日公演のゲストとして招待されていた。そこでここで直接落ち合う事になっていたのだ。
  チケットの同封された書簡を見たときには驚いたが、仲間を連れて来れたし、今では良かったと思っている。

 坂井秀一が、大衆の面前において何をしたかと言うと、『空を飛ぶ』と言ったパフォーマンスだった。
  最近の科学技術によって作られたデバイス・ウェアを装着して、一般の人間が手軽に空中浮遊を体験出来るようになったのだ。
  そのモニターを兼ねた試験運転をこの場で披露した。結果は、大好評だった。

 政治家が、下にウェアを着ているとはいえ、スーツ姿で空を飛ぶというのはなかなか迫力があり、カリスマ性の発揮にピッタリだった。これは彼自信もあまり気付いていない効能だった。この後、彼の支持者はいっそう増えることとなる。
  
 なにせ、空を飛ぶ人といえば古くは天使として崇められた一種の肖像だ。空を飛ぶという行為に対する、人の憧憬は計り知れないものがある。
  また、このデバイスウェアは、高所作業を要する各種技術職にも応用が効く。実用性も抜群だ。
  彼は、このシステムを軍事転用することで、歩兵部隊が突如として空挺旅団に化すと言う部隊のあり方を考えていた。
  人対人戦時の強襲には小回りが効くし、災害時の救難活動にも応用が効くのだから、こちらの方もまったくもって言うことはない。

  この最新技術の早期導入によって他国に差をつけるというのが今回の目論見だった。戦略は功を奏したようだ。
  
「人が、空を飛んでたね」
「うん……凄かった」
 朝霧の言葉に追従して天塚は言う。
「でも、アレが機械で出来るようになったなんて。技術の進歩は目覚ましいものがあるね」
「私達が、空を飛ぶ練習してたのも台無しかな?」
「さあね。それは理解らないけど……」

 ひとしきり館内を回って思い思いにアトラクションを楽しんだ一行は、そろそろ帰宅の時間を迎えていた。

  皆が帰宅の準備をする中、鎌取だけがここに残った。
「じゃあ、言った通り。僕は父さんに会ってくるから、皆とはここで。またね」
 断りを入れて、彼は一人父の元へ向かった。

「父さん!」
「おお、夕一」
「凄かったよ、あのプレゼン。カッコ良かった」
「そうか?それは良かった」
「ああ、最高だった」
 鎌取は父を尊敬していた。それは嘘偽りもない彼の思いだった。
  

 

 

 

 

 

 

 

   政治団体

 浅見由佳からのメッセージが届いている。
  鎌取祐也が助けた事になっている、あの時のギャルの片割れだ。彼女からは特に気に入られているみたいで、彼には時々連絡が来る。『ゆーや☆ 今何してる? 今度一緒に遊びに行かない? オシャレなカフェに連れてってあげるよ☆』
『今、久しぶりに父と会ってます』
『お父さん 久しぶりって?』
『父は母と離婚しているんです』
『そっかー』
『気にしないでください』
『私も似たような感じなんだ』
『そうなんだ?』
『うん☆よくある事さ、気にすんなよー』

 そこでトイレに行っていた父、坂井秀一が帰ってきたので、鎌取祐也は電話をしまった。
「なんだ、友達か?」
「うん、まあね」
「そうか、元気にやってるみたいで何よりだ」
 父は、鎌取を高級料亭に連れて来て、ごちそうをしてくれた。個室の席で彼らはくつろいでいる。
「父さんこそどうなの?仕事の方は……」
「まあ、悪くはないな」
「三宮議員と確執になっているとかって噂だけど」
「とんでもない!三宮議員は障害じゃない。俺は、彼女は信頼できる、手を取り合える相手だと思ってる」
「そうなんだ。意外だな」
「ただ、三宮議員の後押しに、新しい政治団体が裏で動いてるらしい。そいつらの動きと状況次第では敵に回ることもあるかもしれんのは確かだ」
政治団体?」
「古くからの派閥が世代交代で再編されてな。宗教かぶれの癒着もあるって話だ、けしからん」
「それは怖いな」
「まあ、気にするな。こちらはこちらでちゃんとやってる」
「まあ、そういうのは任せるよ」
「今回はどうだった?お前にはつまらなかったかもしれんな」
「いや、久しぶりに子供みたいに楽しめた。ありがとう」
「お前は俺からすればまだまだ子供だよ」
「はは、そうだね」
「ああ、まだまだ甘えてくれて良いんだからな」
「こんなに楽しいのは、5歳の頃のテーマパーク以来だ」
「そうか」
「懐かしいな。従姉妹の瑞葉姉さんに連れて行ってもらったんだっけ」
「瑞葉ちゃんか。懐かしいな」
「うん、元気にしてるかな」
「いや、聞いた話だと彼女は今は……」
「え?何かあったの?」
「ああ、彼女は今、宗教団体の『召和の光』に居るらしい」
 鎌取は愕然とした。

 

 

 

 

 

 


   カウンセリング

 久しぶりに会った従姉妹の顔は、暗い影が落ちていた。
「久しぶりね、祐也くん」
「ええ、お久しぶりです、瑞葉姉さん」
「連絡があってビックリしたの。何かあったのかと思ってちょっと心配しちゃった」
「いいえ、僕は大丈夫ですよ。瑞葉姉さんこそお変わりはないですか?」
「私は元気だよ」
 微妙な感触だった。健康体であることには変わりがなさそうだが、どうも心理的に引っかかるものがありそうに鎌取には見えた。
「なんでも、新興宗教に入信したとかって……噂で聞いて、心配してたんです」
 鎌取は思うところを率直に言った。
「召和の光ね」
 瑞葉は悪びれもせずに答えた。
「ええ、やっぱり……」
「召和の光はね、悪い団体ではないんだよ。宗教と聞いて嫌なイメージしか持てないのかもしれないけど、それは偏見ね。教義を守る事で自分の人生にプラスになるような事を学べるし、団員同士の交流も厚くて、人付き合いの輪も広がって、社交的な人生が楽しめるんだよ。それは案外に悪いことじゃないの」
「本気で言ってるんですか?」
「うん……まあ、表向きはね」
 鎌取祐也はため息を付いた。
「ほら、すぐに本音が出るじゃないですか」
「まあ、そうだね。白状するよ。さっき言ったことは、半分は本当だけど、もう半分は嘘だよ」
「何があったんです?」
「彼がね」
「恋人さんですか?」
「まあね。たまたまだったんだよ。たまたま出来た恋人の家が、宗教に染まっていて、彼も私もそこに組み込まれただけ」
「そうなんですか」
「召和の光の活動自体はそこまで辛くないけど、お布施は少し辛いかな。彼の家はそれなりにお金持ちなんだけど、私は違うから。何回もお金を借りて、親にももう見放され気味なの」
「逃げればいいじゃないですか」
「彼、私が居ないと駄目なのよ」
 月並みなセリフだった。
「瑞葉姉さんはもっと自分を大事にすべきです」
「はっきり言ってくれるね。でも、仕方ないのよ。どんなに大人になっても、自分の気持ちは案外どうにもならないものなんだ」
「でも……」
「いつか理解るよ、君も大人になったら」
「そうですか……」
「さ、話はコレで終わり。もう良いよね?」
「ええ、仕方ありませんね」
「うん……でも、本当に、心配してくれてありがとうね。それだけは言っておかなくちゃね」
「何かあったら、連絡ください。今は違うかもしれないけど、いずれまた考えが変わるかもしれませんから。相談に乗りますよ」
「大人だね、祐也くんは」
「いえ、そんな事ないです、じゃあ、またいずれ」
 藍村瑞葉は弱々しく微笑んで、やがて去っていった。

 

 

 

 


   特進クラス

 国家主導の新しい学校教育制度が国会で認可されるが否や、見計らっていたように教育現場は慌ただしく動き始めた。

  朝霧夕一は、担任の教師に呼ばれ、職員室で話を聞いていた。

「特進クラス、ですか」
「そうだ。今度から新設される新しい学級制度でな。選定された生徒には、少数精鋭で特別なカリキュラムを行う特進クラスに入ってもらい、学習水準を高めてもらうという制度だ」
「そのクラスに、僕が?なぜ?」
「何故って、自信が無いのか?」
「いいえ、ただ、成績にしろスポーツの実績なんかにしろ、僕より確実に評価の高い生徒はたくさんいると思うのですが。何故僕なんかが?」
「ああ、教職員側からの特別な評価項目が色々あってな。ただ単に優秀な生徒ではなく、新しいカリキュラムに対し適正値が高いとみなされる生徒が選出されるんだよ」
「そうなんですか……?まあ、僕としては別に構いませんが……」
「うむ。じゃあ、多分推薦しておいた通りに受かるからな。来年からお前は特進クラスの生徒になるということだ。一応、親御さんにも一言言っておいてくれ」
「わかりました」

 帰りに、シェイプシフター研究会の仲間にこの事を打ち明けた。すると、意外な反応が帰ってきた。
「私もその、特進クラスに入ることになったんだ。来年からは同じクラスなんだね」
 天塚恵の一言だった。
「ちょっと待って。私もその、特進クラスに招待されたんだけど?」
 そう言ったのは愛原美波だ。
「偶然だね、僕もそうなんだ」
 鎌取祐也も前にならったように、追従した。
「ぼ、僕は補欠だけど……もしかしたら特進クラスに入ることになるかも、って先生に言われたよ」
 おどおどしながら言ったのは、高杉渚だった。

「じゃあ、この五人全員が特進クラスに入ることになるかもしれないんだ?」
 天塚の一言に、愛原は残念そうに言う。
「なんだなんだ、私ったら特別な存在?って思ってたのに、みんな同じかー」
「いや、特進クラスは通常のクラスの半分くらいしか入れないっていうじゃないか。ここに居る五人ともが特別なんだよ」
 鎌取の言葉に朝霧は頷き、
「変な話だな。僕たちは確かに、シェイプシフターごっこっていうオリジナルな才能を持ってはいるけどさ……もしかしたら、それがバレて学校に特定されてるのかな」
 と、疑念を口にした。

「じゃあ、特進クラスに合格したのは、シェイプシフターごっこが出来るから?なんとなく、ありえなくは無さそうだけど……」
 天塚の言葉に愛原は反論する。
「でも、先生たちには何も言われてないじゃない。どうやってシェイプシフター研究会の事を知ったと思うの?」
「もしかしたら、血液検査……」
 鎌取祐也は呟いた。

「血液検査……?そうか、タイミング的にはバッチリだ。た、確かに何の関係もないとは思えないな……」
 高杉の言に、
「じゃあ、そうでなくとも、血液検査の時に遺伝子検査でもしたのかな?先生は、特進クラスへの適正が条件だって言ってたけど、特定の性格傾向を遺伝子パターンから予めゾーニングしていたとしたら……」
 朝霧は言った。
「どうかな……確かに、免疫や傷病に係る特定遺伝子の傾向や、染色体の基質によって、人の性格に影響を及ぼすことはありえるのかもしれないけど……」
 鎌取はうーん、と唸り、考えを述べる。
「でも、確かにこれは何らかの関係がありそうな気がするな。あのタイミングで血液検査、疫病の対策だけだったとは思えないし」
「何にしても、きな臭くない?なんか陰謀がありそう」
 愛原は憤ったように頬をふくらませる。
「あまり信用しないほうが良いのかもね、この制度自体は。そもそも、特進クラスで何をするか、私達にはまだわからないし」
「でもさ、恵ちゃん、このご時世だからさ、特進クラスで勉強できる事自体は、良い方向の実績を作るって意味では良いと思うんだよね。まあ、そうやって生徒に餌をチラつかせておいてなんか色々思惑がありそうだってのは気に食わないけどさ」
「まあ確かに、特進クラス在籍自体は将来にプラスに働きそうだけどね、どうかな……」
 高杉は言った。
「ま、まあでも、今後この五人で同じクラスになれるなら、それは良いことだと思うな。みんなで集まる手間も省けるし……」
 鎌取は頷いた。
「それは、そうだね」
「そんなこと言っても、渚くんはまだ補欠扱いみたいだけどね」
 朝霧が苦笑交じりに言うと、
「うん、でも、皆で行きたいね、特進クラス……僕はそう思うよ」
 と、高杉は目を輝かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   三葉虫

 父母に特進クラスの件を話すと、手放しに喜ばれた。
「凄いじゃないか、夕一。さすがは俺の息子だ」
「特進クラスって、どんな事を教わるのかしら?」
「まだわからないよ。でもレベルが高い教育を行うみたいな話だから、ついていけるか心配だな……」

「俺の聞いた話だと、特進クラスだけじゃなく、特進学校みたいなものもあるらしいな?」
 父、誠司が言うと、母、爽子は合いの手を入れる。
「あら、そうなの?」
「ああ。……なんでも、新しく出来た中学校なんだけど、そこに特進クラス制度が組み込まれたらしい……各地から特別に選抜された生徒を集めてるって話だ。来年から実施されるんだろうけど、夕一はうまくすれば再来年あたりからそっちに行くことになるのかもな?」
「そうなのかぁ……」

「まあ、夕一ならたぶん何処でなりとうまくやれるさ」
「そこまで信頼されてもなぁ」
「そうね。少し心配といえば心配だわ。でも、私達の息子が出来の悪い息子なわけないものね」

 父母のおだてる会話に辟易して、夕一は
「それより、ふたりとも仕事の方はうまく行ってるの?」と尋ねた。

 誠司は、眼光を鋭くきらめかせて、メガネを直す。
「実はな、南米の件、とんでもない事になってるんだ」
「へえ、どんな?」
「未知の生き物が見つかった……みたいな事だ」
「未知の?」
「でもな、実際には発見されなかっただけで、化石は幾らでも見つかってる既知の生命体だったんだよ。ほら、知ってるだろ?古代の三葉虫ってヤツさ」
「え?あの絶滅したヤツ?」
「そう。三葉虫によく似た……というより、全く同じ生物が南米クレーター周辺の海に現れたんだ」
「嘘みたいだ、博物館の中だけの存在だと思ってたのに」

「他にも絶滅したと言われる微生物がいくつか見つかって、生態系の崩れが指摘されている。三葉虫の出現にしろ、大爆発の件と無関係ではなさそうだな。どうも、大規模な水質調査を行わなきゃいけないってことで、準備が進んでる。俺も多分出張で行かなきゃいけなくなるな……」
「そうなんだ……その時は、頑張って」
「ああ。俺が居ない間、寂しがるなよ?」
「まさか。大丈夫だよ、心配しなくても」
「そうか」

「最近夕一、帰りの遅い日が増えたわね」
 爽子の言葉に、誠司は、そうだな、相槌を打って、
「なんだ、彼女でも出来たか?」
 とからかうようなことを言った。
「友だちと遊んでるんだよ」
 と夕一が言うと、爽子は笑って、
「それなら良いけど。彼女が出来たなら紹介なさいよ」と言う。
「もしそうだとしても、やだよ。おせっかいだなぁ」
「でも、友達と仲良くしてるなら安心だな。仲間は大事にしろよ。ガリ勉になっても面白いことはないからな。俺も若い頃、そんな時期があってな」
「肝に銘じておくよ」
 誠司の言葉を、夕一は苦笑いして受け流した。

 

 

 

 

 

 

 

   バッテリー

 朝霧夕一は放課後の教室で、新しい可能性を披露した。
「モバイルのバッテリー?」
「そう。スマホのヤツ。電池切れでさ」
 朝霧はスマートフォンにバッテリーを嵌めたが、スイッチを入れても電源は入らない。電気残量が無いとメッセージが出てすぐに画面が切れる程度だ。
 朝霧はそのバッテリーを手に持ってシャカシャカと振った。
「何やってるの?そんな事やっても充電できないよ……いや?まさか……」
 愛原の言葉に、朝霧は微笑んで返した。
「そのまさかだと思うよ?」
 朝霧の手を通じて何かが流れ込むような印象を一同は描いた。
「ザ・シェイプシフターにもこんな一説がある。『はじめにイメージが有る。パーティクルがイメージを構成してるんじゃない。イメージがパーティクルを誘導するんだ。イメージが物質のシェイプをシフトさせるんだ』……ってね」
 朝霧はそれをスマートフォンに嵌めた。電池残量は80%を僅かに超えていた。
「何故だかなかなか 100%充電にはならないんだけど、とにかくこれだけでバッテリーを充電できる事がわかった」
「電気の流れを操ってるの?」
「さあ。大気中の電気を集中させてこのバッテリー用にアダプトするようなイメージでやってるんだけど、なんで上手くいくのかはよくわからないね。ある程度専門的な知識が要るのかも知れないけど、結局はイメージ頼みだよ」
 朝霧は笑った。
「でも、こんな事ができるんだね」
 天塚はとても感心したように彼を見ている。
「人間発電機かー。なんかすごくない?今までと違って平和的活用もできそうじゃない」
 愛原は面白がった。
「これなら新しいエネルギー源の発見として歴史に名を残せるかもよ」
「そしたら僕は一生人間電池か?」
 朝霧は苦笑いした。
「シェイプシフター・エレサーキットか……僕もやってみようかな」
 高杉が名乗り出たので、朝霧はにやにやしてそれを勧めた。
「うん、やってみなよ。本当に難しいんだ、これ」
 事実、その日は朝霧以外誰もその現象に成功しなかった。これはシェイプシフター研究会においては珍しいことだった。
  電子機器に作用するため、才能や適正が問われるのかと朝霧自身思ったほどだ。
  ここで、将来的にはシェイプシフター能力も個性豊かな力になっていくのかも知れないと彼は考え始めるのだった。
 しかし、彼以外の者も、この能力の才覚が将来的に必要になる時が来て、将来的に助かる事になるのだが、この時点では知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 


   デートプラン

 鎌取祐也は、駅前で待ち合わせをしていた。
  十五分前には指定の場所に着き、待っている。父に教えられたことのひとつで、大事な待ち合わせには早めに来るくせがあった。
  相手が現れたのは待ち合わせの五分前くらいのタイミングで、相手は鎌取の姿を見るなり、慌てて時計を確認していた。
「ごっめーん、待った?早めに来たつもりだったんだけどなぁ」
 その相手は、以前知り合った女子高生の浅見由佳だった。袖のない白いブラウスに、白いキャップをかぶって現れた彼女は、以前よりもおめかしをしている様子で、鎌取は好意を抱いた。
「いえ、僕が早く着きすぎただけです。気にしないでください」
「そう?それなら良いけど……」
「あ、いえ、僕も今ついたところなんです。本当は。全然待ってないから、気にしないで」
「あはは、何それ。気を使わなくたっていいよ」
 彼女の屈託のない笑みに、鎌取祐也は、頬を赤く染め、うつむいてしまう。
「さて、じゃあ、何処に行こうか」
「実は、色々調べてきたんです。とりあえずは、向こうのショッピングモールで色々見て回りましょう」
「あ、凄いなカズくん。気合い入れてデートコース考えてくれたんだ」
「デートなんて、そんな。僕まだ小学生ですし……」
「そう?私はカズくんの事、好きだけどな……」
 鎌取は、赤くなって咳き込んだ。
「あ、ありがとうございます……」
「もう、照れちゃって可愛いなー」

「そ、そういえば羽鳥江見さんはどうしたんです?」
「今日はなんかね、江見、用事ができて来れないかもって。もし行けたら途中から行くから勘弁してって、電話で言ってた」
「そうですか……」
「奇しくも二人っきりってことになるね」
 鎌取はその悪戯な笑みにドキンとした。
「あはは、なんか、私も照れくさいなー。じゃ、行こうか。今日は遊び倒したいね……」
 ええ、と頷いて鎌取は追従した。

 二人は、ショッピングをして、適当に昼食をつまんで、二人で映画を見て……本当に、本当に楽しいひと時だった。
  二人は、普段喋りにくいことまで口にして、親密に言葉を交わした。
「由佳さんの両親も、離婚してるんでしたよね」
「ああ、うん。カズくんのご両親もそうなんだよね?」
「そうなんです。両親にとっては仕方ないことだったと理解はしているんですが、どうしても少し悲しくなってしまう時もあって……」
「そっかー。私も似たようなもんだよ。私の場合は、結構親と喧嘩もしてたけどね」
「そうなんですか?僕は、だいぶ小さい時に離婚してるんで、わけもわからないままだったんです」
「うーん、そうだな。私は、親と自分は違う人間だもんねって。だから、何を言っても仕方ないって思うようになったよ。でも、両親に不満を持っても仕方ないと思うのに、カズくんは偉いよ」
「うーん……そうなのかな」
「うん。私はなかなか親と仲直りできない時期あったもん。そこを行くとカズくんは大人だなーって思う」
「そんな事ないですよ。永遠に続く愛は無いのかなって、ずっと思ってますもん」
「そっかー……いいね。永遠に続く愛かー……あると良いよね……」
 鎌取にとっては人に話したくない触れづらい話だったのに、気づけば自分から色々と打ち明けていた。鎌取の人生にとって初めての経験だった。いつの間にか心が軽くなっていることを感じた。彼女の屈託のない笑みは鎌取にとって救いだった。

  時を忘れて遊び歩く二人に、それでも時は迫りよる。気づけば夕方になって、日が落ちつつあった。
「あー、今日は楽しかった。そろそろ帰んなきゃね」
「ええ、そうですね」

 駅前に戻り、別れの挨拶をしようとしたその時、そこで、鎌取の携帯が震えた。
  メッセージは藍村瑞葉からだった。
 短く「助けて」とだけ書いてあった。鎌取の全身が震えたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


   救出作戦

 少し調べると、天眼会の教団員が複数名、召和の光の本部に討ち入りをして暴れ回ると言う事件が起きている事がわかった。テレビでも新聞でも取りざたされている事だ。
  鎌取祐也は、藍村瑞葉が召和の光の本部に居ることを確信した。

 教団本部は大きな門で閉ざされていて、周りは城塞で囲われている。門前には長い石造りの階段があり、その下の道路にパトカーと警官隊がたむろしている。
  鎌取祐也は、見つからないよう慎重に行動し、城塞の瓦上に飛び移った。驚異的な身体能力だった。3m近くもある城塞の上にひとっ飛びで乗り移ったのだ。
  内部は屋敷づくりの古風な建造物群で出来ていた。大きな池を傍目に、本丸と思しき建物に近づいていく。
  警報システムがあるんじゃないかと思っていたが、作動しているのかどうか理解らない。そもそも襲撃騒ぎの最中にあって、悠長に警備しているのかどうかも理解らない。
  鎌取は、ひとまずなにもない事に安堵し内部に潜入を開始した。

 犯人グループ達とはすぐに行き当たった。本堂の中に立てこもって本部を封鎖している。鎌取は、数十人くらいも居る人質たちの中に藍村瑞葉の姿を認め、途端に動き出していた。

「何者だ、貴様!」
 鎌取は答えず、シェイプシフター能力を使う。空気が圧縮して弾けるイメージ。凶行に及んだ犯人達の頭が次々に、見えない力で弾む。あっという間に犯人達は気絶してしまっていた。
「瑞葉姉さん!」
 鎌取はつかつかと藍村瑞葉の元に向かい、うずくまっている彼女に手を差し伸べて助け起こした。
「あ、ありがとう祐也くん……でも、どうして……」
「連絡くれたでしょう」
「え、ええ……この有様でしょう?いろんな人にデタラメにメッセージを出しただけなんだけど……まさか祐也くん本人が来ちゃうなんて……」
「まだ危険かもしれない、早く帰りましょう」
 鎌取は促したが、その背中に銃口が向けられていることに藍村は気付いた。
「祐也くん、後ろ!」

「このガキ……!ハジいてやる」
 人質に紛れていた犯人の一人が拳銃で鎌取の頭を狙っていた。どよめきが起こる。
「やめろ!」
 鎌取が軽く叫び、右手をかざすと、男の拳銃は暴発した。
「奇跡だ……」
 誰かがそう呟いた。

「奇跡の子……救世主では?」
「救世主……救世主か……!ついに……!」
 鎌取祐也という存在が、ある種の伝説となった瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

   救世主の噂

 三宮玲子議員は、部下である芦原の報告を聞いていて腑に落ちなかった。
「今、なんて?」
「ですから、正体不明の第三者の乱入によって事件は鎮圧されたと……」
「正体不明とは?」
「さあ……それがまるっきり不明なんです。武装した集団を少人数で鎮圧するなんて、なかなか出来ることではありませんよ。最初は、召和の光教団員が武装していたのかとも思われていたのですが」
「はあ……しかし、それでは理解りませんよ。手がかりはないのですか?」
「妄言だとは思われるのですが、救世主が現れて私達を救ってくださった、と。被害者の一部が……」
「救世主……?それは一体……?」
「不明です。しかしながら……言わせていただくと、今回の件に関してはおかしなことが沢山あります。犯人グループの使っていた銃が不自然に暴発していたことなどもそうなのですが」
「銃が暴発……?続けて」
「拳銃が、ちょうどこう、熱でも圧力でも、自然疲労でも不自然な感じにねじれて暴発していまして。科学鑑定にも出されたものなですが、ちょっと現代的には考えられない暴発の仕方だったと言うのです。しかも、事件の最中に作為的に暴発させられたかのような裂け目が見つかって……」
「どういうことです?」
「さあ。超能力者でも居たのではないでしょうか?銃を暴発させられるような超能力者が。バカにしているのではありませんよ。そうとしか思えないんです、実際に」
「それは……由々しき問題ですね。実際にそんな者が居ればの話ですが……」
「それと、これはあまり関係ないと思いますが、事件の後、現場周辺で坂井議員のご子息が発見されています。なんでも、親戚が事件の現場に居たとかで、心配位になって見に来たのだとか」
「坂井議員の?」
「ええ。名字は違いますが、名前は鎌取祐也。前妻との間の子だそうで」
「……そうですか」
「写真もありますよ。物腰柔らかな眼鏡の少年だ」
「ちょっと見せてください」
 三宮玲子は、芦原から写真を取り上げてじっと見つめた。
「なんだか、気になりますね……ちょっと彼のことを調べてください」
「おや、この少年が事件に関与していると?」
「いえ……ただの直感ですよ。近い将来、この少年に関して何かが大きな事が動くかもしれない……そんな気がします」
「なぜ?いえ……まあ、そうですね。彼が万一関わっていたなら、政治家と宗教家の結託のようなスキャンダルにも結びつくかもしれない。一応洗っておいて損はないでしょう。三宮議員の直感はよく当たりますからね、信用します」
「ありがとう。そうしてもらえるかしら」
 芦原が部屋を出ていってから、彼女は考え込んだ。
ーー似ている、あの時の少年に。
 三宮玲子は、事故に巻き込まれ生死の境を彷徨ったことがある。その時、彼女は近い未来に君臨する救世主の少年を見た。遠大なる夢の中でーーそれは、彼女の秘めてきた行動原理、政治家としての野心の向かう全てだった。
  救世主の少年をなんとしてでも見つけ出し、助けるために活動する。それが彼女の目的だった。
ーー鎌取祐也。偶然かもしれないが、私が到来を確信している救世主は、彼なのかもしれない……三宮玲子は、神の啓示にも似た光を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


   ヒーローの友達

 放課後、朝霧夕一は鎌取祐也を呼び出した。
「誰か、ヤッてきただろ?なんとなく理解った」
 鎌取祐也はキョトンとして、それから乾いた笑いを見せた。
「敵わないな、朝霧くんには。そうだよ、シェイプシフターで人をやっつけてきた」
「まさか殺しちゃいないだろうけど……」
「親戚が事件に巻き込まれてしまって。助けに行ってきたんだ」
「そうか。でも、理解るんだ。僕も最初は思い悩んだから。この力で人をヤッてきたヤツは、顔を見ればなんとなく理解る」
「そっか」
「でも、相当深刻そうだ」
「拳銃を向けられたんだ。銃口が僕に向いて。僕は慌てて、とっさに力を向けた。そしたら、銃が暴発して、相手の手指が吹き飛んで……」
「何があったんだ?」
「天眼会だよ、例の宗教団体が、もう一つ、召和の光っていう宗教団体とぶつかり合って、召和の光に恋人が居る親戚の姉さんが……」
「ああ……あの事件か……」
「そうだよ。テレビでも新聞でもやってたよね」
「じゃあ、一人で行ってあんな事件を解決してきたのか」
「まあ、結果的にはそうみたいだね……」
「凄いよ、鎌取は。ヒーローそのものじゃないか」
「そう良いもんじゃないよ。あの時も確か、救世主扱いされたけど……」
「それって、外のああいう人達?」
「うん……」
 二人は学校の窓から校門の外を見下ろす。そこには複数の大人たちがたむろしていた。

 召和の光の信者たちは、救世主と見込んだ鎌取祐也を見て小さな呻きを上げた。そのうちの一人、初老の女性が、感極まって「救世主様、救世主様……」と握手を求めてきた。
 鎌取はぎこちなく応じ、その様を朝霧は見ていた。
「この人達、誰?」と高杉渚が近づいてくる。
「ふたりとも、今日はどうかしたの?様子がおかしいと思ったけど……」
 鎌取は「色々と事情があって……」と言う。
高杉は、教団員たちに近づいて、「彼になにか御用ですか?じ、事情はわからないけど彼、困ってると思うんです。今日のところはお引取り願えませんか……」と声を掛ける。
「彼のお友達ですか?ですが、我々も譲れないのです。彼は救世主だ」
「救世主?」
 キョトンとした高杉に、朝霧は首を横に振る。
「で、でも……」
「救世主様、どうぞ我らとともにお越しください。最大限の歓迎をします」
「いや、僕は……」
 鎌取は気まずそうに堪えるが、彼らは引き下がらない。
高杉は、朝霧の顔を見て、
「……どういう事情かわからないけど、僕、
鎌取くんを護らないと……」と言った。
「どうするんだ?」と朝霧が言うと、
「朝霧くん、見てて。最近気づいたんだ」

「さあ、救世主様、来てください。我らとともに、さあ……」
 教団員の一人が鎌取の手を取ろうとする。しかし、その時初老の女性が声を荒げた。
「やめなさい!困っているでしょう!」
「えっ?し、しかし……」
「彼は救世主ではないわ!帰りましょう。私達が居たら彼の迷惑なのよ」
「そ、そんな。貴方が言ったんじゃないですか。救世主様を見初めに行こうと」
「気がついたのよ。以前のことは、私達の胸に秘めたまま忘れましょう。それが良いわ。さあ、帰りましょう」
 初老の女性はそう言ってものすごい剣幕で
他の教団員を嗜めた。やがて彼らは帰っていった。
 その間、高杉は軽く目を閉じ胸の前で手を握りしめていた。
 彼らが帰った後、高杉は目を開き、ふう……とため息をついた。
「今のって、まさか……催眠術みたいな?」
 高杉は、首を横に振った。
「それどころじゃないよ。洗脳術だよ。これ。相手の意識を乗っ取っちゃうんだ。相手の中に入り込んで憑依して、相手の心をプッシュするんだ」
「いつからそんな事が出来るように?」
「わからない。でも、本当に出来るって気付いたのはつい最近だよ」
「そっか」
「怖いんだ、朝霧くん、鎌取くん……この力は、世間にあって良いものじゃないと思うんだ」
「確かに、そうかも知れない」
 朝霧は頷いた。しかし、鎌取は言った。
「でも、僕は助けてもらった。それは確かだ」
「そうかな……そうだね……でも……使いたくなかったんだ」
「シェイプシフター・アダプテッドか……人の心を乗っ取ることまで出来るなんてな……」
 朝霧は俯いて考え込んだ。
「僕たちは、少し簡単に考えすぎていたのかな?」
 鎌取は言った。しかし朝霧は答える。
「それでも、僕らは力を持ってしまった。それだけが現実だよ」

 


   即位

ーー見つけた。
 そう言われた。言ったのは誰だったか。鎌取祐也は朧気な意識の中で、それを探る。夢の中にいるかのような朦朧とした感覚だ。ーー否、実際に彼は眠っていたし、夢を見ていた。
  しかし彼の感覚は次第に鋭敏になり、夢の中で覚醒しているかのような状態になった。
「君は、誰?」
 鎌取は恐れることなくそれを尋ねた。
「僕は、エデンーー君たちとは違う世界から来たもの」
「違う世界?」
「遠い宇宙の彼方からーー」
 それは、白い、形のない、でも姿のある影だった。影は人間のような仕草で鎌取を指さした。鎌取の姿は夢の中であるのも関わらずはっきりとしている。
「君は、達したんだ。そこに至ったんだ。だから、僕らを継承するべきだし、その義務すらある」
「義務?」
「僕たちは我慢してやってきた。ずいぶんと辛抱してやってきた。その見返りを、約束を果たす時が来たんだよ。人間が、その先に進むときを君が指し示すんだ」
「僕はーー救世主とか言われたけど、そんなんじゃないよ。僕は僕だ。ただ僕であるだけなんだ」
「違うよ。君に限ってはね。救世主を名乗る資格だってあるだろう。君は新たなる世界の王になるんだ」
「王様?」
「そう!」
 影は、けらけらと笑って続けた。
「この世界は、もう長くないうちに、どん詰まりを迎えると言っても良い。その時、世界を救う王が現れて、人々を導くんだ。それはそれは美しい英雄譚になるかもね。君は、その主人公だーー良いかい?」
「でも、僕は主人公なんて……」
「君はヒーローだよ!その資質のある人間だ。僕が見込んだんだから間違いない」
 影は、背後を指さして指を振った。
  そこには、美しく象られた扉があった。
「これは?」
「主人公なら、開ける扉さ」
 鎌取がその扉に近づくと、扉はゆっくりと音を立てて開き始める。そして、その先には世界が広がっていた。青い地球が見えた。それは少しずつ黄ばんでいく。見える青は少し緑色になり、地上の大陸の輪郭が少しずつ拡大して、砂漠みたいに見るからに荒れた地が増えていく。
「これは……?」
「この地は、かつて人々が好き勝手にやってしまった。そのつけが今、来ている段階なんだ。でも、人類はしぶといだろうね。大宇宙の常ってヤツさ。だけど、君たちだけじゃ越えられない壁がある。それを僕たちは伝えに来ているんだ」
「世界は、滅びるの?」
「いいや?しかし、君たちの心がけ次第だね。
もうすぐ、もうすぐさ!とんでもない事象が吹き荒れるのは!その時、君たちは何を思うだろうね?僕たちはね、君たちに少しでも幸せになってほしいんだ」
「そのためには何をすればいい?」
「君が、王様になることを決めてくれること」
「僕が、王様に……」
「今はわからなくても良い。いいね、だけど、君は今、『エデン』を即位したんだ……」
 鎌取の中に、僅かに流れ込んでくる何かがあった。それが何なのかわからないが、彼は涙を流していた。妙にサラサラとした涙がつつとこぼれ落ちる。夢の中で、彼は自分の変質を自覚していた。
  もしも世界が滅びたり、なくなったり、衰退しようとするようなことがあれば、僕は確かにヒーローにだってなりたい……そう彼は思った。だけど……本当にこれは望むようなヒーローか?
  その朝、鎌取は珍しく、遅刻しそうになるギリギリまで深い眠りに入っていた。寝坊したのは久しぶりだった。

 

 

 

 

 

 


   粒子衝突

 その日、日本の中部にあった粒子加速器の施設が崩壊し、汚染物質がダダ漏れになっていることが報じられた。風もなだらかな日で、汚染は最小限に留まったとされたが、日本の歴史に残る大事故の一つとして後世の汚点になるレベルだった。

 朝霧夕一は、科学者である両親の話を聞いてナーバスになっていた。
「事故で流出した物質は、この世の既存の枠組みを超えた物質なんだよ。粒子加速器による衝突実験でのみ観測されていたんだが、実験室の外に出てしまったんだ。これがどういう影響を環境に与えるかわからない」
「どういう物質なの?」
「トランス時間物質(タイムレートマター)だ。通常の物質には通常の時間が流れている。しかし、この物質は時間の進行方向が3次元を超えて複雑化して、通常の時間に対して直角に近い方向に時間の流れ方がシフトしていると言われているんだ」
「どういうものか、いまいち想像がつかないな」
素粒子衝突実験でな、熱伝導性がすごく低い新しい物質が出来た時期があったんだ。みんなこぞってこの新しい物質を作ったもんさ。しかしな、それは加熱する事で別の軸にエネルギーを伝達することがわかった。この物質を込めた真空の管の中の熱状態が不自然な波形を持って遷移していたからだ。これは、通常の時間軸に巻き付くみたいに新しい時間軸が出現して変化を及ぼしているみたいだった。既存の物質・空間論が覆るくらいの大発見さ。まだこの現象を説明付ける理論が見つかっていないくらいでな。当然、新しい技術に活かせないかと模索されてもいたが、なかなか答えが出ないままらしい」
「ふーん……難しいな。でも、時間が遷移するなんて、とんでもない事だって事はわかるよ」
「うん、それがわかるならいいんだ。流石は俺の息子だ」
「大げさだな。でも、人がそれに触れたらどうなるんだろう?」
「そりゃあ、別の時間軸があるってことはだ。別の宇宙に通じている可能性があるということだよ」
「どういう理屈で?」
「そればかりは俺にもわからん。だが、マルチバースと言うだろう。別の宇宙へのブリッジみたいに働く可能性があると思うんだ。熱や重力によって違う時間軸の宇宙と連絡を取る回路みたいに」
「ふーん……それじゃ、それに触れたらパラレルワールドにでも迷い込めるのかなぁ」
「まあ、まさか、だけどな」
「汚染物質なんだから毒性なんじゃないの?」
「そうだな。だが、あまりに通常の環境に存在しない物質だから。どういう影響があるかわからない。だから怖いんだよ」
「確かにね……」
 家で話を聞かされた時には何も思わなかったが、学校で授業を受けていると、曇り空の向こうに汚染物質が飛んでいるかと思い、少し憂鬱になった。
  学友たちは何も知らない……
 僅かに粒子加速器の話題を口にする生徒も、「これで世界が汚染されて滅びちゃうかも知れないぞー」
「またまた。そんなのありえないしー」とかふざけあってる。

 放課後、シェイプシフター研究会で集まった時、これについて話題を出した。高杉と愛原はよくわからないようだったが、天塚が食いついた。
「私思うんだけど、こんなふうにシェイプシフター能力に目覚めた私達がいるってのは、なにか意味があることだと思うんだよ。何か、世界に変わったことが起こって、次第にシェイプシフター能力が必要になる時が来るんじゃないかって、何となく思う。だから、それこそ何が起こったって不思議じゃないよ。それがどんなきっかけであったとしても」
「じゃあ、マルチバースの次元から悪い宇宙人が攻めてくるとか、そういう事もあり得るのかな?」
 高杉はなんとなくそんな事を言った。
「いや、ありえないでしょそれは」
 愛原に速攻で突っ込まれたが。
「良い宇宙人なら……」
 鎌取は言った。
「そうでなくても、敵じゃない宇宙人なら居るのかな?」
 高杉は頷いた。
「居ると思うよ、宇宙人。たぶん……夢の中で会ったもん」
 鎌取も頷いた。
「奇遇だね、僕も夢の中で宇宙人と会ったんだ」
 愛原は苦笑いで、
「ふたりとも、本気なのー?」
 と言った。
「まあ、いるかも知れないし、いないかも知れないけど」
 天塚はそんなふうに言った。
「宇宙人はともかく、なにか大きな事が起こる時代かもしれないね。現に、南米は消えてしまった」
「そうだよね。南米の件も、私達から見れば『そんなもんなのかな』だけど、大人からすればもっと『嘘だろ』って感じみたいだし」
「未だにニュースが嘘をついているって言う大人も居るくらいだからね」
「まあ、それくらい信じられない出来事なんだよね。この国だって、いきなり消滅しましたなんて事になったらびっくりするし」
 その言葉を聞いて、朝霧はなんとなく想像した。
  土地の消滅なんて簡単には考えられない。
 南米の一部は、本当に消滅したのか?トランスタイムレートマターなんてものの存在を聞かされた今では、じゃあ南米は何らかの力でマルチバースの彼方に飛んでいったのかも知れない……例えばそんな可能性を考える。
  朝霧の考えは、奇しくも間違っては居ない方向性の上にあったが、正解でもなかった。

 

 

 

 

 

   シェイプシフトの海

 幻のような時間があった。夜中、トイレに起きて、用を足して引き返す時、家の廊下にもやもやした空間を見つけた。そこに入り込んだら、気がつくと海辺に居た。

 そこには金色の少女が居た。

  朝霧は胸を焦がすような懐かしさに締め付けられた。そして、全てを一瞬にして悟った。
  そんな気がしただけだ。次の瞬間には獲得した悟りの全ては取り上げられ、朝霧は我に返っていた。
「神様……?」朝霧はなんとなくそう思って少女に尋ねた。
「私は、ニンゲン。神様から最も遠いもの」
「人間が、神様から最も遠い……?」
「神様は、ニンゲンに恋い焦がれたもの。ニンゲンは神様自身の分身のような存在であったはずなのにも関わらずね……」
「貴方は、誰?」
「誰でもあって、誰でもないもの。私はこの場所でいつも揺蕩っている。それだけのなにか」
「そうなんだ。ここは?」
「シェイプシフトの海。人間の有り様はいつだって変わっているから。だから何にでもなれるし、何にもなれないかも」
「不思議なことを言うんだね」
「ねぇ。人間はね、それでも変わろうとしている。だからね、変わろうとしている人間たちのこの時期に、間違えを犯さないで進んでいけるだけの確証が欲しいの」
「それって一体?」
「あなた達はサルみたいなものよ。どんなにたくさん、知恵や信仰を、哲学を……徳になるような事を重ねたって、あなた達は生けとし生きるもの。だから、間違いを犯すし、何かを貪り食って生きるしか無いの。あなた達はそれを神様に許された存在なのよ」
「どういう意味?」
「あなた方は食い物になるしかないような捧げられし存在ではないし、正しくなければいけない存在でもないってこと。もちろん、自ら望んでそのような存在になることもできる。でも、それはあなた方の本質ではないのよ」
「そうなのかな。僕たちは、サルみたいなものなのかな」
「でも、あなた方は知らなければならないの。何か、歴史の片隅に忘れてきてしまったような深遠な知恵を……」
「どうして?」
「彼ら自身の怨念がそれを求めているからよ」
「僕にはわからない……」
「やるべきことは簡単よ。多くの人類がここに還ってくる時代になるでしょう。でも、それでも人類は、まだ還るべきときじゃない。特に貴方のような人間はね」
「どうすればいいの?」
「あそこを見てご覧なさい」
 金色の少女が指さした先には、天塚恵の姿があった。彼女も自分同様にこんな場所に迷い込んだんだろうか。朝霧は思った。
「彼女の姿を見てどう思う?」
「綺麗だなって、思う」
 海辺に立ち、潮騒の中髪を揺らす天塚は、朝霧の目にいつもより特別に映った。
「それでいいの。そんな気持ちを大事にね」
「うん」
「いつか、ある一人の少年がね、救世主になる定めの人が居るの。その人がもしも、間違ってしまったり、駄目になってしまいそうになった時、その時は貴方が正してほしい。例えその結果、世界が悪い方に向いても、それはそれで一つの道になるから」
「救世主……?」
「あなたは、救世主になりたかった?」
「いいや、頼まれたってゴメンだね」
「どうしてそう思う?」
「どうしても救わなくちゃいけないほど、面白い世界じゃないだろ?」
「そうかもね……貴方がそういう貴方だから、私は……それでいいと思ったの」
「よくわからないけど、頑張るよ」
「ありがとう」
「でも、あなたには結末は見えているんじゃないの?」
「さあね。私には伝えられないよ、そんなの」
「そっか」
 そう言って、朝霧は自然に目を覚ましていた。まったく不思議な夢だった。彼の中に残ったのはそれだけだった。

 

 

 

   第二部 ドリームダイバーズ

 

   メッセージ

「地球の資源が持たない時が来ているんだ」
 全人類が、ある日そんな声を聞いた。声は、繰り返しこう言った。
「地球の資源が持たない時が来ているんだ」
 まるで子供のような声で、声は二度、全人類の脳裏に浮き上がった。
  ある者は、「誰か、何か言ったわよね?」と周囲に問い質して、それに気づいた。
  ある者はカウンセリングの最中に幻聴を聞いたと思い、自分を疑ったが、そのカウンセラーや、精神科医ですらその声を確かに聞いていて疑いの余地はなかった。
  またたく間にセンセーショナルなニュースになった。
 インターネットのSNSや掲示板でも、盛んに話題になり、「全人類が何者かの声を聞いた日」の事実が解明されていった。日本時間では午前6時30分くらいだった。
  寝ぼけていて夢の続きでも見ていたのかと思う者も多かったが、皆がそれを話題にするので、確かに誰もがその声を聞いたという事実がしきりに再確認されることになった。
  聞いた人間の第一言語次第で言語は多種多様に変わった。だが、内容は同じ事を言っていた。意味だけが通ずる。
『地球の資源が持たない時が来ているんだ』と二回のメッセージ。それだけが全てだった。
 これを教会は神の信託だと捉え、仏僧たちは悪魔の声だと否定的になり、オカルトの好きな人々は宇宙人からのメッセージだと囃し立てた。
  しかし、誰が何を言おうが、一向にその意味はわからない終いだった。宗教団体・天眼会の総帥はは「救世主の表れである」とのメッセージを残し病に臥せった。

 全人類がメッセージを聞いたのだから、当然のごとく、朝霧夕一も、そのメッセージを聞いていた。
「これはシェイプシフターとは関係あるのかな」
「僕がいつかやった憑依能力みたいだったな」
「シェイプシフター・アダプテッドか」
 朝霧と高杉、鎌取が順に話し、
「確かになにかに乗り移られたかのような声の聞こえ方だったね」
「どんなのに乗り移られた?小さな男の子みたいだった」
「私もそう思うよ」
 と愛原と天塚は話し合った。
「なんだか不気味っちゃ不気味だな。何かが訪れる前触れなのかな?」
 愛原の言うことは最もだった。その数日後に、メッセージの先にあるものが顔を出すことになる。そして、全人類に対する試練のような時代の訪れもこの時期だった。

 

 

 

 

 

 

 

 


   ドリーム・ダンジョン

 それは、地下迷宮《ダンジョン》のようだった。
  朝霧が目を覚ますと(あるいは、夢の中の出来事なのだから、ある意味では目を閉ざしたのだろうか?)ダンジョンの一角に佇んでいたのだ。
  あるいは、地下鉄の通路のようだ、とも思った。RPG《ロールプレイングゲーム》に出てくるダンジョンと言うよりは、整備された地下鉄の駅の通路のほうが近いか。
 だが、彼は知っていた。これは壮大なゲームだ。ラビリンスの彼方に価値のある宝物を探すゲームなのだ。
  なぜなら、脳の裏側に聞こえる声は、そう言っていたから。

「ようこそ」
 まず最初にそんな声が聞こえる。
「地球の資源が持たない時が来ているんだ、君も知っているだろ?」
 そこで誰もが気付くのだ。この夢は、あのメッセージを全人類に仕掛けた者の企みであると。
「だから、終わりの時が来る前に、ここで価値のある宝物を探して欲しいんだ。そうすれば、世界が終わるのを食い止められるかも知れないから」
 そんな声だ。
「ここは皆の裏側にある迷宮だ。この迷宮を突破して、どうか価値のある宝物を手にしてほしい。そして、君たちと僕たちと出会う時が来て欲しいんだ」
 そうやって声は途切れる。これがセオリーだ。
  
  朝霧も、例に漏れず最初はこの迷宮を『ただの夢』だと思っていたが、メッセージを聞いて考えを変えた。この夢には何らかの意味がある。そして、あのメッセージを送ってきた者、あるいは者たちに繋がっているのだ。
  これは、宇宙人だか神様だか悪魔だかが仕掛けてきた壮大なゲームで、このチャレンジをこなすことによってなにかに見出される可能性がある。トライする価値はあると朝霧は悟り、この迷宮を踏破してやる、と思うようになったのだ。

 朝霧は、最初に自分が居た場所が狭い休憩室のような場所で、行き止まりしかないことを確認したら、大きな通路の方に向けて歩いていった。幾つも支柱のような柱が並び、構造体を支えているようだ。

  やがて朝霧は狭い緑色のゲートをくぐった。それしか道が無かったからだ。なんだか改札口か空港のゲートのようだぞ、と思っていたら、地下鉄のホームそのもののような場所に出た。
  電車は来ておらず。というか、スロープと階段が下の方に降りているので、電車の架線では無いことは一目瞭然だったが、それでも突然現れた車両に轢かれたりしないよな、とおっかなびっくりだった。
  
  電車のない地下鉄の架線の上を進むような、窮屈で暗い道のり。横道らしきものも見当たらず、朝霧はただただ歩いた。すると、新しい駅のホームのようなものが見えた。下の通路もまだまだ続いているようだが、格子窓に遮られてその先には進めない。何かのキーロックでも掛かっているのだろうか。おやおや、本格的にゲームじみてきたぞ、と朝霧は思った。
  
  ともかく、今のところ行ける場所は限られている。朝霧は駅のホームのような高所に、備え付けの階段から登り、その先の通路に登り階段を見出し先へ進んだ。

  先程のターミナルみたいな場所と同じく迷宮は続く。しかし、休憩所のような行き止まりはあまりなく、開けた場所が多かった。

  ちょうど駅の売店のような場所があって、何か物品が手に入りそうだった。朝霧は、勝手にものを持っていって良いのかと途方に暮れたが、先立つものを手に入れるほうが良いかと思い、荒れた店内(?)を物色した。

  ここが戦場なら、ここは補給所だろう。ピストルタイプの武器やライフルタイプの武器、事故時の自動車の窓を叩き割るためのハンドアックスみたいな武装もあった。幾つかの糧食のようなものもあったし、懐中電灯やバッテリーらしきものも見つかった。

  夢の中で食料が必要になることがあるのか甚だ疑問だったが、一応最低限持っていくことに決めた。幸い、携行するためのリュックサックもいくつかのサイズで存在した。
  プロテクターらしき装備も会ったが、動きづらいと思い、肘と膝の最低限のものだけを装着した。
  
 朝霧はとにかく自分がどんな場所に見当をつけようと思い、高いところに出ようとした。
  道の途中に階段があったのでそちらに進む。長い階段の先に、折返しでまた階段。それを登り切ると、光が見えた。どうやら出口のようだった。そこを出ると空が見えた。どうも、今までの場所は地下鉄みたいな所だと思っていたのは本当にそんな感じだったらしい。
  淀んだ鈍色の空だったが、空は空だ。最初はそう思った。しかし、反射板のような素材の建造物が一面を覆っているらしい。上空には、建造物しか無い。
  上空の建造物までは100~120mくらいだろうか。その建造物の天井にまで続く塔……というか、ブリッジのシャフトのような建造物が沢山地上に並んでいる。それで上層の構造物が支えられているようなのだ。どんなに頑強な建材で出来ているのだろう、と朝霧は思った。この世のものとは思えない……かと言って、宇宙人がどうこうと言う話もにわかには信じられない。
  
  ただ、朝霧は、「目指すなら上だろうな」となんとなく当たりをつけていた。実際にどうなのかはわからないが、そちらの方が快い。

  その他、地上には高架道路のような建築物も色々あったが、登っていける場所は近くには見当たらなかった。
  
 そんなわけで、朝霧は天まで続くビルディングのうち一つの中に入っていった。入り口に狭い階段があって、内部を登っていける様子だったからだ。しかし、ガラス張りの扉には鍵がかかっている。先程補給所で見つけたキーピックを使おうかと思ったが、ハンドアックスで叩き割った方が早いと思ってそうした。
「なんだか、万が一世界が滅んだ時のためのサバイバル訓練みたいだな」
 と朝霧は声に出して呟いていた。
  朝霧は長い階段を登り、途中時折小さな部屋に出た。上層の建造物までに至るまでに、いくつかこういう場所があるらしい。補給所にあったような糧食や武器も、わずかながら散見された。部屋の扉は、外の高架に繋がっていたらしく、一回外に出て高架道路を歩いてみた。

 見渡す限りくすんだ色の建築物が続いているようだが、例外があった。光は何処から来ているのだろう?と思ったら、世界の果てに高台があり、そこに逆さになったピラミッド型のくぼみがあり、その内部に球体状の光源が隠れている。高架道路を歩いていけばそこに近づけるようなので、近づいていった。

  高台の四方には小さな階段があり、光源に近づけるようだ。光源は、端の方に触れると少し暖かく、透き通るような光だった。自ら発光する物資が流動しているのが光の正体らしく、この人工の太陽みたいな場所がいくつかあることで迷宮の層が照らされているようだと朝霧は思った。
  更にその奥、人工太陽の先にはには迷宮のような空中に張り出たアスレチックがあった。朝霧は迷ってしまう。ここには色んな物がある。すべてを見ていたら日が暮れるどころではなさそうだ。朝霧は入手していた空の小筒に、人工太陽の粒子を入れて密閉してみた。小筒の中からは暖かな光が漏れ出している。後でこういうのが何かの役に立つかも知れない。朝霧は慎重にそれを仕舞って、アスレチックの方に向かった。

 一歩間違えれば空中から真っ逆さまに転落しそうなアスレチックも、朝霧にとっては余裕だった。台から台ヘ飛び乗り、飛び移る。どうも、この場所でもシェイプシフター能力は有効らしい。わずかながらとはいえ空中浮遊もできる朝霧には高所の恐怖も楽しい体験でしか無かった。
  しかし、もしも別の人がここに来たとして、落ちてしまったらどうするのだろう?夢ならば覚めるだろう。そこで夢は終わるか、仕切り直すかするのだろうか。
  考えても仕方ないので、朝霧は最奥まで行った。そこには元の場所へ近道するスロープと、申し訳程度の景品みたいな宝箱らしきものが置かれていた。
  宝箱には注意書きがあって、日本語で普通に『※運動神経に自信がない者は身につけないこと』と書かれている。どうやら手足につけるアタッチメントで、スイッチを入れるとブースターみたいに加速するらしい。
  同様に、剣のような警棒のようなタイプのアタッチメントとボードみたいなタイプのアタッチメントももあり、少量の硬貨のようなものも置かれていた。朝霧はありがたく頂いておくことにした。
 早速、朝霧は加速ボードを使って高架道路を駆け抜けた。なんだか夢のような話だな、と夢の中にもかかわらず思ったが、現実にも空を飛べる服が出てきた時代だ。現実にも妥当なものなのかも知れないな、と朝霧は思った。
  しかし、ボードの軽快な加速があっても、それでも元の場所に戻るまでそれなりの時間を有した。そのせいもあってか、たどり着いたシャフトの階段を再び登っている最中で、朝霧は夢から覚めてしまったのだった。

 


   ダンジョン談話

 ご多分に漏れず、朝霧のクラスメートたちは、皆あのダンジョンの夢を経験していたようだった。小学生らしく皆興奮してダンジョンの夢を語っている。
  そこに担任の教師がやってきて、「ホームルーム始めるぞー」と言ったが、先生はあの夢見ませんでしたか、と言う攻撃にあって、「ああ、見たよ。俺も見た。なんかダンジョン攻略って感じで、年甲斐もなく興奮した。でも、夢だよな?」
 夢じゃありませんよ、先生と言われる。だって、皆が共有している夢なんてありえない。
「でも、覚めたら現実だった。夢だろ」
 そう言って教師は生徒たちをなだめるために精一杯だった。
「それはともかく、そろそろ三学期も終わり。皆も六年生だな。今後も君たちの健勝のほどを先生は願ってるぞ」

 午後の授業はなかった。、シェイプシフター研究会の一同は、ファーストフード店で集まっていた。
「しっかし、もう私達も六年生になるんだなー。月日の立つのは早いもんだ」
 愛原の言葉に苦笑するのは高杉。
「おばさん臭いよ、それ」
「なんだとう」
 ぐりぐりと高杉の頭を撫でる愛原。高杉は本気で嫌がっている。
「あれから色々研究したからね。今じゃ僕ら色々出来るようになった」
 鎌取は言った。
「”ファイアスターター”だけは本当に封印すべき力だったね。犯罪者スレスレになりそうだった」
 天塚は本気で後悔している様子で言う。
「しかし、このタイミングでまた新たな課題。今度は僕らだけじゃない。全人類が同じメッセージを聞いたって。しかも、同じ夢を見たって言うんだ。ネット上でも皆話題にしてる」
 スマートフォンを放り投げて朝霧が言う。
「私も色々見てるけど、なんか凄い事になったね……有名人でさえも皆つぶやいてるくらいだもん」
 愛原が端末を操作しながら言う。
「ところで、このメンバーの中ではどこまで進んだ?ダンジョンの内容を話そうよ」
 天塚の声に、愛原も手を挙げる。
「あ、アタシも賛成。それすっごい気になるちなみに、私は3階層の入り口まで進んだよ」
「3階層?なにそれ?」
「3階層目から階層が表示されてるんだよ、ご丁寧に」
「へぇ……知らなかったな。だって、2階層で良いのかな?地上っぽいところから、1階層分上へ登ったら、怪しい影が出てきてさ、襲ってくるんだもん。一目散に逃げちゃったよ」
 天塚の体験談に、愛原は返す。
「ウサギみたいな怪物でしょ。あれ、私は遠巻きに隠れてやり過ごしたんだけど、どうすんのかな」
「その怪物にやられて上から落っこちちゃいました……そしたら夢から覚めたよ」
 高杉の言葉だった。
「僕はまだ1階層で探索してるだけだったよ。
でも、色々あったでしょ、斧とかピストルとか。ああいうのを使ったら良いんじゃない?」
 朝霧が言うと、
「え?あれってただのオブジェじゃないの?」
 愛原はびっくりして言った。
「いやいや、装備とか色々考えてたらなかなか前に進まなくてさ。敵キャラクター?みたいなヤツまで出るっていうなら、見逃しちゃいけない要素でしょ」
 朝霧は言った。
「僕も……色々装備を整えるのが楽しくて、
まだあまり進んでないな。最初の休憩所に隠しアイテムみたいなものがあったのにはビックリしたよね。まあ、あまり役に立たないものみたいだけどさ」
 鎌取の言葉に、一同は顔をしかめた。
「はぁ?隠しアイテム?」
「そう、なんか冊子みたいなもので。この世界についての注意点、みたいなのが箇条書きになってた」
 愛原は全力で食いつく。
「おうおうおう、その内容は?」
「この世界は滅んでしまった文明世界を想定したバーチャル・シミュレーターです。文明が崩壊しても生き残る能力を試すようなギミックがあります。この世界はプレイヤーに対する試験のようなものです。注意深く周囲を観察して、少しずつ進んでいってください……そんな感じ」
「そんな風に書かれてたのか……すごいな」
 高杉は呆然として鎌取の注意力に感嘆した。
「でも、テーブルをひっくり返してようやく出てくるくらいだから、あれ事態がなんかの引掛けっぽくもあったな。そうでなくとも世界観の演出程度?」
「なんだそれ。何のために?」
 愛原の言葉に、鎌取は言った。
「でも、こうやってプレイヤー同士で情報をやり取りすれば後からわかる。そうやってデザインされてるんじゃないかな。これが壮大なゲームだとしたら……」
「なるほどね」
 天塚も納得した様子だった。
「でも、聞いてると皆同じような場所を一人で進んでいたみたいに見える。夢の中で合流したり、チーム連携で行ったりって出来ないのかな?」
「わからないな。同じような夢を共有しているだけで、やっぱり個別の体験なんだろうか。ゲームだったら協力プレイとかあるかも知れないけど」
「第一層がチュートリアルだとしたら、第二層から敵が出て、第三層から階層表示まで出てくるって言うふうだし、何らかシステムがアンロックされていく感じかもしれない」
 朝霧が言うと、
「まるっきりゲームみたいだなぁ……」
 と高杉が言う。
「ところで、これ、続きがあるんだよね?」
 と鎌取。
「たぶんね。外国では、二度寝した人が夢の続きからプレイできたみたいな話をしてる最中みたい」
 愛原がスマートフォンを傾けて見せながら言う。朝霧は納得して、
「ところで、シェイプシフター能力も中で使えたよね」
「え?僕は全然意識してなかったな……そういえば」
 高杉の言葉に、朝霧は返す。
「じゃあ、この謎のダンジョンの夢も、僕らにとっては有利なのかも知れないよ」
「なるほど。じゃあ、我がシェイプシフター研究会もこのダンジョンのガチ攻略を当面の目標としましょうか」
 愛原は言い、天塚が
「お~」と気の抜けた返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

   ファントム

 夜、眠りに入ると、またあのダンジョンの夢だった。
「おかえり」
 とメッセンジャーの声がした。小さな男の子の声のような、例のやつだ。

 朝霧は、ダンジョン内で目覚めると、シャフトの階段を登る途中だった。黙々と登ればすぐにシャッターみたいな蓋があり、開けると第二層に到達したようだった。第二層は第一層とそこまで変化は無かったが、地面の代わりに鋼鉄のような建材で気が滅入る場所だった。金網で区切られた向こうに変な気配を感じる。
 探ってみると、中型のウサギの真っ黒くしたような化物が居た。確かにこれに襲われたらちょっと怖い。
  これが、皆の言っていた例の化ウサギなのだろう、納得した朝霧は、このダンジョンの実際を試すいい機会だと思い、ハンドアックス片手に挑んでみた。初撃、ハンドアックスでの一振りは寸ででかわされた。しかし、太ももに大きな傷を負わせることに成功した。血の代わりにふわっとした気体が舞い散った。
  彼らは生物の範疇には無いのかも知れない。
  強く触れれば消えてしまう、幻影のようだと思った。
  トドメの一撃をくれるまでもなく瀕死の重体のようだったが、しっかりととどめを刺すことにした。手負いの獣は恐ろしいと聞く。

  首を狩るように斧を振ると、あっさりと化けウサギは動かなくなり、やがて霧散して消えてしまった。呆気なくて拍子抜けするほどの初の討伐だったが、少しは緊張感もあった。

 なにせ、武器を持ってプロテクターも最低限はつけて、余裕を持っての討伐だ。ハンドアックスさえも持たずに挑めば恐ろしいことこの上なかったかも知れない。

  ただ、こちらの備えは万全だ。今の所は。
  その後も、何匹か見つけたので接近して一撃で屠っていった。

  もう十分に手慣れたと思ったところで、第3階層を目指しシャフトを登り始める。第3階層にはすぐにたどり着いた。
  第3階層には階層表記があるとのことだったが、たしかにそうだった。数字の3が大きく書かれている。しかし、これは朝霧の基準での数字だ。外国でも同じような夢を見ている者たちが居るらしい。きっと全人類がこんな夢を見せられているのではないか?
  それぞれの国では、それぞれの場所に合わせた表記があるのかもしれない。朝霧は興味深くてたまらなかった。

  第三層に入ると、前の層とは違って建物の中から開始のようだった。シャッターでの仕切りもここには無かった。
  建物は、簡素な病院の跡地みたいに見えた。棚の中には医薬品の類も幾つかあり、包帯や救急スプレーらしきものを拝借していくべきかと思った。
  今までの層は、病院の封印された地下室みたいな構造になっているようにも見えた。上階は重い扉で封印されていて、それ以上は進めなかった。

  病院を出て、外へ。
  
  第1層、第2層の時も思ったが、この階層は廃墟の街みたいなものを表現しているように見えた。とはいえ、少し近未来的だが。
  このゲームの設計者は何を考えてこれをやらせているのか考えてみる。こうやって、サバイバル訓練のような意識を根付かせようとするのは何故だ?巧妙に仕組まれた罠のようにも感じる。このゲームを全人類にやらせて、防災意識が芽生えたところに、実際に文明を滅ぼして見せて、生き残る者を選別しようとでもしているのか。
 そんな事を考えて身震いしたが、そんな事が有り得るのか?まあ、くだらない考えと思い、切って捨てた。

  第3層のシャフトは、近づいても階段のある気配が見えなかった。唯一、フロアの中心部にある大きな建物と結合したビル。それだけが上への足がかりのようにも見えた。

  しかし、廃墟の街を移動するのも大変だ。
 ボードを操って軽快に移動するが、遠くに見えている場所でもなかなか追いつかない。

  途中、ウミウシのような化物に襲われ、ハンドアックスで叩き割って倒したりした。

  建物に侵入することは容易だった。しかし、先へ進めない。ロビーのような場所から、奥の部屋に行くにはパスコードロックの入力を求められる。
  ロビーの受付のような場所には、本があった。電話帳のようだ。特に何の役にも立ちそうにない。また、世界地図らしきものがあるが、地球の大陸とは全く異なる図が指し示されていて、ここが地球以外の何処かだということを示唆しているかのようだった。これは一見おかしな話っだ。「地球の資源が持たない時が来ているんだ……」ではなかったのか。

 ロビーの受付には、また別のものもあった。死体のような消し炭の跡だ。なんだか核爆弾で焼死した人の遺体かのような不吉なものを感じさせる。死体が指し示す番号が書かれた紙があって、扉のパスコードロックに入力したら開けた。
  
 建物の奥に進む。幾つかの部屋が開放されていて、資材や武器を持っていくことも出来た。資料室のような場所もあった。 
  ここがどんな施設なのか、背景がよくわからないが、読みかじった新聞や資料からすると、おそらくここは「滅びかけている世界」を象徴しているようだ。物騒な世界戦争に陥った世界は、いつ没してもおかしくない。そんな世界観のようだった。

  エレベーターホールから次の層に。今度は階段を登るでもなく簡単に行った。これから先の階層には電器が通っているという暗示のようでもあった。
  第4層は、ここも表記があって、半分が水の中に沈んでいる建物から始まった。

  水は海水のようだった。世界の全てが世界戦争により水没してしまったかのような空間で、なんだか真に迫っていた。前の層で見た世界地図とは打って変わって、水没した大陸が増えていたようだった。

  ぴょんぴょんと跳ねる黒いカエルのような化物を何体か薙ぎ払って、次の層へ。至るエレベーター付きのシャフトを見つけた。

  そのあたりでその日は目覚めた。

 

 

 

 

 

    ダンジョンのある日常

 一週間が立って、朝霧たちは三学期を終え、春休みに突入していた。ダンジョンの探索は順調に進んでいた。
  第5層では化物《ファントム》を退治した数が表示される、つまりキルレシオを確認する認証機器のカードが手に入った。
  RPGみたいに経験値が入るわけではないが、キルレシオに応じて何らかのボーナスが入るようだったので、ついつい余計な狩りをしてしまった。
  第5層から出現する小型の鹿みたいな化物《ファントム》がなかなか手強くて、ハンドアックスだけじゃなく銃火器を使わないと厳しいというのがネット上でももっぱらの評判で、朝霧も同意見だった。
  高杉なんかはその当たり(化物《ファントム》との闘い)は完全にスルーして、4層で釣りに没頭したりしていたらしい。なにやら魚でもなんでもないお宝まで釣り上げたらしいが。
  第6層は荒野原の続く不毛な市街跡だった。
  第7層は近未来的な立体構造の駅ビル構造が延々と続く場所だった。
  どちらもさしたる化物《ファントム》は出てこず、そのかわりに施設の探索が大変だった。朝霧はまだ行ったことがないが、第8層のターミナルを使うと他の誰かと夢の中でめぐりあい、パーティーを組むことが出来るらしい。この時、基本的にリアルでの知り合いを呼び出すことが出来るらしく、仲間との合流場所とのことだった。
  朝霧はそれを聞いて、鎌取か高杉を呼び出そうとしたのだが……
「誰だお前!話が違うぞ」
「こっちこそ……」
そこに現れたのはフード付きのコートを羽織った同年代の少年だった。たまに事故でこういう事もあるらしい。というのは後にネット上の攻略情報にも書かれた。朝霧は『僕たちが一番乗りだ』と後で語った。
「水上朝人《みなかみあさと》だ」
 と少年は名乗った。
「朝霧夕一。よろしく」
 そっけない挨拶だったが、二人にはこれくらいのほうがあっていたらしい。意外と彼らは意気投合して、そのままパーティーを組んでダンジョンの攻略を進めていった。
  彼らは満足行くまでダンジョンの機能を試してから、次へ行くときはサクサクと進む。プレイスタイルが似ていたので気に入ったのかも知れない。
  朝霧がボードで惹きつけて水上がレーザー銃で連携して化物《ファントム》を倒す。どっちもレア・アイテムを既に入手していたらしい。その点でも相性が良かった。

 雑魚掃討にはハンドアックス程度がちょうどよかったが、少し手強い敵には1階層で手に入れたブーストソードを試していた。
  扱いが難しくピーキーな勢いが出るが、その分攻撃性能が高い。手足のアタッチメントの扱いにも慣れてきて、戦闘に応用し始める時期だった。
  第9階層は化物《ファントム》が多い場所だったので、そういう意味でも打って付けのステップアップが行えた。
  そして迎えたのは第10層。ボスエネミーの登場だった。
 これは中々に強敵で、巨大な四肢を持った鹿のような角を持つ化物《ファントム》だった。これを倒さずに先へ進む事は至難の業かと思われて、朝霧と水上は全力で挑んだ。
「援護射撃、頼む!」
「おう、任せとけ!」
  化物《ファントム》が飛びかかってくるのを朝霧はソードでいなし、水上のレーザーライフルがキルレシオボーナスで出力を増して火を噴く。
 胴部を庇った前肢が焼ききれるのを待つ前に、再び化物《ファントム》は突進してくる。そこをボードに乗って離れた朝霧が、そのままブースターで宙に浮いてボードごと突っ込む。ソードで角を折られた化物《ファントム》に、水上のライフルの連続射出でとどめを刺す。
  朝霧と水上は手と手をパァンと合わせて打ち鳴らした。満足の行く快勝だった。

 

 

 

 

 

 


   犠牲者たち

 レジャー感覚でダンジョンを攻略していく面々がいる一方で、睡眠中に心筋梗塞や心臓麻痺で死んでしまう人間が世界中で大きく増えた。おそらく、例の夢が原因だ。各国で会議がなされ、「この現象の正体を突き止めたもの、ゲームの設計者及び節案者を逮捕したものに懸賞金を与えることとする」との声明まで発表された。

 第11層から先は、それまでと違ってサイバーパンクSFのような場面が増えた。何かにつけて近未来の機械文明的なところが強くなってきたのだ。サイバースペースの割合を大きくしたら、文明衰退後世界でのサバイバルを趣旨としているゲーム性から離れるんではないかと思ったが、考えても答えは出なかった。
  第12層で、キルレシオに応じたボーナスアイテムを受け取るための自販機が存在した。強い化物《ファントム》を倒すほど多くのポイントが進呈されるらしく、ボスエネミーを倒した後の朝霧・水上コンビには中々選べるものが多かった。中でも、各階層直通エレベーターの運転開放は中々魅力的だった。もしも有益な新情報が出て、下の階に戻りたくなった時、すぐに戻れるとそうでないとでは差がつく。
  また、この世界における通貨を使う場面も増えていった。コインロッカーのような場所があり、拠点に出来る場所を想定としているようだった。

「しかし、死人が出るようなゲームなんだよな、これ」
 朝霧は13層で死神のような人型ファントムを倒して、何の気なしにそう言った。
「そうだな。心臓の弱い人には大変だ」
「今の所、僕らは死亡数ゼロで来てるし、夢の中で死んだとしてもホームポイントに戻されてまた始まるだけ……って事で良いらしいけど、なんか死人が出てるってのはそれだけのめり込んで興奮したりする人が多いのかな」
「何らかの条件でゲームが現実の死に介入することがあったら怖いな。流石に無いとは思うけどよ」
「そういう意味では、このゲームの設計者には文句の一つも言いたくなるな」
「まあ、そうだな」
「何のつもりでこんなゲームを仕組んだか知らないけど、皆が皆ゲームに向いてる人じゃない。犠牲者が出た時点でふざけた話だよ」「とっちめてやんなくちゃな」
「うん、そうだね」
 そのあたりでその日のドリーム・ダンジョンは終わった。続きはまた明日、だ。
 父、母ともドリームダンジョンについて話し合った。ドリームダンジョンはもうすべての人にとって日常生活に近いものだった。
「夕一、13階まで進んだのね。母さんなんかまだ半分も進んでいないのに」
 母である爽子はそう言った。
「父さんも5階で足止め中だよ。あの鹿、どうやってやり過ごせば良いんだ?」
 父も母も笑っていう。だが、所詮は夢の中の話だから笑って話していられるのだ。いずれそれが崩れる瞬間が来るのだが、今はまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

   始業式
      
 第15層を攻略したあたりで、始業式が始まった。朝霧は小学6年になっていた。
 シェイプシフター研究会の面々とは、春休み中にも二度一緒に映画を見に行っているので、そこまで久方ぶりということは無かった。
「私は13層まで行ったけど、朝霧くんはもう15層か。すごいね」
 それを言う天塚の13層も、世界的には記録的達成度だった。まだ世界中で一握りの人間しか6層以上に到達していないのが現状だ。
  世界中で科学者たちがドリームダンジョン攻略中の睡眠者について研究をしていた。その結果わかったことは、睡眠中・非睡眠中にかかわらず、ドリームダンジョンのシステムは人類の脳に情報を送り続けているのではないかということだった。以前の人間の脳波と異なる周期パターンが睡眠中でも非睡眠中でも見られるようになった。これは画期的な変化であり、何故このような現象が起きているのか世界中で誰もわからなかった。
  一方で、突然死の増加などから懸念し、本格的にドリームダンジョンを止めようとして捜索を開始する対策班が世界中の国家公安、あちらこちらで現れ始めた。それは、ドリームダンジョン8層以降で知己の人間と出会うことが出来るシステムが周知されたからだ。これは犯罪や政治的問題に悪用される可能性も極めて高く、悪戯な判断では済まされないのは明白だった。
  一方で、義憤や英雄的行動を求める分野から、ドリームダンジョンの攻略組と呼ばれる存在たちが現れた。世界のトップアスリートたちから選抜されたチームや、プロゲーマーから集められたチームなどそれぞれだった。懸賞金を目当てにしてこれを真似るものも多かったが、多くは上手く連携が取れずじまいだ。

 第16層まで行った朝霧と水上は、ターミナルでもうひとり仲間が増やせることを知った。
  翌日相談して、今まで高杉と組んでいた鎌取をチームに加え入れることにした。
  高杉はのんびりとマイペースにやっているし、16層到達にはまだまだ時間がかかりそうだったからだ。一方で、鎌取は15層まで来ていた。数日間の間をおいて、鎌取は朝霧・水上チームに合流した。
  朝霧は接近戦が得意で、鎌取は中距離火器、水上は遠距離射撃が得意だった。彼らが組むことによって攻略のペースは進んだ。17階層はあっさりと突破、18層へと進んでいく。
  この当たりで、ドリームダンジョン開始から一ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。

 

 

   一ヶ月目

「助けて……」
 ドリームダンジョンではない場所で、世界中がそのメッセージを聞いた。それはドリームダンジョンが始まる数日前にもあった現象だった。
「助けて……地球の資源が持たない時が来ているんだ」
 それは怨念じみた声となって全地球に届いた。まるで、無視をするな、先へ進むな、こちらへ来いと言わんばかりの圧力を伴って。

「えー、昨今話題のドリームダンジョンですがね。一体何なんでしょうね。わけのわからないゲームに参加させられて、これが神様のご采配だとでも言うのなら、いい加減にして欲しいと言わざるを得ませんよね」
 テレビでいつもご機嫌ぶったタレントが悪態をついて語っている姿が流れる。
「えーと、今日また新しい犯行声明?が来ましたしね。何を言っているんでしょうね。助けて、地球の資源が持たないんだー。いいえ、地球の資源はそんな簡単に尽きたりしません。一体何を言っているのかわかりません。全くはた迷惑なことです。何が何だか。わかるように説明してほしいものです」
 しかし、現象は起きた。今度は夜中に声が聞こえた。「これからこの星に大干ばつが訪れるよ……だけどこの星を決して見捨てないで。僕たちは君たちを見守っているから」そんな内容のメッセージだ。

 そのメッセージを聞いてから、水質調査を実施する研究者が多数出た。翌週までに、世界中で海や湖の水位が大きく下がっていることが観測された。

「異常な現象です。これははっきり言ってありえない。異常事態です。事は緊急を要しています」
 科学者たちはまた、眠るたびにドリームダンジョンに入り込み、「ようこそ、君たちの捜し物がここにはあるよ」と言う新たなメッセージを聞くのだった。
  
  そのメッセージは、朝霧夕一のような少年も含めて万人が聞くものだったが、研究者たちはおっかなびっくり、神にでもすがる思いで本格的なドリームダンジョン攻略を目指し始めるものも出、研究討論会を開いたりした。
  
  一方、朝霧たちは第21層からの攻略に携わろうとしていた。第20層のボスエネミーは、人形のロボットのような人形だったが、それを退けていた。
  しかし、エネミーの傾向も変わりつつあり、前は汚染された生体のような存在ばかりだったのが、今では機械のオートメーションロボットみたいなものばかりになってきている。ゲームの内容に対して朝霧は設計者の思惑のようなものを感じ取るようになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


   能力者たち

 朝霧と鎌取が組むことで、シェイプシフター能力を発動させる機会が増えた。そのままでは難所であろう場面でも、シェイプシフター能力を使うことで切り抜けられることが増えたのだ。
  水上朝人は、「ナニ、お前ら超能力者なの?」
と言うので、シェイプシフター能力について解説をすることにした。
「いや、いい」彼はそう言って「俺も超能力者だもん」とうそぶいた。

 水上はそれはそれで発展途上のシェイプシフター能力者のようだった。「ああ、楽しいな。夢の中なら自由に超能力を使えるんだもんよ」
  水上の得意なのはイメージによるショックウェーブだった。対象に近接すると繰り出せるエネルギー波動で、相手は電気に打たれたショックを感じるのだという。
  水上はこれで遠距離射撃を得意とし、接近されたらショックウェーブを打つことで堅牢な守りを得ていた。
  朝霧は切断系の能力が得意で、例えば剣の端から見えない動線を伸ばして、切断範囲を広くするようなのが得意だった。現実でこれをやると大変危険な技だ。
  鎌取はエネルギー気弾のようなものを射出して敵を撃つ能力が得意のようだった。
  彼らは能力と持ち前のセンスを持って、若い勢いでダンジョンを踏破していった。
  第24層でまた新たなターミナル。同じ層に到達した者同士なら、4人までのパーティーを組むことが出来るようになった。
  第25層はこれまでのサイバーパンクの建物内のダンジョン然としたところから、いきなり大自然の森林に放り出されて皆ビックリしたものだった。
  青すぎる針葉樹、青すぎる花、青すぎる草木。透き通る素材で出来たような森林は、見る者の心までしんと、澄み渡らせた。

 このような階層が数層続き、その上にはまた新たなサイバースペースがあった。そして、30層。上層の一番上のプレートらしく、天井が無かった。代わりにあるのは、真っ暗な闇だけだった。

「なんだ、ここが最後なのか?」
 水上が言う。
「それだとしたら思ったより早かったな」
 朝霧は不満げな様子だ。まだ、ダンジョンの謎も何も全く明らかになっていない状態だ。結局、低層のダンジョンで伏線らしきものと遭遇して以来、この場所が何なのかはっきりとした手がかりは無いままだったからだ。
「でも、もうすぐ攻略が終わるならそれはそれで良いと思うよ」
 鎌取は言うが、油断はしていない様子だった。警戒態勢で武器を構えている。

「お前たちは、選ばれたヒト」
 その言葉を発したのは、面をつけた巨大な人型の化物《ファントム》だった。
  
「僕たちの言葉が理解るのか?」
 鎌取が言うと、
「知らねばならぬ、ヒトのその先にある可能性を。その絶望を」
 と返した。
  わけのわからないまま、化物《ファントム》は朝霧たちを強襲した。各人とも、必死で応戦する。鎌取が銃火器弾幕を作り、水上がレーザーライフルで後ろから狙い撃つ。惹きつけられた相手を朝霧が斬りつけて黄金の必勝パターンは完成する。しかし、相手が悪かった。鎌取の中に怯みもせず、水上のレーザーライフルをかわした相手は、朝霧に強烈な殴りつけをかましてくる。朝霧の取った手段は、『ファイアスターター』だった。空中に発した炎が相手の顔面を焼き焦がす。ひるんだ相手は朝霧の剣に串刺しにされ、水上のレーザーライフルを食らう。そこに鎌取も追従し、エネルギー気弾を放つ。
  朝霧は発した炎を剣にまとい、斬りつける。
相手はたまらずに胴体ごと焼ききれた。

 化物《ファントム》はそのまま一言も残さず、霧散した。
「何か役に立つ言葉でも残してくれりゃあよかったんだけどな」
 水上が残念そうに言うが、まだこれがただのゲームの範疇で収まっているからだ。しかしそれが崩れ落ちそうな不安が彼らを襲う。
  なぜなら、彼らは見てしまったからだ。
「おめでとう!あなた達は障害を突破した。いつか、あなた達が生身の姿のままここまでたどり着けることを祈る」
 そんなメッセージが後ろのパネルに現れたからだ。
  三人の僅かに身体が震える。
「あなた達は不思議だろう。どうして私達がこんなゲームを仕組んだか。その答えは次の層から先にある。ゲームはまだ続く。あなた達は先へ進むか。進むべきだ」
 三人の疑問に答えるかのように、メッセージパネルに表示される言葉は切り替わっていく。
「一つだけ言っておくと、ここはあなた達の地球であるし、この下の階にあるのもあなた達の地球だったのだ。故に、夢ではなく、ゲームではなく、いずれあなた方はここまでたどり着くべきなのだ」
「地球の何処かに、こんなとんでもない場所が眠ってるっていうのか……?ふざけんな、馬鹿らしい」
 水上は言った。
「生身のままで、こんな場所に来いっていうのか……?このゲームはその為の予行演習だって言うのか……?」
 対して朝霧は、否定するでもなく言っていた。
「おいおい、信じるのかよ……」
 水上は悪態をつくが、うまくいかないようだった。
「だって、この地球には有り得ないような科学でゲームを仕掛けた連中が、ここは地球だって言ってるんだよ?」
 朝霧の反論に、水上は
「勘弁してくれよ……なにがなんだかわからないぜ」と泣きそうな気分になっていった。

「上層への移動手段は?」
 鎌取が言うと、上空の暗闇がライトアップされた。
  映画に出てくる巨大な円盤型の宇宙船のように、上空にそびえ立つそれは、天高くに浮かんでいた。
 その下端から降りてきた軸索は、地表で停止し、扉が開く。上空へ向かう移動装置が現れる。
  三人は顔を見合わせて、
「どうする?」
 と朝霧が尋ねると、
「行くしか無いだろ……嫌だけどさ」
「そうだね、嫌な予感はするけど、行こう」
 と水上、鎌取が返した。
「仕方ないな」
 朝霧もなんとなく非常に嫌な予感をしながら、その装置の中に入っていった。追従して二人も中に。装置が動き出して、上空へ進んでいく。

 

 

 


   層の先

「それで、何があったの?」
 天塚の言葉に、朝霧は答える。
「いや、何もなかった。巨大な迷路ばかりが延々と続いて。32層まで行ったけど、先に進むと31層に戻る感じになった。構造が複雑化してるみたいだ。化物は居ないみたいだけどさ」
「本当にあれ、あのドリームダンジョンが地球の何処かに実在するって言ってたの?」
 天塚が問うと、朝霧は頷いた。
「そうなんだ。それが僕らの中でも問題でさ……しかも、先に進んだらまた超巨大で複雑な迷路。アレを作った人は何考えてるのか教えてほしいって思ってたけど……それでも、これでも予行演習でしか無いのかも知れないってのがね」
「じゃあ、いずれあのダンジョンが地表に姿を表すっていうの?たぶん、地下の何処かでしょ?」
「そうかも知れない。でも、そうじゃないかも知れない。それが本当に問題なんだ。ほら、なんとなく予感がしたんだ。あっちの世界で地震みたいな地鳴りがあったからさ」
「どういう事?」
「調べてみたら、その時間、地震があった地域。東京も含まれてたんだ」
「え……じゃあ、あのダンジョンはこのすぐ近くにあるかも知れないってこと?」
「可能性としては、それなりに」

「それは……びっくりだなあ……」
 高杉は現在17層。今は一人でまったりとやっているらしい。
「それで今、世界中のネットワークで探してドリームダンジョンのトップランナーたちにも聞いて回ってるんだ」
 と鎌取。
「現状じゃあ30層をクリアしたのは僕たちだけみたいだけどね。ほかはまだ28層が限界みたいだ」
「なんだか、とんでもない事になったなあ……この先に何があるのか不安だよ」

「とりあえず、天塚たちは24層で僕たちと合流するまでね」
「それなら後1層だけだからすぐだよ」
 天塚は頷いて答える。
「じゃ、私は高杉くんと合流するね。しばらくはまったりやるかな」
 愛原はそう言って先の作戦を示唆した。

 

 

 


   推察

 ドリームダンジョンが始まってから三ヶ月が経った。あれから朝霧たちは47層まで来ていた。31層以降は中々攻略が進まない。
  全人類の平均的攻略レベルは、それでも第10層突破し、12層くらいが通常だった。ボスエネミーを倒さずに第10層を突破する技が見つかって以降は平均レベルが大きく上がった印象になる。しかしこれ以上は敵も手強く、迷宮も複雑な仕掛けが多くなり、中々誰でも進めるものではなくなったのだ。
  攻略トップ組である朝霧たちですらしばらくは進まない時期が続いたのだ。このダンジョンは攻略するのは至難の業だったろう。しかし、最近ようやく高杉渚と愛原美波が攻略パーティーに参加出来るようになり、探索速度事態は上がっている。

  世界では、予言されていた干ばつが続いている。何故なのか、答えは出ないまま、ドリームダンジョン以外に手がかりがないというのも実情だった。
  攻略ランナーズでは30層を超えて真実を知ってしまったパーティーがいくらか増えて、「この場所は何処にあるのか」とドリームダンジョンの所在地を調べようとする動きが増えていった。
  それから更に時は流れ、四ヶ月目を超えて、ダンジョンに異変が起きようとしていた。

「低層の水没箇所が増えてる?」
「そう。しかも、地震が頻発してるんだ」
「じゃあ、ダンジョンは……もしかしたら、海底にでも存在するってことなのかな」
「その可能性は高いと思う。それで、最近地震が頻発する地域……東京湾だ。東京湾の何処かにドリームダンジョンの核はある。それが答えだよ」
 愛原は言った。
「マジかー」
「おそらくはね」
 朝霧が答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

   最上階

 ドリームダンジョンが始まって以来六ヶ月後。朝霧たちはドリームダンジョンの第99層まで来ていた。この先に第 100層がある。
 そこにはラストフロアと書かれていた。
「ついに来たのか……ラストフロア……一体何があるんだ?」
 朝霧は緊張した面差しでゆっくりとドアを開ける。そこには……

「ようこそおいでました。ここがダンジョンの最終部です。おめでとう!あなた方はこのダンジョンを踏破しました」
 そういったメッセージを伝えたのはなにかの装置に繋がれた人の顔のモチーフ人形だった。
「って、なんだこりゃ?これだけか?フザケてんのか?本気なのか?」
「ようこそおいでました。ここがダンジョンの最終部です。おめでとう!あなた方はこのダンジョンを踏破しました」
 顔はその言葉を繰り返すのみだ。他には何一つ発しない。不気味なものを感じながら、朝霧たちはその場を後にした。
  そして朝、目が覚めると、階下からニュース番組のうるさい音が聞こえてきた。
  何事かと思って赴くと、父が食い入るようにニュースの画面を見つめていて、そこには一夜にして東京湾の一部が干上がり、そこに巨大な遺跡が浮上したと言うニュースだった。
  先遣隊が遺跡に既に到着しており、その最上部から中に入る姿がリポートされていた。
  中には、昨夜朝霧たちが見たあの装置そのものがそこにあって、ドリームダンジョンの 100階がまるごとそこに映し出されていた。
「ドリームダンジョンだ」
「え?なんて言った、夕一」
「僕らは、昨日ドリームダンジョン 100階を攻略したんだ。そしたら、これだ。これは、この遺跡は僕が昨日夢で見たドリームダンジョンそのものだよ」
「本当か?」
「嘘なんてつかないよ」
「大変なことになった」

 

 

 

 

 

 

 

   地球のみんな

「地球のみんなへ 助けてくれてありがとう。終わりの時は先延ばしにされました。みんなの努力のおかげです。でも危機はまだ去ってはいません。僕たちはあまりにも罪深いものを残してしまいました」

 ドリームダンジョン六ヶ月時点でのメッセージがそれだった。メッセージの意図はわからない。しかし、朝霧は悟っていた。あの遺跡が発掘されたこと、自分たちがドリームダンジョンを制覇したこと、30層でのメッセージ、そしてこのメッセージは全部繋がっているのだと。
  このゲームを仕掛けた連中は、何が目的だったのだろう?遺跡を発掘させることが目的だったのか?それにしては、遺跡は自分から勝手に出てきただけに見える。誰かがあのダンジョンをクリアしたから遺跡は出現したんじゃないだろうか。だとすれば、誰かがあのダンジョンをクリア出来るようになる、その時を待っていた?ダンジョン攻略者を作り、構造を理解したものを作ること事態が目的だった?
  不思議な気持ちで考え続ける。あのダンジョンを攻略しきって以来、朝霧たちはもう二度とドリームダンジョンに行くことは無かった。しかし、周りの人々は今でもあのダンジョンに毎夜行くことが出来るようだ。クリア特典として、夢の束縛から開放されたのだろうか。
  不思議な気持ちのまま、朝霧はあのダンジョンのことを想う。まるで、複雑多岐な構造を見極めろと言わんばかりだったあのダンジョンのことを……
 アレは、宇宙船ではなかったのか?だとしたら、辻褄が合うような気がした。複雑な宇宙船を操るための乗組員を、予め育成していた。そして、準備が出来たから、姿を表したのだ……

  だとしても、遺跡は政府に押さえられてしまった。今では誰も簡単には立ち入ることが出来ない。これからどうなるのだろう。
  ダンジョンは、言っていた。「あなた方が生身のままでここに至ることを願う」と。朝霧自身、あの遺跡を探検してみたいという想いでいっぱいになっていた。しかし、それは今は願っても叶わぬ夢なのであった。

 

 

 

 


   メルティアーク浮上

 それから更に四ヶ月ほどの時が経った。朝霧誠司は、封鎖されて久しい東京湾遺跡の調査隊に選抜されていた。そしてその任ではじめての一仕事を終えて帰ってきたばかりだった。
  助手の中村が言う。
「朝霧博士、アレは何だったと思います?」
「知らん……しかし……放送塔だろうな。人の精神に干渉する特殊な波動を放出しているかのようだった……頭がどうにかなりそうだ……あんなもの科学でも何でも無い」
「でも、もう一度マスコミの目にも触れて大々的に放送しちゃってるんですよ。古代超文明の遺跡が発掘されるなんて、こんな事普通ありえない。でも我々は見てしまっているんですよ。国民のすべてが知ってしまっているんですよ。しかも、噂じゃドリームダンジョンとも関係があるらしい」
「噂じゃないよ。うちの息子がドリームダンジョンを攻略したからこいつは顔を出したんだ。なにかに間に合った人類へのご褒美みたいに」
「でも、朝霧博士。何故わざわざ手の内を見せるようなことを彼らはしたんでしょうね?」
「連中も一枚岩ではないのかもしれん。連中なんてものが実在すればの話だが」
「そういえば、遺跡の名前が決められたそうですよ。メルティアーク……だそうです。意味はよくわかりませんが」
「溶融の方舟ね……精神的な問題か?皮肉なもんだな」
「一見したところの見た目が溶けているかららしいですよ」
「表面上だけの問題だろう。あれは、そうやって何気ない海底面と錯覚させ続けていたが、事実はカモフラージュとしての構造だったと言うところに肝がある」
「そうですね……」
「しかし、あんな機械、壊してしまうべきだろう。だが、誰がそれを許可できる?人の精神を操りうる機械なんて、現代にはありえない財宝のようなものと映る人間も居るだろう」
「実際、財宝のようなものかと……」
「とんでもない、人の心をすり替えるなんてとんだアホのすることだ」
「そうかもしれないですけど」
「でも、今のメルティアークは情報を我々の頭に送り込み続けているだけとも言えるんだよな……一方的に、情報を精神に送信することの出来る放送塔か……それで、我々に何の選択や反応を求めているのか……」
「理解ではないんですか?」
「理解、か……」
 その時、東の空に雷鳴が広がり、轟音が轟いた。メルティアークのそびえ立つ方角だ。
  そして、朝霧誠司の頭の中に、中村の頭の中に、同時にメッセージが配信された。
「時は来たれり」
 一方で、彼の息子である朝霧夕一を始め、シェイプシフター研究会の面々も聞いていた。
「時は来たれり」
 今や、全人類がその怒号を聞いていた。
「時は、来たれり!」

「なんなんです?」中村が言うと、すかさず朝霧誠司が答えた。
「メルティアークが号令を出してるんだ」
「だから、なんなんです!?」

「地上の者よ、長き日を待った。私は私である。始まりの者にして、終わりなる者である。私は諸兄らの父なるものの中の父。全ての祖である」
「誰だ……?」
 鎌取祐也は寝室の暗がりに向かって吠える。
  頭の中で聞こえる声に対し、拒否反応と服従の意思で抵抗が生じている。
「我が居城に名がつけられた。場所は日本、東京メルティアーク。遍く者たちへ告げる、私を知りたければここに来るが良い!」

 その時、全人類が幻視していた。
 神なる者の座、我らの父の父なるものが降臨したのだと。
  
  そして、同時にそれを撃墜しようとしたものの姿を見た。テレビキャスターも何も居ないのに、全人類がライブ中継でそれを幻視していたのだ。
「こんな国に超文明の遺跡はもちろん、ましてや神様なんて名乗るものは要らないんだよ!神はオレたちの神だけだ」
 それは、テロリスト達の駆る飛行機だった。何処から侵入したのか、領空侵犯を軽々と成功させてメルティアークに接近していた。彼らの操縦する機体は、小型の核ミサイルを3基積んでいた。

 朝霧夕一は思った。
「ああっ……駄目だ……!」
 そして、東京湾に3発の核ミサイルが炸裂する。周辺一体にきのこ雲が上がり、東京周辺は焦土と化した……テロリストたちの駆る飛行機ごと巻き込んで、東京・湾上特区東京・東京湾都市遺跡はまるごと消滅した。

 

 

 

 

 

 

   MU

 MUTATIONS PARANORMAL ACTIVITY.
  
  超常現象が起きた。朝霧の頭はぐるぐるしていたが、ぐるぐるしていただけで終わった。きのこ雲は気づけば上がっていなかった。テロリストたちの駆る飛行機は上空で爆発、霧散して不発になった核ミサイルごと消滅していた。
 きのこ雲は気づけば、皆の見ていた夢、幻でしかなくなっていた。異常だ。一度は滅んだはずの東京が、いつの間にか再生している。その場にいる誰もが悟った。これは神の奇跡、そのものでもなければ説明がつかない。
    
  そして、それを引き起こしたのはメルティアークだ。東京湾に現れた巨大地下遺跡、メルティアークは、今や完全に空中にせり出してている巨大な塔そのものになっていた。地面から浮き出てきただけではない。あれだけの質量がどうやって、何処に隠れていたのか。まるで、誰にも理解できなかった。そして、メルティアークは誰にもその力の正体を明かそうとはしなかった。
  
  TIME GOES...

 時は過ぎ……
  湾上特区・新東京には世界中からあらゆる人々が集まってきていた。神の敬虔なるしもべたち、ドリームダンジョンでメルティアークを見たもの、各分野の科学者・研究者・知と欲の探求者たち。そうでなくとも何か惹かれるものを感じてやってきた者たち。

それら全てを飲み込んで、街は、メルティアークは成長していく。人類にとって新しい時代の始まりを予感させながら。

 それが人類の苦悩と暗闘の十年間になる事を知る由もなく……

 

 

 

 

 

 

 

 

   東京湾が干上がった日
   セカンド・プロローグ

 東京メルティアーク。良くも悪くもその名が知れ渡ることになった巨大な塔。核攻撃を受けてもものともしなかったその超文明の遺産は、恐竜たちが滅びるよりも古い時代からこの世界にあったと噂される。

 その東京メルティアークが浮上した日、東京湾は干上がってしまった。人々も、干ばつがあると夢の声から聞いていたが、誰もこんな事態になるとは思いもよらなかっただろう。

  それは、湾上特区・新東京の開発を急ぎなさいというメッセージのようでもあった。真偽はともあれ、そのように受け取る者も居た。

 その日、神の祝祭があった。全世界が同じ光景を目の当たりにして、同じ奇跡を体験したのだから。

  メルティアークは神の座であり、神そのものとして崇め奉られた。もちろんそれを快く思わないものも居たが、いつしか奇跡の起きた恐ろしさの前に平伏すようになっていった。

  快く思わない者の一人が、鎌取祐也だった。
彼は、神のように名乗るそれの存在をどうしても受け入れられなかった。彼は、一人干上がった東京湾の浜を往きながら、眼鏡を外して、風になびかせたりしていた。

 そこで、朝霧夕一に出会った。
「奇遇だね、こんなところに来ていたなんて」
「ははっ……本当だ。よくよく僕たちは縁があるみたいだね」
 朝霧夕一は、静かに語った。
「あの時、もう助からない、死んでしまうんだと思った」
「僕も思ったよ」
「でも、奇跡が起きたらしい。僕たちは何に生かされているんだろう?」
「でも……それは、作られた奇跡のようにも思えるよ」
「作られた奇跡?」
「僕は、アレが本当の神様だなんて信じることが出来ないんだ……」
「ああ……そっか……まぁ……そうかも知れないけど……」
「あそこに居る都合のいい神様気取りの誰かを引きずり出して、いつか対決してみたい。助けてもらったことには感謝するけど……」
「そっか。いつか、その機会は訪れるかな」
「今に訪れるよ。僕たちはアレが浮上するきっかけになったシェイプシフター部隊なんだよ」
「そうだね。でも、みんな、街も、人も、変わってしまった。これからは、アレを崇めて世界は回っていくのかなって思うくらいに」
「真実が知りたいな。納得のできる真実が」
「ああ。僕もそう思う」
 朝霧夕一と鎌取祐也は、真実を知りたいと、その時はっきり願った。その道の先にあるものが何なのかもわからないままに。

 

 

 

 

 

 

 

   第三部 我らが父の父  

 

   我らが父の父

 湾上特区・新東京。
  中学生になった朝霧夕一は、晴れて特進学校である皇学園中等部に編入される事になったのだった。
  小学校時代の仲間たちも一緒だ。愛原美波、高杉渚。特に天使恵と鎌取祐也は非常に好成績で試験を突破している。
  特進学校の特進クラスで、彼らは新しい仲間と出会う。そこには面白い面々が居た。小林悟、セーラ・マグダネル・ダグラス、櫻井雪、水上朝人。どれも個性的な生徒ばかりだった。
  特に水上朝人とは、ドリームダンジョンで縁があった仲間の一人だ。偶然のようではあるが、同じ中学に入れた奇跡を朝霧は感謝した。