Victo-Epeso’s diary

THE 科学究極 個人徹萼 [CherinosBorges Tell‘A‘Bout] 右上Profileより特記事項アリ〼

Total Break Through - トータルブレイクスルー [reeling earth 2/3]



>>basis_18 黄金の太陽の標たち
バベル上層部の最高会議室。そこに入れるのはこの国の中でも最高の権力者たちだけだ。扉の傍の機械
で個人認証を済ませると大きな扉が開く。中に入っていくと、既に大勢の男たちが円卓を囲み座ってい
る。そして、今入ってきたばかりの男はその中でも一番奥の席に着席した。
「遅かったですね、第一観測者」
男に声をかけてきたのは、男から向かって右のほうに座っている中年の男だった。それに対し男は、
「うむ――」
と短く言った。その男は白髪交じりの初老の男で、細い瞳に、他の者の心を威圧する鋭い眼光を携えて
いる。彼が見回す先に座り続けている者たちは、ほとんどがある程度年端のいった男たちばかりだった
が、中には若い男も見える。中年女性も一人混じっている……
男は咳払いして、卓上に手を置いて切り出した。
「では、異世界観測に関する会議を再開する」
「はい――では、映像を」
一人の男が手を鳴らして合図すると、円卓の中央に立体映像が現れた。
「おお――」
小さくざわめきが起こった。そこに映し出された映像は、強大な円形のリングのようなものが中央にあ
り、周囲には大きな機械がいくつもリングを取り囲み、その巨大な三角形の上方が白い光を放っていた
。その外側には一面に円形の壁が張り巡らされている。そして、中央のリングの表面もまた薄緑色の光
を放ち、その上には人の形をした銀色の機械の鎧たちが無数に立っていた。遠近感を省みるに、とても
巨大なリングだという事が分かる。光の出力はどんどん上がっていく。画面のフォーカスがふいに上方
に向かう。その上にも円を描く壁が続いており、それが完全に上を向いたとき、壁が途切れて、彼方に
星空が見えた。
「これがバベルの機能……スペースブリッジだ。この塔の高度は空間の収縮精度を高水準にするためだ
が、前回の転移時よりも高くなっている分、精度は更に増しているだろう」
第一観測者が無為な説明を付け加えておいた。既にこの場の全員がそれくらいのことは知っている。
「やはり、何度見てもすばらしい……」別の男が感嘆して言った。
「あの機械兵団、今度こそ大丈夫なのだろうな……」また別の男の言葉は、リング上の機械鎧たちを指
して言った言葉だ。「どうなんだ、開発責任は第三観測者にあっただろう」
「その点は抜かりない。前回の探査では確かに原因不明の機能停止に見舞われた。だが今回は、ブリッ
ジの転移時の物質の歪曲は最小限に抑えている。しかも、前回に比べ十数倍の規模で機械兵団を送り出
すのだ。これで成功しないわけがあるまい……」
第三観測者はきっぱりと言い切った。
「ならばいいのだが……」
男たちが見守る中で、立体映像の中の機械兵団は、リングの上空に向けて出来た光の帯の中で一瞬にし
て引き伸ばされ、虚空に消えていった。
異世界への転移が完了した。ここからは兵団から送られてくる空間信号の画像に切り替える……」
第三観測者が言うと、ある男は歓喜の表情を浮かべ、ある男は無表情のまま、ある男は困惑したような
表情になった。
「しかし、全く信じられない話だ。異世界などというものが存在するとは」
困惑した男が言った。また別の男もその言葉に頷き、
「それは全く同感だ。今になっても、何かに化かされているような気分だ」
「だが、事実、異世界は存在する」無表情のまま言い切る男がいた。
「それは違う……この世界の存在、それこそが異世界であり、偽りの世界なのだ」
「第二観測者!それはおかしい。現に私たちはここにいる」
「だが、それが誰かの手によって作られたものだという事実はもう間違いない。この世界の思考制限を
破ることによって、一般市民とは違い、この世界の真の姿を知ることになったのだ」
「だが……その思考制限とやらを破ったのはあなただけだ。私たちには何がおかしいのか分からない」
「そういう考え方自体が、この世界を偽りだと見破られないように、世界自体が設けた制限に引っかか
っているというわけだ。この国の歴史、この国の外の世界を知るものはいないのだから」
「歴史がなくなったのは過去の大暴動のせいだし、国の外に出るのを禁じているのは……誰も帰ってき
たものがいないから……」
「それが偽りの刷り込みなのだ。私は、異世界と呼ぶ世界こそ、この世界を創造した神のいる、本当の
現実世界だと考えている……」
「しかし……その考えは……」
「もうやめたまえ。不毛な議論だ。それより、映像を出すぞ……」
その世界は、星の海だった。一面に輝く星空の上に、無数に浮かぶ小さな地面や木々があったのだ。下
方を見れば、とてつもなく長いビルがいくつも連なっている。それらは互いに空中通路で繋がっている
。上のほうには不気味に大きく輝く星がある。機械兵団は空間の上に立っていた。浮き島の方向を見る
に、上下関係はあるようだが、何故か落下はしないのだった。
「実に不思議な空間だ。一体何がどうなっているんだ?」
「ああ、全くだ……待て、あれはなんだ?人だ!」
映像の中に現れたのは、星空の中に浮かぶ人の影。
「近づけてみろ……あれは一体誰なんだ?」
すると、遠くに浮かぶその人影が腕を振ったかと思うと、突然映像が砂嵐に変わった。
「何だ?一体何が起こったんだ」
「おい、第三観測者!映像を切り替えたまえ」第一観測者が語気を荒めた。
「今やっている!」第三観測者は必死で思考伝達を送った。
映像が一瞬元に戻ったかと思うと、すぐにまた砂嵐に変わった。
「おい、何なんだ、また機械の不調か?」
男たちの間にざわめきが起こった。
「早く他の映像に切り替えたまえ!」第一観測者は更に強く言った。
「いや、これは……全ての映像が途絶えている……全ての機械兵が壊されてしまったんだ!」
「なんだって?」
「どういうことだ……」
どよめき、混乱、そして恐慌が巻き起こった。この国の機械技術を最大限に駆使して製造された機械兵
団が壊された?一体何が起こったというのか?

>>basis_19 四つの侵入
第一観測者は混乱し、頭の中が整理できない事を自覚していたが、この場で一番混乱してはいけないの
は第一観測者である自分自身だという事をよく知っていた。
「静まれ、静まれ!」
円卓を叩き、静粛な空間を促した。
「第三観測者、一体何が起こったのか分からないのか?」
「待って……破損前の映像を解析する。もう少し時間をくれ」
「分かった」
第一観測者は頷き、
「会議は一時休止だ。第三観測者が準備出来てから、今回の失敗要因について会議を再開する」
会議室は清閑となった。会議に参加していた観測者たちは訳が分からないといった様子で、うなだれる
ように出て行ってしまったのだ。
「失敗したのか……今回もまた……」
「ああ……もうこのプロジェクトは駄目なんじゃないか……全く訳が分からないな」
会議室の近くの廊下ではこんな会話がなされていた。彼らはドリンクを飲んだりしてリラックスしよう
としながらも、暗い顔が晴れることはなかった。
会議室で、第一観測者は第二観測者に話しかけた。
「今回の失敗は一体何故だと思う?」
「それは、第一観測者として……」
「いや、私個人として、君の考えが聞きたい」
「そうだな……」
第二観測者はくっくと笑いを浮かべた。
「何がおかしいんだ?」
「いや……所詮我々は神には勝てないということだろうよ。つまり、あれは神の使徒だ」
「ほう……だが、我々がこの閉ざされた世界で進歩するためには、異世界への扉をこじ開けてその神の
領域に踏み入らなければならない。そうだろう?」
「君も中々分かってきたじゃないか。思考制限を突破できる日も近いな」
「君の受け売りさ」
しばらく時間がたって、観測者たちはまた招集された。第三観測者の準備が終わり、機械兵団の全滅し
た理由を解析できたということだ。観測者たちは心して席に着いた。
「では……私の口から見解を語る前に、スローモーションの映像を用意した。これを見てほしい」
第三観測者が指で合図すると、部屋の大部分を占める円卓の中央に、立体映像が現れた。先ほどの、浮
き島が無数に遊び、大建造物が空中に聳える星空の世界だ。そして、前方の遠くへ例の人影が見える。
更に遠くに見える巨大な星の明るさのせいで、逆行がかかってよく見えない。だが、その腕が振りかざ
されたのが見えた。スローモーションにもかかわらず、その動きは中々すばやい。そして、その腕がカ
メラに向く。すると、突然、その腕から光の筋がまっすぐにカメラに向かい、映像は光に閉ざされ、直
後に砂嵐が画面を支配した。部屋には再びざわめきが巻き起こる。
「これは一体どういうことだ」
「見ての通り。あの何者かが、腕から強力なエネルギーを放って兵団を破壊したものと思われる」
「そんな馬鹿な。光学兵器でも手にしていたんではないか?」
「画像を解析した結果。そのような事実は一切ない」
「では、あの人影は……人間ではないのか?」
「いや、外見的特長からすれば明らかに人間だ。解析したら、顔も分かった。この通りだ」
円卓の上の映像に、端正な若い男の顔が浮かんだ。
「こいつは……一体何者だと」
その時、突然警報が鳴った。円卓の上の画像に、警告を示す文字が躍った。
「なんだ、何があったんだ?」第一観測者がアイコンタクトで第三観測者を促した。
『警告……警告……スペースブリッジががが作動して……います』
「馬鹿な、誰がそんなことを……」
『空間歪曲率上昇……転移後空間から……逆移送が行われています』
「なんてこった!奴さん、こちらの世界に転移してくる気か!そうか……歪曲空間が完全に閉じてはい
ない!映像の信号を送るために利用していた空間が……こじ開けられているのか!」
「第三観測者、それはどういう意味だ?」
「奴が来るんだ!この世界に!」
映像が再び切り替わって、またスペースブリッジを映し出した。光の帯が上空からリングにぴったりと
合わさり、上空から何かが転送されてきた。光の帯が決壊し、散乱していくと、そのリングに立ってい
るものの影が見えてきた。そして、それは観測者たちに戦慄を与えた。
「馬鹿な!あの男は……我らの兵団を打ち壊した奴だ!!」
バベル管理局の一室では、オペレーターたちもまた混乱をきたしていた。
「空間歪曲率、最大化!」
「逆移送……完了してしまいました!」
一体何が起こっているんだ?誰にも何も分からなかった。こんなことってあるのだろうか?一方的に異
世界への扉を開くだけのブリッジが、逆に異世界からの侵入を許すなんて!あの男は一体何者なのか?
それと同時に、新たなる異変が起こったことに、オペレーターの一人が気づいた。
「<炉>の出力が変調しています……今までにないほどの揺らぎを観測しました!各部のシステムに異常
が発生しています!ユリウス主任!」
だが、返事はなかった。
「ユリウス主任……?」
そのオペレーターが呼んだ男は、そこにいるはずの席から姿を消していた。この状況下で誰にも気づか
ず抜け出すなんて、考えられないことだというのに。
「ユリウス主任……一体、どこに行ってしまったというんですか!?」
また、誰も気づかない異変もあった。バベルに、異世界からではない、外部からの侵入者が潜り込んで
いたのだった。それは、不釣合いな一人の青年と一人の少年だった。

>>basis_20 マインドフォーム・エクストリーマー
ミルトンの足元で、手足を氷に包まれた警備服を着た男たちが、苦しみもがき、のた打ち回っていた。
「かわいそうさね、力の調節が出来ないんだ」
アダムはミルトンの手元に握られた一輪の花を見て、
「仕方ないさ。それの力は、自動的に私たちを守るだけだからな」
「ホワイトドレスに感謝しなくちゃ……でも、何でこんなにあっさり侵入できたんかな?」
「セキュリティシステムがまるで機能していないようだ。移動装置も一方向に動いている。これも彼女
の力か?」
「"彼"が導いてくれる、って言ってたっしょ。多分、それがぼくらを突き動かしているんよ」
「つまり、このまま進める道を進んでいけば、私たちの目標にたどり着くということか」
「うん、その力は、ホワイトドレスとは正反対に、とっても暖かい……熱気を持っているような気がす
る。何でかは分からないけど、そんな気がすんね、頑張んなきゃいけないってさ」
「彼女が水と冷気の化身だとすれば、それはさしずめ炎のエレメントか……」
「行こう、この先に何かあるはずだよ」
「ああ」
彼らはエレベーターに乗り込んだ。ミルトンはもう自分の使命を確信している。だが、アダムは不安だ
った。結局、何一つ聞かされていない。これは洗脳のようなものかもしれない。私たちは何を求められ
ているんだ?だが、バベルのことがなんとなく分かるような気もした。ここには、この世界を脱出する
事ができる何かがある……そんな予感がしているのだ。もしかしたら、ただの予感ではないのかもしれ
ない。雪の女王から、直接思考に送り込まれた情報なのではないか?もしかしたら、ミルトンが受け取
った使命とは、もっと明確なものかもしれない。が、私はこの世界が偽りであることも知っている。だ
から雪の女王に完全に流されるわけではないのか……分からない事だらけだが、いずれにせよこの塔に
全てをかけるしかない。何故だかそれ以外考えられない。
観測者たちの驚きは、やがて強い恐怖と反感へ変わった。第一観測者は、特殊訓練を受けた人間の尖兵
たちを転移装置に向かわせて、機械兵団を破壊した男の元に向かわせた。あの男はこの世界を侵食する
外敵だとしか考えられなかった。例の強大な力を持ってすれば、バベルの破壊すらいとわないかもしれ
ない、そうなれば、長き計画の破滅……それどころか、自分たちの命すらなくなる。殺すしかない。再
び転移装置を起動させてあの男を異世界に送り返したところで、危険がなくなるわけではない。根本的
に、外敵の存在を抹消しなければならない。第一観測者はそう考えた。
円卓の中央の立体映像に映し出された外敵は、機械兵の残骸と共に転移装置の上に乗っていた。最初は
その手にスクラップを掴んでいたが、転移完了後、すぐにリングの上に落としてしまった。男は不思議
そうな顔をして、自らの手とスクラップを見つめた。そして、もう一度そのスクラップを手で掴む。が
、それを持ち上げることはなかった。男は再び自分の手を見つめた。それを何度か繰り返した。観測者
たちは、男が一体何をしているのか見当がつかなかったが、時間稼ぎにはなった。大きなリフトが広大
なフロアの床下から武装した兵士たちを運んできた。男はそれを見つめ、手を伸ばし――その胸から、
血が飛び出した。武装兵の撃ち込んだ銃弾が、正確に男の急所を貫いていた。男は動きを止め、自らの
傷口を眺め、そして――転移装置のリング上に倒れ伏した。
「やったぞ!」
観測者たちの間に歓声が巻き起こった。あっけないほどにすばやく外敵を始末できた。この程度の力…
…恐れるに足りなかったではないか!だが、次の瞬間、その歓声はかき消された。再びの警告音。
『ががががが……空間が……異常な力場の空間が……空間自体が……圧縮して送り込まれてきます』
またもや光の帯が転移装置のリング上を包んだ。巨大な柱となった光の帯は四散するように見えた。し
かしその全ては消えず、フロア内がきらきらと輝く光の粒に支配された。そして、観測者たちは勿論、
訓練を受けた兵士たちにも恐怖を与える光景が繰り広げられた。空中に王冠のような紋様の入った円陣
が展開し、リング上の男のもとに集約した。そして、死んだはずの男が……立ち上がった。
「な、なんだこれは!」
「一体どうなっているんだ!?」
観測者たちは皆一様に、会議室で驚愕の表情を浮かべ、わめき散らした。ただ一人の男を除いて。
転送装置のフロアでは、兵士たちが銃器を抱えて飛び散った。飛び散る前のそこには、巨大な機械兵の
スクラップが投げ込まれた。それを投げたのは、死から蘇ったあの男だった。一人の兵士がその残骸に
巻き込まれて圧死した。残る八人の兵士は、リング上にある程度近づいて、代わる代わる機関銃を発射
した。だが、その銃弾は男に届くことはなく、手前の空間に壁があるかのように弾き飛ばされた。それ
でも銃を乱射し続けた兵士のもとに、白い光が飛んできた。男の両手から同時に二方向に発射されたそ
の光で、圧倒的なエネルギーの筋に体を焼かれ、二人の兵士が死んだ。更に光がアーチを描くように三
本発射され、逃げようとした兵士の体にすら追尾するように降り注ぎ、三人が死んだ。残った兵士は目
線で合図して、一直線に男のもとに向かっていった。男はその様子を見て、まだ距離が大きく開いてい
るにもかかわらず、今度は何もせずに、兵士たちが自らのもとにたどり着くのを待った。そして辿りつ
いた兵士たちは弾の切れた銃剣で襲い掛かった。男は避けもせずに腕を振り上げ、人差し指で剣を受け
止めた。傷一つつかなかった。そして、その指を横に振って銃剣を弾き飛ばし、目の前の兵士に近づい
てその頭を殴り飛ばした。兵士の頭はちぎれて飛んだ。その背後から切りかかった二人の兵士に、振り
向きもせずに裏拳で片方の銃剣を砕き折り、回し蹴りでもう一方の首をへし折った。そのまま最後の一
人の心臓めがけて拳を振るい、背中を突き抜けて心臓をつぶし、殺した。この間数分で、精鋭の兵士た
ちが見事に全滅した。
観測者たちは恐怖に震えた。その男の瞳が、カメラを通じて自分たちの方向を睨んだのだった。その唇
が静かに動き、
「おまえたちが……」とゆっくりと言い放ち、「……この世界の主人か?」
観測者たちは体を震わせ、それを押し隠すように、
「奴は何者なんだ!?」
「馬鹿な!何故こんなことになったんだ!」
「何か手はないのか!!何か……誰か!」
絶叫が飛び交う中で、第一観測者は茫然自失となっていた。こんな……こんなばかげた事がありうるの
か?ふと、第二観測者が気になった。彼ならば何か良い案を知っているのではないか……
「第二観測者、私たちはどうすれば……」
すがるように隣の席を見ると、誰もいなかった。まるで、最初から第二観測者は存在しなかったかのよ
うに、その存在が消えていた。
外敵の男は、ピクリと体を引きつらせて、カメラを睨むのをやめた。他の何かの存在を感知したのだっ
た。ゆっくりと頭を動かす。その先にはエレベーターの扉があり……その手前に、一人の青年と一人の
少年が立っているのを見たのだった。

>>basis_21 守護天使の勅命
アダムとミルトンは、その男と兵士たちの戦いを見ていた。いや、戦いと呼べるようなものではない…
…一方的な虐殺だ。そして、その虐殺を行った男が、ついにこちらの気配に気づき、顔を向けた。
「君は一体何者なんだ……」
アダムの質問に答えず、男は、
「おまえたちが……この世界の主人か?」
「まさか!そうか、君はこの世界の住人ではな……」
言い切る前に、男は腕を振り上げていた。その右手の中に眩いばかりの光が一瞬にして収束し、開放さ
れて、アダムをめがけて飛び出した。
「アダムさん!」
ミルトンがアダムの前に飛び込み、両手で雪の花を掲げた。すると、白い吹雪が二人を取り囲むように
球状に展開して吹きすさび、光の束を霧散させた。
「なんだ……それは?」
「待て!私たちは敵ではな……」
男はアダムの言葉を無視し、右腕に左手を添え、更に光を放った。エネルギーの波動は再び吹雪の壁に
当たった。光は四散したが、更に連続して光が吹雪の壁を攻撃し続けた。段々と壁の力が弱まっている
事を、透過してくる衝撃
波の威力から二人は察する事ができた。
「どうしよう……このままじゃやられてしまうよ!」
「くっ……逃げる隙もなさそうだな。こうなったら……玉砕覚悟で突っ込むしかない。その花の力はそ
う遠くまで及ばないしな」
「そ、そんなこといったって……どうするんさ!?」
「私が囮になる。奴の死角を突いて飛び込むんだ」
「そんな!あ、アダムさん!」
「頼んだぞ……」
アダムは吹雪の壁から飛び出した。全速力でミルトンから離れる。男の目線がアダムを向く。そして、
腕をアダムの方向に向けるが、アダムは円周を走り、その照準をつけさせないようにした。男は一瞬目
を閉じ、手を胸の前で合わせ、両手の中で光の球を形作り始めた。
(まずい!気づかれたのか、私が雪の花びらをとっておいた事を……これさえあればあの光でも直撃さ
れない限り致命傷にはならないかと思ったが……)
男は強い威力の光を練り上げている。恐らく、速攻で出した光に比べ、威力はかなり大きくなるのだろ
う、とアダムは考えた。
(だったら……)
アダムは円周からはずれ、回転する軌道を取りながらも、それを狭めて一気に男に近づいていった。あ
まり近くで光を放てば、自分も相打ちになるのではないか、と判断した結果が、近づくことだった。男
は、近づいてきたアダムに対し、無表情のまま……アダムを無視して、体を振り向かせた。その先には
ミルトンが近づいていた。なんてことだ!この男は、最初から雪の花を持つミルトンを狙っていたんだ
!アダムは叫ぼうとしたが、間に合わず……大きな光の球がミルトンを覆い……爆散させた。
「そんな馬鹿な……ああ、ミルトン!ミルトン!」
その威力に床面も砕け、粉塵と煙が舞う。その中から薄っすらと現れた姿は、二つあった。
「あ――あ」ミルトンの声が聞こえた。
茫然自失となる彼の前には、ホワイトドレスがいた。とても傷ついた姿で。彼女の涼やかな髪も、肌も
、爆炎の中にまみれてところどころ焦げ付いていた。彼女は言った。
「こんなところで……死ぬなんて許さない……から……」
「ほ、ホワイトドレス……」
ミルトンの目の前で、ホワイトドレスの輪郭が白い粉雪を思わせる白に染まり、その体もまた粉雪のよ
うに散乱していった……
「ま、待って、ホワイトドレス……」
ミルトンの手にはもはや雪の花はなかった。それは、雪の女王そのものなのだから。ホワイトドレスの
姿は、全て消え去るかのように見え、ミルトンは動揺した。が、それ以上に動揺する事態に陥った。彼
女の姿は、全てはなくならず、小さな……ミルトンよりも背が低い女の子の姿となって現れた。彼女は
倒れこんで、
「マリ……マリアストリュク?な……何で……君……が……」
アダムは冷静に、
「そうか……君はミルトンを見張っていたのか!いずれ自分の目的を達成させるために……姿を変えて
監視していたんだな!あの時、私たちを助けたのも、それを知っていたから……」
ミルトンは彼女の体に覆いかぶさるようにして、二人仲良く気絶してしまった。
リング上の男は、アダムの方を向いた。アダムは、巨大なリング上の男を見上げた。とりあえずミルト
ンは大丈夫だ……だが、防御手段がない!私はどうやってこの状況を切り抜ければいいんだ?頭を働か
せるんだ……何か……何か方法が……いや、待て。そもそも、何故あの男はこの絶対秩序を持つ世界で
こんな常識はずれの力を使っているんだ?そうだ……私はこの世界では非常識な力は使えなかったが、
この力場は外部とは違う感じがする。ここなら、私も力を使えるかもしれない……いや、そんな都合の
良い事が……だが、この男が実際に力を振るっているのだから、あるいは……迷っている暇はない!男
はアダムに向けて手を振りかぶった。瞬間、光の筋がアダムを焼き殺そうと迫り来る。アダムは、自分
の周りが見えない障壁に守られている、とイメージした。すると、殺戮光線は目の前で軌道を変え、は
ね返された。男は、少し驚いたように、眼をかすかに見開いた。アダムは少し笑ってしまった。こんな
ことができるなら、最初からミルトンもマリも……傷つかなくてすんだのに。男は再びアダムを狙って
光を放つ。アダムはそれに真っ向から、猛スピードで飛び込んだ。散乱したエネルギーのスモークから
、傷一つないアダムが、男のほうにすさまじい速度で、頭から飛び込んでくる。そのまま男に突進して
、よろめかせた。男はバランスを整えて姿勢を戻し、険しい顔になる。
「お前、何者だ……」
男は両手の間に光を発した。そして、右手でそれを引っ張ると、長い棒状の光がするすると出てきた。
光の剣だ。それを強く握ってアダムに振りかざす。それに対し、アダムは腕を掲げ、それを受け止めた
。その腕にそって、かすかに光る半透明の刃が備わっていた。これもまた、男に対抗して生み出した光
の剣。私には、この世界なら何でもできる……何せ、私は精神力学の実験体だったのだから。アダムは
薄笑いを浮かべたが、すぐに引っ込めた。男のほうは、今度こそ驚いたようで、睨みを利かせている。
アダムは刃と刃のぶつかりあいから、後ろに下がった。そして、両手を挙げた。
「まあ、待ってくれ。君は誰だ?何故君は私たちを殺そうとする」
アダムは、男に勝てないとは思わなかったが、無意味かもしれない争いは避けたかった。
「俺は、オリゲネス。ここではない世界からやってきた。お前たちが侵略しようとした世界だ。度重な
る侵略行為に対し、我らの守護天使メタトロンは決断し、命令を下した。二度とこんな事が起きぬよ
う、この世界を破壊するために」
男の言葉を、アダムは瞬時に理解し、
「そうか……ホワイトドレスから受けた情報の意味が分かった……バベルは巨大な転移装置だったとい
うわけか!だが、あいにくだが私はこの世界の住人じゃない」
「なんだと……」
「そうでもなければ、こんな力を使えないだろう。私はアダム。別の世界から来たんだ」
「お前がこの世界の<ルーラー>であれば、話は別だ。その場合、俺はお前を殺せばいい。簡単な話だ」
アダムはオリゲネスを眼帯の下から見据え、
「殺せると思うか?私は<ルーラー>ではない。だが、この世界を壊すのはやめてもらう……お前の好き
にはさせない……壊してはいけないものがある……っ」
アダムはミルトンの倒れたほうをちらりと見た。
「俺に守護天使の勅命を破る権利はない。従って……この世界の未来は、破滅のほかありえない」
「はいはい、そこでお終いだ」
突然、二人の会話を遮る乱入者が現れた。アダムは驚いて声のしたエレベーターのほうを見た。
「君は……ユリウスっ……何故だ……?」
突然の来訪者は、アダムをひどく混乱させた。

>>basis_22 バベル崩壊
「僕は君たちの戦いを止めに来たんだ」
ユリウスはしれっと言った。
「君たちのどちらにも死なれては困るんでね」
アダムはゆっくりと歩いて近づいてくるユリウスに対し、
「どういうことだ……」
質問とも自問ともつかない言葉を吐いた。
「君はヴェルハとミルトンの兄……そうか、バベル建設管理者だと言っていた……ここにいるのも当然
……だとすれば何が目的か……私たちを捕らえようというのか……わざわざ姿を現したら、この男に殺
されかねないというのにっ」
「心配しないでいいよ」
アダムが見たユリウスは、まるで恐れるものなど何も無いといわんばかりに涼やかな顔を保っていた。
ユリウス側から見れば"外敵"であるオリゲネスが、アダムの注意が自分に戻る前に、腕を振り上げて、
あの殺戮光線を放った。光は眼にも留まらぬ速さでユリウスに向かい、彼の体を焼き殺さんとうねりを
上げた。アダムは叫びを上げようとしたが、その前に光が描いた曲線の先端はユリウスの体に達した。
しかし、次の瞬間、光は彼の体の中に吸収され、何事も無かったかのように静かな空間が三人の眼前に
広がっていた。
「な……んだと?」
オリゲネスは素っ頓狂な声を上げた。それだけ彼は驚いていたのだろうか。アダム自身もまた同じ気持
ちを抱いていた。ユリウスは歩みを止めず、二人の下に近づいていった。オリゲネスは先ほどよりも強
い光の筋を腕から放ち、ユリウスに向かわせた。跳躍した。彼は足と頭を逆さまに、体の直線を保ちな
がら空中を跳んでいた。光は彼の下をすり抜けて飛んでいく、ユリウスの体は転移装置のリング上に着
地した。彼の後ろを飛んで行った光は空中で向きを反対に変え、再び彼の体に急速に接近した。彼は右
腕を後ろに伸ばし、近づいてきた光を、腕を振って手で掴み、そのまま腕の勢いで掴み取った光を放り
投げた。勢いを増したそのエネルギーは、オリゲネス自身の元へ戻っていった。オリゲネスは避けよう
としたが、眼前に迫った光弾を見て、
(駄目だ、死ぬ……?)と、もはや避けることも、防ぐこともできないと悟った。光はオリゲネスの後
方の壁にぶち当たり、頑丈なバベルの壁面を大きく抉り取った。オリゲネスは無傷だった。彼は見た。
自分に向かってきた光が、自分の直前で向きを変え、避けて通って行った様を。(馬鹿な!俺の放った
光を完全にコントロールしたのか?)
「お前は何者なんだ?この……アダムという奴よりも、更に強い……ユリウスとか言ったか。お前もこ
の世界の住人ではないとでも言うのか?」
「まあ、そんなところだね」
「いや……それとも<ルーラー>か?それならばその力も理解できる」
「残念ながら僕は<ルーラー>ではないよ。でも、この世界が偽りのものだということは知っている」
「ユリウス!」
アダムが叫んだ。
「君は……私が別の世界から来たのも知っていたんだな……」
「悪いな、アダム。それを明かすには早いと思ったんだ」
「だとすれば……君は」
「う……ユリウス兄い……」
突然割り込んだうめき声は、ミルトンのものだった。彼は、気絶したままのマリを抱きかかえながら、
上体を起こしてアダムたち三人のほうを見ていた。
「ユリウス兄い……つまり……僕らの兄貴じゃなかったってことさね……」
「ミルトン……それは違う。確かに本当の意味での兄弟ではない……だが、それ以上に強い繋がりが僕
たちにはあるんだ」
「でも、一人だけ分かってたんでしょ!?僕たちを……騙してたん?」
「騙してなんかいないさ。ただ、物事には段階というものがある。今までのお前には明かせなかった…
…今のお前とは違うんだよ。分かってくれないか?」
「でも……一体何者なんだよ……」
「まあ待て――」
唐突に、その場にいる全員が一つの方向を向いた。そこには誰もいなかった。が、どことなくその方向
から声が聞こえてきた。
<オリゲネス……<ルーラー>はどこにもいない……>
「誰だ……その声……まさか、グスティヌスか?」
<そうだ……私はこの世界に降り立ち探っていた。この世界の<ルーラー>は、どこにもいないのだ>
「どこにもいないだと……」
<そう、どこにもいない。ただそこに在るのだ。それこそがこのバベル……>
「成る程な。人ではなく建造物が<ルーラー>だというわけか……」
<これを打ち壊すことでこの世界は正常な姿を取り戻すだろう。さあ、お前の力を見せてみろ……>
「分かった……やってやるさ」
オリゲネスが手を下に向けて咆哮を上げると、その周囲に陣が浮かび上がった。転移装置が光を放ち始
める……
「まずい……逃げるぞっ」
ユリウスは戸惑うアダムを脇に抱えて、超スピードで転移装置の広いリングを走りぬけ、そこから降り
た。そして、アダムを降ろし、後ろのリングを少し振り返り見て、視線を戻し、目の前のミルトンとマ
リを見つめて考えた。そして、ほんの少しの後、視線はそのままに、
「アダム……僕についてこられるか?」
アダムはまっすぐに立ち上がって、
「ああ……大丈夫だ」
「じゃあ。ちょっと飛ばすよ……ミルトン、しっかりつかまれ」
「え、つかまれったって……」
ユリウスは問答無用といわんばかりにミルトンとマリを両脇に抱え込んだ。
「これじゃつかまるも何も……うわあ!」
ユリウスは物凄いスピードで空を舞い、バベルの壁に激突しに行った。これじゃあ死んでしまう!とミ
ルトンは感じたが、そうはならなかった。ユリウスの周囲に張り巡らされた不可視の壁がバベルの壁を
貫くように破壊していった。まるで、そこには何もなかったかのように壁が四散した。アダムはその後
を追うようにして飛んで行く。ユリウスのあの力……あれは私の力を遥かに超えている。彼は一体何者
だというんだ?精神力学の実験体であり、この世で最も強い精神に近い私ですら、彼の力には及ばない
。この人間たちの新たな<コスモ>は、まだその全てを掌握する事ができないのか。この私ですら!アダ
ムは、素直に悔しいと思った。だが、それでこそ私の計画は意味が深いのだ、と考え直した。そこで、
思い当たった。ユリウスに伝えようとしたが、急速度で声が伝わらない。そこで、今なら心で伝える事
もできるはずだ、と思い念をこめた。
(ユリウス!この世界の秩序は今のバベルの中でしか破れない!このまま外に出たら死んでしまう!)
(大丈夫だ。この世界の秩序は既に破られつつあるんだ。侵食……一体化が進んでいるからね)
(何だって……)
(それよりもバベルの崩壊時に起こる、膨大なエネルギーの流出が恐ろしい。あの男がこちらの世界に
入り込んで暴れてしまったせいだな……なるべく離れておこう)
ユリウスはいくつもの壁を強引に突き破り、ついにバベルの外壁を突破した。そこにはもう何の床も無
い。そのまま空を滑空しながら……物凄い風圧が身を切るように流れ、ミルトンは下を見た。街がとて
も小さい……気が遠くなった。落ちたら絶対死ぬ……あまりに現実味が無くて……意識が薄れ、再び気
を失った。
観測者たちは、逃げることもできなかった。機械の警告音が鳴り響いている。このバベルの異世界転移
装置から、異世界の空間がこの世界に流れ込んでいる。映像は、空間が歪んでいるせいか、歪んで見え
るが、それでもオリゲネスの足元に紋章の陣が大きく広がる様が見て取れた。そこから巨大な光が広が
り、空高く飛んで行った。そして、しばらく何も起こらないかと思うと、突然バベル全体が大きく振動
した。何が起こったのか分からないまま天井が崩れ、観測者たちは瓦礫に埋もれて息絶えていった。
第一観測者は最後に思った。(第二観測者……お前はこの結末を知っていたのか?バベルを建設するの
は私の悲願だった……この国は過去にエデンから放逐された……しかし、本当に神がいる異世界という
領域があるということは私の父とお前だけが知っていた。父の願いでもあるこのバベル計画は……お前
が仕組んだものだったのか?そんなことはありえない……何故だ?いや……そもそも私に父がいたとい
うのも……幻想だったのだろうか……)
第一観測者は最期に何かを掴みかけた。これが思考制限の突破なのか……だが、全ては遅すぎた。
オリゲネスの放ち続けた光は上空から降り注ぎ、雷となってバベルを破壊した。そして、バベルの崩壊
に伴い、この世界と繋げられた異世界から特殊な力場があふれ出し、光たちが世界に降り注ぎ、この世
界自体が崩れ去っていった……

>>basis_23 楽園の再生
「う――ん」
アダムの意識が回復した。小さなうめきを上げる。何があったんだ?そう――バベルを脱出して……振
り向けば崩れ落ちるバベル……とてつもない光があふれ出した……世界が光に包まれて……巨大なゆが
みに巻き込まれて……ここはどこだ?上体を起こし、辺りを見回す。
「ここは――まさか、そんな馬鹿な」
アダムの体は柔らかな花たちの中に埋もれ、空は透き通るような青さがどこまでも広がり、地には穏や
かな川と小さな林、そしてどこまでも続く花の波が、風に温かい風に微かだが揺られていた。
「ここは、エデンじゃないか……」
アダムが一人呟く。
「そうだよ」
「え……」
アダムが振り返ると、そこにはひどく懐かしさを感じる顔があった。そんなに長く会っていなかった訳
ではないはずなのに。
「ノア……どうして……?」
「僕だよ、アダム。久しぶりだね」
「あ――あ、私はあの雪の世界から飛び出したのか?いや、だがここは<セル・ワールド>の隙間の暗闇
の中ではない」
「違うんだよ、アダム。誰もどこからも去っていったわけじゃないんだ。消えていったものたちはいる
けどね……」
「うん……そうか、つまり世界のほうが変わってしまったということか……」
「御明察……といいたいところだけど……世界は変わってしまったのは事実だ。でも今の世界は違う。
この部分だけでも取り上げれば、最初から変わってはいないんだよ」
「分かったよ、この世界は元々雪の国じゃなかったんだな。最初はこのエデンだった。それが何らかの
理由により雪に閉ざされてしまっただけだと……」
「そういうこと……色々あったんだ。外部の世界を流入させてしまったから……」
「この世界は私の世界なのかい……」
「そうだよ」
ノアは口に手を当てて少し考えてから、
「そう――ここはアダム、君の世界だよ」
「そうか――」
アダムはしばし沈黙し、ノアの瞳を見つめた。ノアは少し恥ずかしそうに眼をそむけ、
「ああ、ノア――本当に久しぶりだ。君に会いたかった」
ノアはアダムの顔をまじまじと見つめ、
「僕も君に会いたかったよ。でも、ずっと見守っていたんだ」
「そうか……何故私を助けに来なかったかが分かった。君は、この世界は私の世界だといった。でも、
この世界の<ルーラー>は君だったんだね……」
「ああ」
ノアはまた何か考え込んだ振りをして、
「でも、君の世界でもあるんだ。君のイメージしたエデンの再現をベースとして、僕が君のために造り
上げた世界なんだよ」
「私のためって……」
「つまりね……この世界はすでに、暗闇の意識細胞――<セル・ワールド>――の形作る<コスモ>――そ
の中心<コア>に達しているんだよ」
「何だって?」
「もっと言うと、この世界は<コア>世界と融合しているんだ」
「そんなことってあるのか……暗闇の中を移動して<コア>を目指していたはずだろう……そして、突然
何らかの事故で、大きな一つの世界に落ちてしまった……この世界を脱出して再び暗闇の中を目指さな
ければいけない……そうだとしか思えなかった。なのに、君の言うことは――」
「ああ、気づいたんだよ。あのままでは<コア>に達することは難しかっただろう。何故なら、<コア>の
周辺は高圧高密だと君自身言っていただろ……<コア>の更に中心に達するには、その溶け合って巨大に
なった<セル・ワールド>の内部を単独で潜って行かなければならなかった。もしかしたら、その密度の
分布によっては、潜行している自分自身すら溶かされてしまうかもしれない。とても危険だ。いくら君
でも、あるいはその存在がかき消されてしまうかもしれないから――それを打破するために、自らも大
きな世界を作り上げて、その存在の大きさから<コア>に対する大きな引力を生み出す。そして、そのま
まその世界を<コア>と融合させてしまえばいい。君を安全に<コア>の中心に運び入れ、自分に近い世界
を馴染ませる事によって<コア>世界を調査しやすくする事ができる……そう考えたんだ」
「そんな……全て、私のためだったというのか……」
「うん。そこで僕が君の心からこの世界を作り上げた。より大きな引力を生むために色々な世界――つ
まり人格を含む<セル・ワールド>――その力を強制的に吸収していった。その結果、いろんな人がこの
世界に集まったわけだけど……」
「そうか。通りで<代替物>が少なすぎると思ったんだ。マリ以外の全てが実人格だったと……」
「うん――でも、それだけではまだ足りなかった。この世界の中心にいる君を、君のいる場所を、より
<コア>に近づけなければ意味が無かったんだ」
「そこでバベル……というわけか」
「水のエレメンタル――雪の女王と呼ばれたが――に働きかけて、集まった人々に、住居と、国という
秩序を作らせたんだ。そして、バベルを造り上げるために一人の男を選んだ――先の第一観測者だよ」
「だが、おかしくはないかい……そんな時間の経過を私は感じなかった。いつの間にかこの国にいたん
だよ。その空白の時間はどうなっているんだ?」
「ああ――実際にはね、それを初期設定として創り上げた、というだけの話なんだ。僕は<ルーラー>。
この世界の人々にそのような条件を与えてからそういう世界を動かし始めた、ということさ。そこに至
る時間は僕の意識の裏に圧縮されていたんだ。あたかも虚数時間から実時間に時空が発生したかのよう
に、時間尺ではもっと経過していたことになるけど、始まりは突然だったんだよ」
「圧縮……時間の流れが違う……そして初期条件、そんなことを君一人で行ったというのか?」
「いや、まあ、世界の設定を細かく想像していくのは骨が折れたよ……それで、バベルだ。あれは、黒
の<コスモ>の中の<セル・ワールド>たちの中を貫いて目的の位置との間を極端に狭めていくんだ。最も
、バベルを管理していたものたちにその効果は分からなかったのかもしれないが。それでも、その制御
には人の力が必要だったんだ……まあ、これはバベルの想像のためにそれらの人の思考力を借りたせい
もあるんだけど。結局ね、一人では無理だったってことさ。でも君がその崩壊に巻き込まれるとは思わ
なかった。ごめん……」
「いや、いいんだよ。私は結果として死ななかった。それはただの偶然ではなかったはずだ。全て君の
おかげだ。必然性を持っているのだと思っておこう。だが……そんなバベル構築を成し遂げてしまうと
は……やはり君は強い。何が君をそこまで突き動かしたんだい?」
「気がついたんだよ。僕はね、アダム。君の子孫でもあるのさ」
「何だって?」
「禁断の果実、その力が発動したときに君の種子を埋め込まれたのは、ニューラルネットプログラムの
世界にいる者だけではなかったんだよ。精神という構造は、有機体でも無機的な機械の中の世界におい
ても同じってことだろっ、僕たちは皆、君の精神の構造を受け継いでしまったんだよ」
「そういうことかっ」
アダムは頭をたれてうなだれた。
「分かったよ、何故こんな<コスモ>が生まれたのか」
「でも、それが理由なんじゃない。僕は、本当に君の事が……君を心配していたんだ。傷つけたくなか
った。でも、逆に君を傷つけることになったのかもしれない……外部から集めた人間による何らかの反
乱が起こらないように、安全に世界を運ぶため、この世界では常識を逸した力は使えなくしたんだ。で
も、君はそのせいで辛い思いをしたかもしれない。ごめん。許してくれなくてもいい。とにかく君の傷
が少しでも小さければさ――」
「ノア……私の力を知っているだろ?どんなに君が私の事を思ってくれようと、それは私が君の意識を
プッシュすることによって、心の動きを強制しているだけかもしれないって……」
ノアは笑い声を上げた。アダムはぽかんとしていた。ノアはこみ上げる笑いをこらえ、
「違うだろ……君は、そうじゃない。実はもう分かっているのさ、僕だってね。僕は、ただ本当に君の
事が、その……好きなんだよ。これは誰に操られたわけじゃない。君自身が一番分かっているだろ、操
られているなんて、そんなことはありえないんだよ」
「そうか……君はもう知っているんだな……」
「覚えているかい、この暗闇の<コスモ>の中で出会ったときのこと。あの時、僕は情報として君の事を
知っていた。君は自らアダムと名乗り僕に接触してきた。君もまた僕の事を知っていたんだよね。まだ
あの頃はこの<コスモ>の実情が正確に把握できなかったから、君のコンタクトをすんなり受けいれた。
君と話すことで、この<コスモ>が生まれたいきさつを理解していったが、それは僕にとって絶望だった
。君も僕に絶望をもたらした最悪の存在だったはずなのに……君がかき乱した僕の心は、それが善であ
れ悪であれ君の方に向かっていたんだ。それが今では、本気で君の事が好きだと思っている。敬愛して
いる。錯覚かもしれない。でも、かまわないんだ。僕は素直な気持ちを伝えたいから」
「ありがとう、ノア。私は最高の友人を持てたと思っているよ」
「そう。友人……だよ。君はそれでいい。彼を追い求めているんだろう……」
「ああ、すまない。比べることなんて出来ないけど……それでも、私は彼の事が忘れられない」
「彼はもうすぐ傍に迫っているよ。この世界の始まりを思い出してごらん……」
「あれは、夢や幻ではなかったと……?」
「そう……もうすぐ会える。だからもう僕の役目はお終いだ」
「どういうことだい?君も一緒に、<コア>を探求するはずじゃ……」
「僕はもうこの世界を創るために、存在を溶け込ませすぎた。<セル・ワールド>の大量取り込み、取り
込んだ<セル・ワールド>のメタ利用に、エデン世界の蓋となる雪の世界を造り、無茶なやり方ばかりし
て自我を犠牲にせざるを得なかったんだ。そして、<コア>と融合したことで、世界自体という枷から逃
れることは出来ない。こうして意識を表出させていることだって辛くなってきたよ。大丈夫、君には仲
間がいるんだから……さ」
「ノアっ……」
「頑張ってくれよ、敬愛する心の始祖――さよなら――」
ノアの姿は消えてしまった。そこにはもう青い空が広がっていくだけだ。そして、誰かが自分の声を呼
んだような気がして振り返る。そこにはミルトンとマリが花畑の上に寝転がっている姿が見えた。
「ありがとう、ノア。さようなら――私の最高の――」
その先は言えなかった。でも、彼は分かってくれる。もはや、彼のためにも、自分の使命を果たすだけ
だ――

>>basis_24 生命の樹<セフィロト>へ
楽園の片隅で、二人の男が佇んでいた。一人はオリゲネスという男、そしてもう一人は……かつて第二
観測者と呼ばれた男だった。オリゲネスは言った。
「グスティヌス……これはどういうことだ?」
「何のことかな……」
「バベルという建造物がこの世界の<ルーラー>だと言ったが……この世界は消えていない。それどころ
か……これではまるで……」
「世界は正常な状態を取り戻した。それは事実だ」
「この世界はわれら<コア>世界にとって敵だった!だから壊して……世界の力だけ吸収しようと……」
「この世界は<コア>に吸収された。それも間違いない」
「だが……だが、これではまるで……」
<そうだ、オリゲネス。この世界は、<コア>と同化してしまったんだ>
「……ユスティノス?」
<ああ――>
突然に空間が裂けた。後ろに見える花や木々が歪んで二人の眼に映った。裂けた中の空間は、輝く星の
空に、ひときわ大きな光を放つ星があり、それを背景に無数の地面が浮かんでいた。その中から、一人
の男がにゅるりと這い出し、花の咲き乱れる地面に降りた。オリゲネスは小さくうめき、
「ユスティノス……同化したと言うのは本当……みたいだな」
「そうだよ……見てただろ」
「ああ……つまり、同一世界だからこそ、そんな移動法ができると言うことだろう……」
「まあ、そういうことだな。やられたよ。こんなことになるとは思わなかった」
「どうなってるんだ、これは……」
「ああ――グスティヌス……君はこの世界……いや、今は同化しているから……ここの元の世界に潜り
込んで調べていたんだろう?こんな結末になるとは考えられなかったのか……」
ユスティノスに呼ばれたグスティヌスはくっくと笑い、
「悪いが、誰がこんな未来を想像できると言うんだ?」
「そうだな――まあ、そういうことにしておこうか、だが、責任は――」
「グスティヌス!お前は、バベルと言う建造物こそ<ルーラー>だと言った!」
オリゲネスが叫んだ。ユスティノスは少し意外そうな顔をした。オリゲネスは続けた。
「だが、それは嘘だった――この世界は消えなかった。<コア>と同化したのも本物の<ルーラー>が仕組
んだことだ。違うか、ユスティノス」
ユスティノスは冷静な顔に戻り、
「ああ、多分そういうことだろうな……だが、<ルーラー>も<コア>と同化してしまったはずだ。制裁を
加えることは出来そうにないな」
「グスティヌス、お前の指示に従って、世界を融和させてしまった事が引き金となったのかもしれない
……一体、この責任をどうするつもりだ?気づくことも出来ただろう!」
グスティヌスは、肩をすくめ、くっくと笑って、言った。
「違うな。責任逃れをしているだけだろう?お前の行為は必ずしも必要だったわけではなかろう。それ
が原因となったかもしれない。そう思って責任を押し付けているだけだ」
「くっ……だが、お前の指示には……」
「安心しろ、オリゲネス。バベルが発動した時点でいずれこうなる運命だったんだ。あれを壊したとし
ても、世界の性質自体が変わってしまったからな。そして、それは私にも止められないことだった。あ
の世界の法則は私を縛り付けたからな。第二観測者という地位を得ることも大変だった。いや、それも
また真の<ルーラー>が仕組んだことだったのか?まあ……いずれにせよバベルを止めることは出来なか
ったんだ。責任を取ろうにも無理なことだ――」
ユスティノスは頷き、
「まあ、それについては<コア>の――セフィラに帰って守護天使の裁断を受けることだな。オリゲネス
、君が連れて行くんだ」
オリゲネスは意外そうな顔をして、
「お前はどうするんだ?」
守護天使の勅命だよ」
ユスティノスはにやりと笑って、
「侵入者を案内するように言われたのさ」
「何だって……」
「さあね。とにかく、私ももう行かなくては……んっ……」
身を翻そうとしたユスティノスの視界に、誰かの姿が映った。それは<コア>世界の者ではなかった。彼
らはそれを迎え入れた。
ミルトンはマリの肩をゆすり、名を呼びかけて目覚めさせた。目覚めた彼女は、ミルトン自身の知って
いた彼女と同じようでいて、どこか違う雰囲気を感じさせた。彼女は上体を起こし、落ち着いた声で言
った。
「お花畑……あったかい……」
ミルトンは心配していた。彼女の声にいつものたどたどしくとも元気のある喋り方ではなかった。
「マリ、ぼくが分かるね」
「ミルトン……私どうしたの……」
「君は、ぼくの事を守ってくれたんよ!」
「そう……そうね、ああ……バベルからたどり着いたの?」
「バベルは崩壊したよ、でも、ぼくたち、その先の世界にたどり着いたみたいなんよ。君は分かるんか
い?」
「そう……<コア>と同化したのね。あの男が<コア>から逆に入り込んできて、バベルを壊してしまった
の……?私の導きは無意味だった……もう私は必要ないみたいね……」
「無意味?……何を言ってるんよ、マリ……君も一緒に来てくれるんじゃないんか?」
「ミルトン……私の正体が分かるでしょ?エレメントは世界の構成要素。この世界が少し暖かすぎるの
も、私が力を失ったせいなの」
「でも、今までどおり姿を現してくれれば良いじゃんか……」
「そういうわけには行かない。表面的には、まだこの世界も<コア>と完全に同化していないから。今は
殻のように覆っている……<コア>の中には行けないの。そして、あなたは<コア>へ行く……この殻世界
に残るしかないわ。でも、いずれ私が力を取り戻す頃には完全に同化してるから……」
「つまり、その時が来ればまた君と会えるんよね?でも、どうしても行かなければいけないん?」
「そうよ。もうあなたの生まれ育った、記憶の中の世界は存在しない。もはや進むほかないのよ」
「分かった……僕、行くよ」
ミルトンは立ち上がった。
「うん……頑張ってね、色々な驚きがあなたを襲うかもしれないけど……」
「大丈夫ってば!僕が挫けるわけないっしょ?それに、マリが言ってくれるんだからさ……まあ、その
……」
マリはふ、と笑って
「そうね。心配は要らないよね、私ももう行くから……」
彼女の背後に、炎を纏ったような派手な外套を着けた男の姿が現れた。
「迎えに来てくれたの?炎の魔術師さん」
「ああ。あの窮屈な<炉>の中はもうこりごりだ。行こう、雪の女王よ」
「うん……じゃあね、ミルトン……」
「また……またいつか会おうな、マリ……」
彼女は笑顔を見せながら、男と共に空間に溶け込むように消えていった。最期に彼女は考えた。
(ごめんね、ミルトン。殻世界が完全に<コア>と同化する頃には私という世界の構成要素もそこに同化
する。<ルーラー>が与えてくれた自我も、<コア>世界にはありはしない。だから、同化する頃にはもう
私の心も……でも、君の事を守れて良かったと思うよ……)
彼女の考えを、ミルトンは知るよしもなかった。だが、生きる意味は決まった。彼の後ろで全てを見て
いたアダムと共に、本当の<コア>に行くだけだ。
アダムは遠い地平を見た。そこには、かつてニューラルネットプログラムのエデンにもあった、あの巨
大な樹が聳え立っていた。彼には、それが本当の<コア>そのものだと言う事を感じていた。アダムとミ
ルトンはそこを目指した。あの生命の樹……セフィロトへ。

>>basis_25 十のセフィラの案内者
その世界の中央にセフィロトはあった。アダムはかつてそれを見た事がある。ニューラルネットプログ
ラム世界・エデンの中央に存在した巨大集積プログラムの具現化した姿。それは十のセフィラと呼ばれ
る情報処理プログラムが結合して形作られていた。エデンの全仮想生命の管理を行っていた生命の樹
それがセフィロト。だが、今やアダムのイメージから作られたこの世界において、その意味も何もが、
全く違う何かを表していることは明白だった。アダムはそれが真の<コア>への入り口だと言う事を理解
していた。巨大な樹の姿を表したセフィロトの根元に到達すると、その周囲が今までとはまるで違う空
間になっていることに気がついた。<エデン>世界と<コア>世界を繋ぐ扉は樹の姿をしていたが、その姿
はイメージに過ぎない。セフィロトの内部に<コア>世界はある。確かに内包されている……にも関わら
ず、その内部はあくまで<コア>世界そのものでもあり、押し込まれることもなく、とてつもない広がり
を持っていた。アダムがそれに気がついたのは、いつのまにかミルトンと共に<コア>世界に入り込んで
いることに気づいたのと同時だった。生命の樹そのものに触れたとき、その内部と外部が反転したよう
に入れ替わっていた。二人の目には一面の星空が映っていた。アダムは、それが本当の星の光ではない
ことは分かっていた。これもイメージに過ぎない……本当の星の世界は、<コア>ではなく<果て>を超え
たその先だ……冷静に観察してみると、自分が立っている地面が極めて小さな浮き島になっていて、海
ではなく星空そのものの上に浮かんでいることに気づいた。周囲にも同じような浮き島が無数に浮遊し
ている。中には大きな樹の根がはっているものも多く、上方のいくらかには同じような浮き島もあった
が、下方を見ると、それは少なくなり、代わりにとてつもなく巨大な建造物が浮かんでいた。ミルトン
は立ち尽くして星空を見上げていた。
「ようこそ、第一のセフィラ・ケテルへ」
アダムとミルトンが振り返ると、そこには銀色の髪をした青年の姿があり、その青年はなにやら司祭じ
みた格好に見えた。彼が<代替物>ではないことをアダムはすばやく察知した。青年は続ける。
「私の名前はユスティノス。あなた方をご案内するために使わされた者です」
アダムはこの状況を即座に理解できなかったが、すぐに冷静さを取り戻し応答した。
「ユスティノスと言ったな……私たちを案内するとはどういうことなんだ?」
「私はこのセフィラの守護天使であるメタトロンから勅命を受けて使わされました。このセフィロトに
入り込んだ者たちを案内するようにと」
「セフィロト……セフィラ……ケテル……メタトロン……ああ」
アダムは思い出した。ケテルという名前は、プログラム世界のエデンにおいて十のセフィラにそれぞれ
付けられた名前の一つだ。メタトロンとはそこに与えられた固有仮想人格の名前……
「どういうことだ……セフィロトやセフィラという名前は、私のイメージから作られたエデンにおいて
与えられた名前だ。<コア>世界の者がそれを使っているのか?」
ユスティノスは驚いた顔をして、
「すると、あなたがあの殻世界の創造者ということですか?」
「いや、私のイメージから生み出した世界だが……創造者は私の友人だ」
アダムの言葉にユスティノスは喜んだように、
「なるほど分かりました。何故メタトロンが私を使わせたのか……」
「ちょっと待って……」
ミルトンが口を挟んだ。
「何がなんだかまるで分からないってば……アダムさん、この世界は一体何なんよ?」
「ミルトン、この世界がマリの言っていた<コア>世界さ……」
「そっか……でも、世界っていうのは一つだけじゃないんね!?……そうすると、全体としての世界は
一体どうなっているんかな」
「ああ、その全体の世界が小宇宙、つまり<コスモ>と言うわけだ。でも、そこまで理解できれば、君に
もいずれ全てが分かるさ。後で話すよ」
「分かった……」
ミルトンは口をつぐんだ。
「それで、何故私のイメージ世界の概念を<コア>世界が使っているんだ、ユスティノス……」
「それは君にも分かってるはずだよ」
ユスティノスの背後からすっと姿を現した男はユリウスだった。アダムは冷静に、
「どういうことだ?」
「この<コア>世界はアダムの思い描いたエデン世界と融合している。それはもう分かりきったことだ。
その融合が、本当に外見だけが融合したものだと思っているのかい?」
「つまり、エデン世界との融合により<コア>世界が私のイメージによって変革したと言うわけか……」
「そう。あたかも<コア>世界が元々そうあったかのように設定が変わってしまった、ということさ」
「設定、か……まるで安っぽいドラマの脚本のようだな。せめて概念とでも言うべきではないか……」
「実際、この<コスモ>の中に浮かぶ世界は安っぽいドラマのようなものだろう?自分のイメージだけで
全てを作り出してしまうんだから」
「そうだな……いや、全くその通りだ」
ユリウスとアダムは揃ったようにくっくと笑い出した。ユスティノスは、自分の背後から笑いながらア
ダムのほうに近寄っていくユリウスを横目に見て、ため息を漏らし、言った。
「あなたも私たちの客人ですね……いつの間に私の背後に現れたのですか?」
ユリウスは笑い続けながら、
「驚いただろ?」
ユスティノスは微かに手を震わせていた。それでも冷静さを保つような口調で言った。
「まさか天使使徒である私に気づかれないでここに入り込むなんて……あなたは何者ですか?」
「私も同じだ。君はどうして?」アダムも訊ねた。
「ユリウスっていうしがない旅人さ。世界を巡る、ね」
アダムは頷いて「そうか」とだけ言った。
ユスティノスは、「まあ……深く詮索するのは私の仕事ではありませんが……」と切り上げた。
笑いを止め、ユリウスはアダムとミルトンの傍に立った。ミルトンはやっと我を取り戻し、
「ユリウス兄……何でこんな所にいるんよっ」
「おや、嬉しくないのか?」
「いや……そういうことじゃなくさ……確かに、ユリウス兄は消えてしまったのかと思ったんよ……生
きているなら嬉しいけど……でも、あなたは一体何者なん?」
「そんな他人行儀な言い方はやめろよ。僕は今でも君を兄弟だと思ってる……」
「う、うん……ごめんっ」
「僕はね、そもそも旅人なんだよ。君と兄弟ということになったのは、世界が設定したからだ」
「設定?……うん、分かってきた。つまり、色々な世界を含んだ小宇宙<コスモ>があって、その中では
何らかの力によって色々な世界が造られている。それが人を引き寄せて勝手に設定を作る……ぼくとユ
リウス兄が兄弟になったんも、そのわけの分からん力のせいだってことっしょ……」
「おおむね正解だよ」
「そう……やっぱりそうか……」
「ユスティノス――」アダムが呼びかけた。
「何でしょうか?」
ユスティノスはすぐに答え、アダムはミルトンの頭に手をやり、
「彼は――ミルトンはもうこの<コスモ>と世界の法則を見抜き始めている。君たちは――知っているの
か?」
「君たち――と申しますと?」
「この世界にも沢山の人がいるはずだ。<有意識>の形作る世界を内包する細胞――<セル・ワールド>が
星の核のように高エネルギー・高密度で溶け合っている――それが<コア>世界のはずだから。それに、
先ほど見た。この下には巨大な建造物が浮かんでいる。あそこに住んでいる人たちは知っているのか…
…」
「そうですね――質問に答えますと、私はその法則を知っています。基本的に、世界は固有人格の意識
に根ざした仮想的(ヴァーチャル)な経験だということを。ですが、下にいる人間はほとんどそれを知り
ません。それを知った人間は天使使徒になる事が多いのです」
守護天使とは……<ルーラー>のことか?」
「それは、その――<セル・ワールド>を支配する主人格のことですね?それに当たる者はこの<コア>世
界にはいません」
ユスティノスははっきりと言い切った。ユリウスがその先を言った。
「つまりこの<コア>世界は、無数の<セル・ワールド>が混ざっているものだから、ただ一人の <ルーラ
ー> は存在しないと言うことだろ?然るに、人間の<代替物>も存在しない。まるで必要が無いからね」
「その通りです」
アダムは自分の考えを整理するように、
「では……守護天使とは、無数の<有意識>の一部が寄り集まった集合的人格だと言うことか。それがこ
の<コア>世界を支配している……」
「はい。その通りです……ただし、エデン世界――と呼ぶべきでしょうか?――との融合により<コア>
世界も守護天使も、十のセフィラと呼ばれる空間に分けられてしまいましたが」
ユリウスは、
「この<コスモ>の法則は知っている……では、その構造は知っているのかい?」
「おおむね把握しています。守護天使の教えによって――」
守護天使か……なるほど、集合人格であれば様々な知識が寄り集まってくると言うことか。では、こ
の<コスモ>では、無数の<セル・ワールド>が集まり、それを<無意識>の膜が覆っていると言うことも知
っているんだな?」
「はい」
「では、何故この<コスモ>が出来たかについては……」
「ちょっと待った、ユリウス、君はこの<コスモ>の構造を知っているのか」アダムが話に割り込んだ。
「ああ、そうだよ――」ユリウスはしれっと答えた。
「<無意識>の膜の存在まで知っていると言うことは、この<コスモ>の果てに行き着いたと言うこと――
君は、一体何者なんだ?」
「そこまで言うほどの事ではないんじゃないか?この<コア>世界の集合人格が知っていると言うことは
、他にもそこに行きついたものがいたということだからね」
「なるほど、そして<コア>にも向かおうとして意識を飲まれたということか……」
「そういうことだろうね――さて、ユスティノス……さっきの問いだけど……」
「それは、私には分かりかねます。守護天使すらそれを知るかは定かではありません。あるいは、元々
世界とはそういう存在だったのではないか、と――自分が普通に生きていた、という世界すら自分の想
像の中で夢見た偽りの記憶に過ぎず、元々世界はそのような仕組みで動いていたのかもしれない、その
背景として元々この<コスモ>があったのかもしれない、と――」
「そうか。そんな考え方か――だが、私は確かに生きていたと思っている。今の状態が異常なのだと―
―他にそれについて知るものはいないのか?」
「いることにはいますが――」
「では、そこに案内して欲しい。いいだろ、アダム……」
「ユリウス――君は、私の目的を知っているのか?」
「想像はつくさ。僕だって同じだから」
アダムはふっと笑って、
「なるほど分かった。では、行こうか――」
三人が歩みだそうとしたとき、ミルトンは言った。
「えっと――やっぱり分からんよ!<無意識>とか<有意識>って、本当はどういう意味なん?」
「言葉どおりの意味だよ。さあ、行こう」アダムは答えて、身を翻した。

>>basis_26 別離の惑星
「しかし、その守護天使とやらは、何故私たちを案内させるんだ……」
「それは私にも分かりません。あくまで守護天使の命令を聞くだけですから」
「そうか――」
よくよく考えてみれば、<コア>世界には、バベルの時のように侵略者を排除しようとする機構があるの
だから、侵略とは言えずとも、勝手に侵入した――世界をぶつけて融合させるまでした――自分たちに
、何の罰も与えずに、それどころか快く案内すると言うのは眉唾物の行動だ。だが、実際にそれを行っ
ている――行わされている――男が、目の前にいるのだ。もしかしたら、何らかの罠かも知れない……
アダムが考えをめぐらせているうちに、ふとユリウスと目が合った。彼はふと笑って、
「心配ないよ、アダム――僕がついている」
アダムは眼帯に覆われた目をそらした。確かに、ユリウスの力は自分よりも上回っている……何故か彼
は信用できるような気がした。彼自身の言葉が本当ならば……目的は一緒だ。それに、彼が敵に回るこ
とは絶対に避けるべきだ……今は進むしかない。
ユスティノスは、浮き島から足を踏み出し、目の前の何もない暗闇の空間を落ちていった。ミルトンが
驚いて下を見ると、ユスティノスはただ落下するわけではなく、一定のスピードを保ちながら、空間の
中を横にも移動していた。ミルトンは顔だけ振り向き、
「どうなってんの、これ?」
「ミルトン、お前にも出来るさ。さあ、先入観を捨てて踏み出してみなよ……」
「うん……な、なんか怖いけんど……ぼくにも飛べるんよね。失敗したら助けてよ……」
覚悟を決めて、足場のない空間に飛び込んだ。だが、落下しない。
「うわ……本当にできるよ……」
ミルトンは面白がって、海中にダイヴするように空間に飛び込んだ。それでも自由落下ではなく、一定
速度を保ち降下していった。アダムとユリウスもそれを追って空間にダイヴしていった。
ユスティノスが向かった先は、巨大な建造物……いくつものビルが浮かび、それらが空中の通路で繋が
れた構造の上だった。その内の一つのビルの屋上に着地して、全員が揃うのを待った。ミルトンはその
間近で見えた巨大さに圧倒された。それから、屋上の、建物が突き出た部分……その扉を開けて、エア
ロックのような部屋を経て、エレベーターに乗ってビルの中に入っていった。長い時間をかけてエレベ
ーターは移動した。ミルトンが、何故こんな風に巨大な建物を造る必要があるのかとユスティノスに問
うと、
「それは、この世界の正体……その法則を知らない人間が何もない真空の空間にでると、先入観のせい
でその人格が死んでしまうからです。空気が存在すると言う設定の建物を造る必要がありました」
と答えた。エレベーターが止まり、その扉が開くと、目の前にはジャングルのような密林が広がってい
た。アダムはユスティノスに、
「建物の中に密林……ここはどういう意味があるんだ……」
「この空間は、自然のサンプルを得るために造られた保護区域です。こんな空間が存在しなければ人格
は存在し得ないのです……」
「動物霊とのバランスをとると言うことか……だが、こんな所にお目当ての人物はいるのかい?」
「必要なことです……ついてきて下さい」
一行が長い時間をかけて密林の中に舗装された道を辿っていくと、木々が開けた広い場所に出た。その
片隅に、ベンチのような木の骨組みで出来た椅子が置かれていて、そこに一人の男が横たわっていた。
その男は目も開かずに、
「何の用だ……」と問いかけた。
ユスティノスは言った。「ニコラオス……君に聞きたい事がある」
「ユスティノスか……と、その客人たちは誰かな?」
体を起こしていぶかしむニコラオスにアダムは向かい合い、
「はじめまして、ニコラオス。私はアダム……」
「はじめまして、アダム……さて、何の用で私なんぞに会いに来たのかな?」
「私は、この<コスモ>に変革を起こそうとしている」
「変革……とは?」
「この<コスモ>は、それぞれの持つ<有意識>が細胞膜を張っていて<セル・ワールド>と化し、全体では
一つのはずなのにそれぞれが独立してしまっている。私はこれに対して、全面突破 (トータルブレイク
スルー) を考えたんだ」
「ほう……この世界を変えようというのか。この虚ろな世界を」
「そうだ」
「時は、人の肉体と精神を分離させてしまった。あらゆる精神が一つの光となって星から宇宙へ飛び立
った。心だけの存在となった我々に何が出来ると言うんだ?精神を尊重して考えるとすれば……人の精
神は因果律を断ち切る事ができる?量子脳の力によりこの世界に自由意志を行使する事ができる?だが
、肉体と言う物質的な干渉手段を失った我々に、この宇宙に何をもたらすことができる?何の意味があ
るんだ?それとも、そんな自由意志などやはりないのか?あるいは、精神と言う存在自体に宇宙に干渉
する能力があると言うのか?まるで分からないことだらけだ。そんな<コスモ>――<集合精神体>の世界
に一体何をしようというんだ?」
「精神と言うもの自体に力が備わっている事を私は信じている。精神の波動、その光(ルミナリィ)は、
晩年の我らが母星で発見されつつあったエーテルという精神触媒の流れに乗せて、宇宙そのものに広が
っていくことができるんだ。だが、今のこの<集合精神体>には、その力が足りない。それは、一つ一つ
の精神が細胞膜のような障壁を形成し、ばらばらなままくっついているからだ。その壁を取り払ってし
まえば一つの巨大な精神体が出来上がる。そうすればこの宇宙に干渉する力は飛躍的に上昇するはずだ
。それが私の望み。全面突破(トータルブレイクスルー)計画だ。いずれにせよ……精神と言う力ですら
エントロピーの敵ではないかもしれない……だからこそ、一刻も早くこの計画を成立しなければいけな
いんだ。そのためには、この集合精神が生まれた過程をもっと正確に知らなければいけない。それを教
えて欲しいんだ」
「……素晴らしいな。そんな計画を考え付いたと言うのか。非常に興味深い……良いだろう、私も協力
する。君の知りたい事を教えよう……と、言いたいところだが、私にはそれは出来ない……」
「そんな、何故だ?」
「私はそれを知る者ではないのだ。それを知る者を知っているというだけで、私自身にはそのいきさつ
を詳しく語ることは出来ない。だから、それを知る者の居場所を教えよう。彼は……アタナシオスは、
第二のセフィラ・コクマーの、灰色の砂漠にある千の塔の内一つに居ついている。それを見つけ出すた
めの目印として、これをやろう」
ニコラオスは小さなコンパスのような道具を投げよこした。
「これでその居場所が分かるのか……ありがたい、感謝する」
「頑張ってくれ……私も君の成功を祈っている」
そこに、ミルトンがもじもじとしながら言葉を繋げた。
「えっと、ニコラオスさん、そんね……正直、あなたの言うこともアダムさんの言うことも良く分から
なかったんけどさ。でもさ、それが正しいことなんじゃないかって感じたんよ。だから、ありがとう。
アダムさん……ぼくも何とか協力するからさ!……いいっしょ?」
アダムは微笑んで見せた。
「ああ、当然だろう、ミルトン。ユリウスは付いてきてくれるのかい?」
「言っただろ、僕も君と同じだよ。君の計画を手伝わせてもらうよ」
「ユリウス……」
アダムはユスティノスを見た。彼は平静な顔を保っている。自分の計画を洗いざらい伝えたが、彼はそ
れに対して何を思っているのか分からない。心の中では反対しているかもしれないのに。一体何を考え
ているんだ?いずれにせよ分かることだとはいえども、話してしまってよかったのだろうか。まあ、利
用できるうちは利用させてもらおう……と考え、
「ユスティノス、案内してくれるかい」
「分かりました……第二のセフィラ・コクマーですね?」
「ああ……答えを知りたいんだ」
「ぼくも知りたいよ、どうやって、その――この<集合精神体>ってやつが生まれたのか」
「そうだ……私の計画を達成するためだけではなく……私自身が答えを求めている。そうだ。答えを―
―知りたい」

>>basis_27 賢者の塔
アダムたちは第一のセフィラ・ケテルの巨大空中都市を後にして、虚空を飛んだ。このセフィラという
<コア>世界が分割された空間は、今やそれぞれが異なる性質を持っている、とユスティノスは言った。
例えばここケテルにおいては……地面というものがほぼ存在せず、人が創造されたとされる巨大建造物
のみに人間が――いや、その人格が――生きている……そして空には白い星が輝く……そしてここは人
間と言う名の王が支配する世界だ。そのような性質――あるいは、設定――を持っているということに
なる。そしてセフィラ同士は繋がっている。とはいっても全てが互いに繋がっているわけではない。十
のセフィラは二十二の小径(パス)を持っていて、それはあらかじめ決まった経路だった。ユスティノス
の説明を聞いて、アダムは自らの記憶を呼び起こされた。旧エデンにおけるセフィロトも、情報処理経
路が定まっていたのだ……そのイメージが今のこの世界を形作っている。不思議なものだ、とアダムは
思った。だが、今更その程度で驚いて入られないだろう……一行が空間を飛行していくと、壁に行く手
を遮られた。目に見える壁があるわけではない。透明な壁があるわけでもない……ただ、それ以上空間
を進む事ができないのだった。ユスティノスが手をかざすと、その壁の中に穴が開いたように感じられ
た。実際にその穴の彼方には、周囲の星空と違って何か別の景色が見えるかのようだった。この穴がセ
フィラ同士を繋ぐ小径だということはすぐに分かった。ユスティノスが先頭を切って案内した。小径の
中は何も存在しなかった。あくまで道に過ぎない。自然な方向すらない。非常に一次元的な構造で、意
識によってどちらの方向に進むかが決まる。勿論、一行は、この小径――アレフという名前のパス――
がケテルから繋ぐ、第二のセフィラ・コクマーの方に向かっていた。小径の中を飛び続けると、程なく
してコクマーにたどり着いた。アダムは思い出した。コクマー……知恵を意味するセフィラで、守護天
使はラツィエルという名前だった。だが、このセフィラにも先のケテルと同じように守護天使と言う名
の集合的人格は存在するのか?疑問を呈すると、ユスティノスは当然のように答えた。元々守護天使
いうのは<コア>という世界に存在した巨大集合意識がアダムのエデン世界との融合を果たすことにより
分割されたものに過ぎない。それぞれの力は弱くなったが、それぞれが確固として存在する……そうい
うことだと理解した。コクマーの世界は、灰色の砂漠が眼下の全てを占めていた。天気が悪く、砂嵐が
吹きすさぶことによって視界は悪くなっていた。ガラスのように煌く灰色の砂漠の上には、無数の塔が
建っていた。巨大なその胴の上部は三つに分かれ、その部分だけ見れば十字架の形をしており、その左
右に分かれた二つの部位から、それぞれ螺旋状に地面に向かう帯が塔の胴部に巻きついており、二重螺
旋を形作っていた。塔の一つに接近すると、無数に開口部が開いている事が分かった。人間たちはこの
塔の内部に住み着いているのだ。しかし塔の影は、視界が悪いにもかかわらず見渡すだけで何十とも存
在していた。ニコラオスが言っていた通り、このセフィラには千の塔が存在するのだろうか?この無数
の塔を一つ一つ探していてはどれほどの時が過ぎ去ってしまうことか。そんな悠長にしている時間はあ
るのだろうか?この<コスモ>が時間の侵食を免れるかどうかは分からないし、何よりアダム自身がそん
な長い時間を待つことの出来る心を持っていなかった。アダムは懐からニコラオスにもらったコンパス
を取り出した。針は半分しかない。唯一つの方向を指し示している。その先にある塔に、捜し求める人
物はいるのだろう。一行はそれを頼りにして、砂嵐の吹き荒れる砂漠の上空を飛行していった。幾分か
時が過ぎる頃には、唯一つの塔に狙いが絞り込まれた。下方を調べても入り口はなかった。下部の開口
部には丈夫なガラスが張られている。上部に開いた開口部には、それが開いたものがあった。そこから
中に侵入することにした。丁度人が入り込めるくらいの窓だった。内部は狭い部屋で、一人の青年が窓
の外を覗いているところだった。彼は驚いて固まっていた。アダムが、ここに天使使徒はいるかと聞く
と、慌てて丁重に案内してくれた。天使使徒は敬われるものであり、アダムたちもその同類だと思った
ようだ。狭い居住部の部屋を出て廊下を横切り、エレベーターで上っていく。途中で見た人間たちは、
男ばかりだった。女性はいないのかと青年に聞くと、彼女たちは別の居住部に住んでいるのだという。
女性は数が少なく、その権利も小さかった。男性側が選別して交配をし、生まれた赤子が男であれば上
層の父親が育て、女であれば下層部の母親が育てる。男性は女性を差別しているつもりはないようだが
、女性は卑しく扱われている様子だった。この塔の世界において楽しみは少なく、学問を探求して知識
を競うことが大きな娯楽のようだったが、それは男性の特権だった。彼らは蓄えた知識によって、子供
に対し大いなる父を見せようとしていた。アダムたちが青年の物語る話からそんな世界を理解するうち
に、目的の使徒の居場所に近づいてきた。エレベーターを降りて、目の前の広いフロアの円柱の内部に
入り、螺旋状の階段を上ると、塔の最上部に出た。そこは展望台のような場所で、ガラス張りの面があ
り、外の景色を眺めていた男がいた。青年は彼が天使使徒――アタナシオスだと言い、階段を下って身
を引いた。アダムが話しかけようとする前に、背中を見せたままの彼が口を開いた。
「君たちは誰だい……」
「私は、アダム」
「アダム……だと?」
アタナシオスは振り返って彼の顔を見た。その顔は、若々しくもどこか老練さをアダムに感じさせた。
「君は、ユスティノス……君が連れてきたのか……そちら二人は誰だ……?」
「ぼくは、ミルトン」
「ユリウスと言います……僕らは<有意識>世界……つまり<セル・ワールド>の<巡り人>です」
「ほうほう……まさかこの<コア>に辿り着く旅人がいたとは……いや、もしかすると、このセフィラを
形成させたのは君たちなのか……世界を丸ごと融合させただろう……?」
「その通り……この世界が今の形に分割されたのは私のせいだ」
「そうかそうか……なるほど、面白い。ユスティノス、君が彼らを案内しているのは守護天使の勅命だ
な?彼らが放って置くはずがないからな……」
「ああ、アタナシオス、君の言うとおりだ……」
「では、何が目的でこの世界に来たと言うのかな……?精神の始祖たるアダムよ……」
「私の事を知っているのか?」
「知っている……守護天使たちも知っているだろう、だからこそ泳がせているのだよ……」
ミルトンが首をかしげて、
「それってどういうことなん?アダムさんのことを始めから知ってたっていうん?それに、精神の始祖
って……」
「知らないのかい、坊や。全ての人間には彼の精神の一部が植えつけられているのだよ。そっちの若者
は……知っているのかい?」
「ああ――」
ユリウスが何か言おうとする前に、アダムは慌てて、
「ちょっと待て……君は精神力学の研究者だったのか?」
「違う……だが、話は聞いている……」
「一体誰に……」
「それを語るのは君たちの話次第だな……どうやってワシの居場所を知ったんだい?」
アダムはニコラオスのコンパスを差し出した。
「そうか……あいつが協力したのかい。ならばそれ相応の面白い話を聞かせてやったことだろう……さ
あ、そのコンパスを貸しな」
アタナシオスはアダムの手からコンパスをひったくると、それを宙に掲げた。空中に止まったコンパス
はその下の空間に、アダムとニコラオスとが話し合ったあの光景を映し出した。ユリウスはひゅうっ、
と口を鳴らし、
「このコンパスは紹介状の変わりと言うわけかっ……」
と言った。アタナシオスはその光景を観察した。アダムの計画……全面突破(トータルブレイクスルー)
。その構想を聞き届けた。像が掻き消えてからアタナシオスはため息をついた。しばらくだんまりのま
ま、顎に手をやったりして何かを考えているような仕種を見せた。アダムはしびれをきらし、
「私の考えは分かってもらっただろう、聞かせてはくれないのか?」
アタナシオスは少しの間瞼を閉じ、目を開くと、
「分かったよ、君の計画は……全ての心の壁を破る、か。面白い」
「私が成し遂げなければならないことだ。面白いもつまらないも無いよ」
「そうだな……例えばエンパシー、テレパシー、それらはコミュニケーションの手段に過ぎない。心の
壁を突破して一つになると言うことは、ミメシスコミュニケーションのほうが似ている。同じ目的に向
かうその共感、シンパシーこそがブレイクスルーの鍵だ」
「それは私の求めるべき手段に対する答えじゃない。この場合とは事情が違うだろう。私が知りたいの
は……」
「ああ、分かってるさ。怒るな。だが……」
「だが、なんだ?」
「聞いておきたい事がある……大事なことだ」
「ああ、何だって答えてやるさ」
「君は……いいや、君たちは……自分の意思が果たして本当に存在していると思っているのか?」
「なに?」
「ぼくたちの意思……?そんなん、あるに決まってんでしょ?」
「ミルトン、そう答えを急がないほうがいい。よく考えてみよう」
「へ?それってどういうこと?」
「今まで世界の仕組みを理解してきて、それを良く考えてから答えを出せばいい。この答えは大事なこ
とかもしれないからね」
「分かったよ、ユリウス兄……」
それから、三人は黙り込んだ。ミルトンは頭に手をやって必死に頭を働かせていたが、アダムとユリウ
スが何を考えているか、天使使徒の二人には分からなかった。

>>basis_28 エンダーのために
アタナシオスはしばらくしてから問うた。
「さて……そろそろ考えを聞かせてはくれんかな……果たして『自分の意思』と言うものが存在するの
かどうか……」
「ああ……」アダムは応じた。
「まずは、そちらのユリウスから……」
「僕?僕の答えは……『勿論、存在する』。僕はここにいる。僕は自分の意思によって世界を巡ること
ができる。今の僕は誰にも束縛なんてされていない。当然のことだよ。何も難しく考えなくても問題な
い。僕が僕だからここにいる。それだけが事実であり、重要なことなんだ」
「ふむ、では、ミルトン……」
「ぼくは……『存在しない』と思った。ぼくは自分の考えで動いている。確かにそう思ってるさ。自分
の意思がないまま流されているとは思ってないんけど……でもさ、考えれば考えるほどそれが怪しくな
るんよ。だってさ、この<集合精神体>っていう世界……その中のそれぞれの世界には、人の意識に影響
する力が備わっているんでしょ……それは全てを勝手に設定してしまうけど、その中にいる人はそれに
気づかない。ぼくはそれに気づいたからさ、その……呪いは解けたと思っていた。でも、本当にそうな
んか?って考えたんよ。それに気づいたと思うことすら含めてさ、何かの力に考え方を設定されている
んじゃないんか、ってさ。もしかしたらそれは、この<集合精神体>っていう全体の世界自体が設定して
いるんかもしれないなって。そう考えたら……自分の意思が有るなんて言えないって思ったんよ。だか
らぼくは……多分、存在していないと思う。でも……それでも自分の考えで動きたいとは思ってるけど
も」
「そうか。では、アダム……」
「私は……『分からない』としか言いようがない。確かに私は今ここにいる。私自身の意思によって。
だが、精神が本当に因果律を破る事ができるのかどうかは分からない。精神自体の力は信じている。し
かし、本当にこの世の因果を破る事ができるかどうかなんて誰にも分からないんだ。どれだけ理想的に
造ろうとした仮想現実にすら争いは絶えなかった。量子脳の力……無数の現実が重なり合ってるとして
も……それすらある一つの因果に内包されているのかもしれない。だから分からないんだ。しかし、私
は自分の意思でここにいる。それだけしか言えないんだ……」
「成る程解った……三者三様か。面白い……」
「それで、答えは聞かせてくれるのか?」
「まあ待て、最後にもう一つ聞いておこうか……アダム、君はたった一人の人間の心の壁を、自分の力
で破る事ができると思うか?」
「私自身が……一人の人間を?」
「そうだ……それすら出来ないのであれば、君の全面突破(トータルブレイクスルー)計画は成就しない
だろうな。だが……余計な見栄を張らないこと。単に事実だけを述べてくれればいいのだ」
「……私は……」
アダムは答えをためらった。だが……
「私は……そんな力を持たない」
アダムは顔を伏した。
「……それが答えか?」
アタナシオスの問いに、アダムは顔を上げた。
「私にはそんな力はない……だけど……人は心を通わせる事ができる……」
アダムの脳裏には、消えていった友人の姿が思い浮かんでいた。ノア……君と私のように……
「心を通わせて……心の壁を自ら破ることは出来る」
ミルトンとユリウスの方を見た。彼らもまた同じだ……
「だから……不可能だとは思わない。誰だってきっと心の壁を破る事ができる。それが私の答えだよ…
…」
アタナシオスは頷いた。
「そうだな……ああ、そうさ……君の言う通りなのだよ、きっと君なら大丈夫だろう」
「この二つの問いに、何の意味があったんだい?」
ユリウスが聞くと、
「ワシはな……たとえ自分の意思が存在しないと思っていても、それでも自らの意思を追い求めたいと
思う、そんな強い心が必要だと思っていたのだよ。そして……アダムの計画を成就させるためには、一
人の人間の心を理解しなくてはいかん……」
アダムはそれが何を意味するのかがわかり始めた。
「つまり……この<集合精神体>を造り上げたのは……」
「そうだよ。一人の人間がきっかけだった……いや……一人ではあるが一人ではない」
「話してくれるか、アタナシオス……」
「ああ……だが、おかしいとは思わんかね?アダム、君自身がそれを知らないと言うのは……」
「まさか……」
アダムは絶望的な気分に襲われた。まさか、そんな事ってあり得るのか?
「まあ待て……話は最後まで聞くものだ。君自身、その本人がそれだとは言っていない……」
ミルトンはちょっと不思議そうな顔をした。そうでしょ?まさかそんなことあるわけないんよね……
「しかし、ある意味では、確かに君自身と言えるかもしれん……そうだよ、君の息子たちだ」
「そうか……いや、待ってくれ」
アダムは頭に手をやった。そうか。そうだったのか。薄々分かっていた事かもしれない。だが、それ以
外の何かが原因であることを心の中で信じ込もうとしていたんだ。彼ら……あるいは彼女のほかに誰が
いると言うんだ?だが、良かったのかもしれない、彼自身でないのならば……
「……続けてくれ」
「うん、君自身の息子は……四人いる。そうだろう?」
「ああ……」
「そのうち二人が直接の子供だ。残りの二人は、君の実体が死んだ後、君がエデンと呼ばれるプログラ
ム世界にいた頃に研究所で合成された子供だ……およそ60の子供のうち完成したのは二人、カインや
他の研究体の情報から再安定化させた素体がいた……」
アダムは、はっとして気づいてしまった。
「まさか……アタナシオス、君は会っているというのかっ……」
「そうだよ……」アタナシオスは白状した。「彼に聞いたんだ」
「彼……とは一体誰なんだ?」
「エノク……」
「エノクだって……彼が……彼がそうだと言うのか?」
「違う……」
「なに?」
「彼はエンダーの殻に過ぎない。本当のエンダー……それは、アベルの亡霊だ」
アベルの……亡霊だと……それは一体……」
「彼は……いや、彼らは、ジ・エンダーズ。複数であり、一つでもある。その心が……世界への憎悪が
、精神と言う名の力を母なる星から吹き飛ばしてしまった……それからは君も知っているのではないか
?……ノアの箱舟……それ自体に集合した精神が引きずられて、この宇宙へと飛び立っていった……」
「世界への憎悪だと……?」
まさか、あのことは本当だったと言うのか?カイン……君の遠大な実験は……とんでもない結果をもた
らしてしまったと言うことか……
「では……世界は……我らの母星は……死んでしまったのか?」
「分からない……君はこの<集合精神体>の中でエヴァと会ったか?」
「いや……」
「おかしいだろう?いくら引き離されていたとはいえ……君の傍に彼女がいないとは思えなかった。つ
まり……あるいはまだ、全ての精神が引き剥がされたはずだったあの二つの星においても、人間は生き
ているのかもしれない……ほぼ全ての人間が魂をなくしても、因果の赴くままに世界は動き続けるかも
しれない。……当然、それは可能性の一つに過ぎないが……」
「そうか。では、エンダーは一体どこにいるんだい……」
「彼は……セフィラの守護天使たちによって封印されている。ワシはそこに立ち会ったのだが……今や
彼がどこにいるのかは分からない。恐らくは、十のセフィラのうちのどれかに隠されているのだと思う
が……」
「では、彼をどうやって見つければいいんだ?」
「アダムよ、それがどういうことか分かっているのか?」
「ああ……エンダーの心の壁を破ること……そして、通じ合えば……その大きな力は、全ての心の壁だ
って吹き飛ばせる。違うかい?」
「そうだ。それがトータルブレイクスルーの完成になるだろう。だが、楽なことではないぞ……」
「分かっているさ。だが、それでも私は……」
ユリウスは、ふっと笑った、そして言った。
「そうだよ。アダムはきっと諦めない。今までだってそうだっただろ?」
ミルトンも、真剣な顔をして続けた。
「うん、アダムさんは……自分の使命を分かっているんだ。それを達するために、諦めはしない。ぼく
だってきっとそうだよ。ぼくを変えてくれたんよ……」
「うん――ユリウス、ミルトン……そうだよ、だから教えてくれ、何か小さくても、手がかりがあるな
らば……」
「……解った。だが、ワシも全てを知っているわけではない。ただ……エンダーの精神の波動を教えよ
う。後は、自分で全てのセフィラを巡り……守護天使の中に、それと同じ波動を見出すほかない。準備
はいいか?」
アダムたち三人の心に、エンダーという人格の精神の波動が刻まれた。アダムには、それがとても悲し
い波動だと感じられた。