空間の圧搾技術があるなら、それが時間方向に働くこともありうる。
そして、すべて物質はすべて空間であり、すべて空間はすべて物質でもありうる。
私は、地球に何が起きたのかを思い知った。
時間の圧縮により、何千万年という長い時間が一瞬にして訪れた。
そして、私という生き物が残ったのも、その時間の圧縮のおかげだった。
すべての生命を圧縮して、圧搾して、一つの生命の形に留める。
そんな馬鹿げた夢を実現してしまった存在があった。
塔の最果て。
その先にある、先史文明を作った種族の更に祖にあたるものだ。
私達、元人類は、並行な時間の中を生きていたのに、平行な時間を知覚した
一本の新しい高次のタイムラインに時間と空間が写像された存在になっていた。
私の全ては圧縮された無限の意思が展開され行く狭間の存在故に、
傷つくこともなければ、損耗することもない。
では、なぜ、祖の存在は、この地球を滅ぼしてまで
そんな夢想を実現してしまったのか。
それは、祖の存在そのものがすでに一度至っていたからだ。
宇宙のすべてを手に入れたい。そんな欲を夢見た存在たちが、
宇宙のすべてを一つにした空間圧搾の果に、一つの生命を産んでしまった。
完全なる存在が、そこにあった。
かつて祖の種族と共にあり、いつか祖の種族を去っていったその存在。
祖の種族は、そんな在りし日の栄光を取り戻したいと願っていた。
私達の全ては、完全なる存在に帰るために生きていた。
それが因果の因であり、因が果を呼ぶのではなく、果が因を呼ぶような働きがあった。
私達は要するに、寂しかったのである。完全なる自由が、目的のなさが。
故に、世界の選択は、覚者である何者か、すなわち私の存在を呼んだのである。
私は、かつて完全なる存在と呼ばれた者からこぼれ落ちた何かの種子だった。
それは、完全なる存在そのものを終わらせるために生まれ落とされた何かだった。
完全であるがゆえに完全を終わらせに来た。それこそが完全なものである証である。
それ故に私は覚者である自分から始まり、そのような存在としての悟りを開いたのである。