「あなたは――
あなたは自分が宇宙と一体だと思った事はない?
自分のすべてが宇宙と等しく、宇宙のすべてが自分に入り込んでくるような――」
長い黒髪が陽光に照らされ、赤光を反射するエナメル質が風に舞い踊る。
カーテンがバサバサと音を立てる、夕暮れの窓辺、天文部の部室で――
「私は、いつも思ってた――例えば、透視だとか、千里眼だとか……絶対的な知覚……そのようなものが存在するのかって。きっとみんな訳知り顔で否定するだろうね――」
その長い髪を手櫛で押さえながら、彼女は話を続ける。
「でも、それは本当に否定できることなのかな?例えば、重力波っていう力――物質の持つ引力は、そこにあるだけで絶えず時空を歪ませているの。たとえ100億光年彼方の物質であろうと、どんな最新科学機器で計測できない程度の事であっても……その引力は絶えず私たちの体をたゆとわせている……つまり、私たちの体には100億光年彼方の宇宙までの姿が刻み込まれているの。もしそれを人間が意識する事が出来たら……宇宙のすべてがわかるって事。もちろんそんな事できないよね。人間の意識はそんなに広くないもの。だけど、睡眠中の人間の意識は肉体を制御する小脳や海馬に回帰する。私たちは毎夜、宇宙に旅立っているの。意識がそれを覚えていないだけ……」
時折視線を逸らして窓の外を眺めながらも流暢に喋るその姿に、
僕は何も答えられずにいた。
「……なーんてね。ま、いきなりこんな話されてもそりゃ驚くよね。こんなあり得ない話……」
しかしその視線は、ただの冗談を語っているようには見えなかった。
「でもね、今の話にはもうちょっと続きがあるんだ。人間の中には宇宙があるって言ったよね。そう、人間の無意識の中には宇宙が広がっている。だったら、意識って何だろう?人の意識なんて、根源的な無意識の一部が収束して仮初の実態を保っているに過ぎない。人の意識は身体の中にあって……でも人の体の中には宇宙があって……少なくとも周りの世界ってやつが誰の中にも存在するよね。その無い宇宙の中で、意識が収束する場所がずれてしまったら?人は人の体の中でなく、その外に意識を生み出すことも出来るはず。つまり……幽体離脱って事。人は自分の宇宙の中で、自分の体を抜け出し、宇宙に触れることが出来る……その先に何があると思う?」
僕はただ首を振った。陽光の中で、彼女の顔はどこか孤独に感じられた。
「人の存在って何だろうね?自分の中に宇宙があるとしたら、宇宙の中に居る人間も自分の中に居て、その人間たちの中の宇宙もまた自分の中にあって……その人の宇宙の中に居る自分の宇宙もあって、その中の誰かの宇宙の中にまた自分の……そうやってこの宇宙って無限に連なっているんじゃないかな?今私やあなたが認識している宇宙も、何処かの誰かの中の宇宙かも知れない。あるいは、もっと大きな何かの中の……そんな宇宙の中で自分の存在を確固たるものとさせているのは、自身の認識程度のものでしかないはずだよ。もし……ねえ、もしも私の意識が私の枠を超えて、宇宙に同化し拡散していったら……私はどうなっちゃうと思う……?」
僕は口を開きかけて……やはり何も言えなかった。
やけに赤く焼けた陽光が眼鏡に反射して、眩しくて……
彼女の考えてる事が、見通せなくて……
「……冗談だよ、何?本気にしちゃった?口パクパクさせちゃって、可愛いねえ、もう」
彼女は笑って言った。心なしか寂しげな眼に、いつもの茶化した口調を乗せながら……
「ふふ……馬鹿だな、もう。そんな事あり得るわけないじゃない。私が、あなたや、他のみんなを置いて行くなんて……そんな訳……在るはずないよね」
それはどういう意味か、聞こうかと思って、また口を開きかける。
彼女は、時計を見て慌てて駆け出した。
「いっけない!もうこんな時間!私もう帰るね」
声をかける間もなく、荷物を持って部室の外に出て行ってしまった。
彼女は、帰る前に一瞥をくれて……
「あなたもあまりダラダラしてると卒業まであっという間だぞ!」
そのあとに言った彼女の表情が今でも胸に焼き付いている。
「じゃあ、ね」
部員がいなくて空き部屋となっていた天文部の部室で、僕は文字通りに取り残された気分になった。
しかしそれは、本当に僕が彼女に永遠に取り残された瞬間でもあった。
彼女は僕の先輩だ……
先輩はその日消えた。
彼女が何処に行ったのかは誰も知らなかった。
特に真に受けていたわけではないけど、僕は誰にもこの話をしたことが無い。
仲のいい友人にも、お馴染の先輩にも。
別に彼女が何処に消えてしまおうと、きっと僕には関係のないことだったけれど。
せめて何故彼女が行ってしまったのか、その答えだけは今でも知りたかった。