📘 G.N.S.[4-3] 未来のこと

意識が真っ暗闇に染まったと思うと、今度は次第に明るくなってきた。何かが開く音がした。自分の中

の閉ざされた扉が開き、自分の実存が溶け、魂が肉体から解放されたような気がした。その外側に飛び

出していくと、あまりにも眩い光が僕を貫く。だけど不思議と不快ではなかった。むしろとても心地が

いい。ああ、世界はこんなにも光に満ちていたんだ。と言うより、世界は光で出来ていたようなものな

んだ。もはやその光に照らされる肉体も存在せず、僕はおぼろげな意識だけの存在になってしまったけ

ど。

魂が上昇していくのがわかる。地上を離れ、天の国へ出立するのだろう。何故かそんな確信があった。

悪い気はしない。死後の世界はもっと心地よいものなんだろうな。僕もすぐにそっちに行くんだ。

目の前に、雲のような厚い壁が待ち構えている。それでも僕は上昇し続け、やがてその中に飛び込んだ

。壁の中は、より一層強い光で満ちていた。もはや光以外に何ものも見えやしない。僕はその中を魂だ

けで突き抜けていく。ああ、テレビとかでよくやっていたなあ。臨死体験に見られる光のトンネル。僕

はその道を辿っているんだ。

そう思っているうちに、突然トンネルを抜ける。あれだけ眩かった光が霧散し、まばらになっている。

ここは川原だ。辺りは花畑のように無数の小さな光が散っていて、前方にはとても暗く、地平線の彼方

まで届くような幅の広い川が流れている。ああ、ここは三途の川なんだろうなあ。暗い暗い水面を見せ

る川の幅は、驚くほど広いのに、何故かその向こうの世界が見える。あれが彼岸の世界だ。暖かそうな

光が見える。宮田や雨笠先輩も向こうの方にいるのかな。五十嵐晴美や田辺健造、後藤早苗もあそこに

いるのかな。きっとそうさ。向こうで幸せにやっているのだろう。これから僕も会いに行くんだ。

周りを見渡してみる。渡し船は出てないだろうか。こんなに広い川を泳いでいくしかないんだろうか。

水面に近づき、手を触れる。川のはずなのに水の感触はしない。もっと透明で、重さがなくて、光も色

も匂いも音もなく、ただ本当に何も無いような、そんな感覚がする。泳いでいくことは難しくもないよ

うな気がする。だけど、本当に行ってしまっていいんだろうか、なんて思ってしまう。死んでからまで

途方に暮れるなんて思ってもみなかった。これからどうしよう。僕はまた一人のままで――

そんな風に思っていると、突然川の上の方から何かが降りてくる。それは、強い光に包まれた人影だっ

た。そしてその顔は忘れるはずもない、あまりにも慣れ親しんだ思い出の人のもので――

「加賀美……先輩……」

彼女は光に包まれたまま、そっと川の水面の上に立った。僕の記憶の中に残るそのままの姿で。幻でも

見てるのかと思った。僕は自分の目をこすって、もう一度よく見てみる。いや、本当の肉体なんて既に

無いんだから、そんなことは無意味だった。もはや目でものを見てるんじゃなくて、ただ意識で感じて

るだけだったんだから。だけどそんなことをしてみたくなるくらい、信じられなかったんだ。だけど彼

女は確かに目の前にいて、僕を見てにっこりと笑うんだ。そして、僕の名を呼ぶ――

「久しぶりね、修一君――」

「ああ、加賀美先輩――」

懐かしいその声は、四年前の時から何も変わっていない。その声も、その姿も、その表情も全て。

「本当にお久しぶりです、加賀美先輩――本当に、本当に――」

なんだか感極まって、少し涙ぐみそうになってしまう。僕が、僕らがずっと探し求めていた人が、目の

前にいる。それが妙に嬉しくて、何と言ったらいいのかわからない。

「大きくなったわね、修一君。もうあなたの方が年上みたいになっちゃった」

「ハハ……そうですね。先輩は、全然変わってないみたいだ。ちょっとうらやましいや」

「何言ってるんだか。でも本当に、立派になったよ」

「そんなことないですよ。僕はいつだって何も出来ないばっかりで……結局こんな風に死んでしまった

し」

そんな風につい自嘲してしまうけど、それでも別に構わないような気がした。ずっと死ぬのは怖かった

けど、死んでしまえばなんてことはなかったような気もしてしまうんだ。

「そうだ。もしかして先輩が迎えに来てくれたんですか。三途の川の船渡しだ」

「三途の川？この場所が？」

「ええ。だってそうでしょう。僕は死んで、あの世に行くんだ。光のトンネルを抜けて、ここへ来た。

まさかこんな世界が本当にあるとは思わなかったけど、どう見たってここが……」

「違うよ。修一君。よく目を凝らして見て。ここは他のどんな場所でもない。ここは――」

加賀美先輩が僕の背後を指さして言う。眩い光が織り成すその世界は……

「ここは――あなたの住む世界。あなたの住む宇宙なんだよ」

振り返ると僕の背後には、青く輝く巨大な惑星――地球があった。びっくりして、もう一度前方を見て

みる。広い広い三途の川だと思っていたそれは、あまりに大きく広がる、虚無の宇宙空間そのものだっ

た。周りには無数の星々の輝きが広がり、近くに力強く輝く太陽や、他の惑星も見える。

「えっと……これはどういう……」

僕がおろおろして言うと、加賀美先輩は笑って言う。

「つまりね、臨死体験とか、そういう死後の世界のイメージなんて、実際の世界を錯覚していたに過ぎ

ないの。あらかじめいろんな知識を持ってるから、錯覚も強まってるだけ。つまりね、こういうことよ

。人間が生命活動を停止すれば、情報の内圧が解け、その人の中のパラドボックスは開封されてしまう

。蓄積された内在宇宙、その魂は……やがて情報の最小単位、格子状の光の渦のようなものとなって周

囲の空間に散っていって――やがて地球と言う名の巨大情報集積体から離れ、宇宙へと辿りつくの。光

のトンネルというのは、光となった魂が、地球の磁場や電離層といった波動情報の層を抜けていく過程

で得られるイメージに過ぎないわ。そして、三途の川を越えて彼岸に辿りつくと言うのは、広大な真空

の宇宙空間を越えていくことのイメージに他ならないの」

「なるほど、そうなんですか――」

それはあまりにも超然とした話だったけど、今ならそんな突拍子もないことも信じられるような気がし

た。あまりにも色んなことがあったから。でも、気になってしまうことはある。

「先輩……先輩は、パラドボックスのことも知ってる。僕も地上でいろんな話を聞きました。先輩はな

んだかとてつもない存在として語られてて……」

「気になる？」

「まあそうですね。でも、それよりももっと……ねえ、先輩。先輩は本当に存在したんですか。波動論

教が言っていたみたいに、僕たちの頭の中にしか存在しなかったなんて……そんなことないですよね」

加賀美先輩は微笑んで、僕を見た。

「修一君は、どう思うの？」

「いや、すいません。馬鹿みたいなこと聞いちゃいましたよね。わかってます。先輩は確かに存在する

。僕は先輩を信じますよ」

ちょっと照れて、笑いながら言ってしまう。先輩も先輩で、にっこり笑って言うんだ。

「そっか。ありがとね、修一君」

「はは……」

そうだよ。誰の言葉に惑わされたってしょうがない。彼女は確かに存在した。彼女は僕の先輩で、高校

で出会って、天文部の部室跡でいっつも馬鹿みたいなこととか言って笑いあって……思い出の中で、彼

女はいつだってそこにいた。どうせそれが本当かどうか確かめる術なんてないんだ。だから、僕は信じ

る。彼女と語り合った思い出がずっと僕の中にある。その事実だけを信じればいい。それだけだよ。

「でも、先輩――僕らは死んだあと、どうなってしまうんですか？魂が地球を離れ、宇宙を飛び越えて

……その先にある光は、彼岸っていったいどういうものなんですか？」

「そうね、修一君。あなたにも見えるはずよ。純粋な精神だけとなった今のあなたには、本当に様々な

ものが。見てみて。あれが、彼方の世界。死後の世界と呼ばれる世界。その片鱗……」

先輩が促す方に意識を集中させる。それはあまりに遠くにあるはずなのに、すぐ近くにあるみたいに意

識が移り変わるんだ。その視点は宇宙空間を駆け廻り、太陽系を超え、遥かな銀河系をも越えていく。

そして僕たちの銀河を俯瞰した先に見えたもの……それは、円盤のような銀河を取り巻くようにして存

在する、巨大な光の渦だった。ああ、これって、波動論教のセラピーを受けた時に見えた光景の中にあ

ったような――

「あれがフォトストラクチャーよ。人は、死んでもその実存を完全に無くしてしまうわけではないの。

その性質は全く変わってしまうけれど……情報の最小単位、光子の渦のような存在となって、この世に

留まり続けるのよ」

「光子の渦？そんなもので精神が保てるんですか？」

「うん。例えば、プランク長ってあるでしょ？」

「ええ、長さの最小単位ですよね。この世界を構成し得るものの最小単位。これ以下は存在しないはず

という」

「うん。でもね、それすらも人間が、自分たちに観測しうるだけの世界を勝手に定義したものにすぎな

いの。科学的に観測することは出来なくても、それ以下の小ささを持つ情報の集積を持つことは可能っ

てこと。光子だって一般にはただの素粒子としか捉えられないけど、そこには超ミクロ系における無数

の情報が書きこまれていて、それぞれが違う情報を持っているの。それは極々微小な空間の歪みを伴い

ながら運動して、それぞれが複雑な動きの違いを実現する。勿論、人間には捉えられないほどの小さな

違いでもね」

「じゃあ、それらの光子が折り重なって運動することで、高度な精神すらも再現しうる、ということで

すね」

「そう。パラドボックスと言う情報特異点の中で、それは形成され、やがて、魂の核となるの。そして

人はいつしか死んで、魂だけになるけど……それはそれでまた新たな形式のパラドボックスを持ち、存

在は継続する……そういうことなの」

「波動レベルの存在に回帰した、ってことか……波動論教もそんなことを言ってたけど」

「あながち間違ってはいなかったってことよ」

「じゃあ、先輩もそういう風になったってことですか？」

「そう。あの時あなたに言ったように、意識は肉体を抜け出せる……そして私の肉体は変質し、精神だ

けの存在となった。そしてあのフォトストラクチャーに還っていったの」

「色々わからないことはあるけど……そもそもフォトストラクチャーって、いったい……」

「言ったでしょ？人はやがて魂だけの存在、光子の渦となって精神が保たれる。そして、フォトストラ

クチャーとはその魂の行きつく先。この銀河に生きていた無数の精神の集合体なのよ。あそこには、全

ての魂が集まり、コミュニティを作り、情報を共有している。それは言いかえれば巨大な一つの精神体

ね。巨大な情報の渦とも言えるわ」

「じゃあ、今までに生まれて、死んだ人間たちの魂が蓄積して――」

「そうね。でも実はね、あれは人間だけじゃないの。微小なりとも動物の魂だって蓄積し、かなりの容

量を得ているし――そもそも、地球の生物だけのものじゃないのよ」

「え？それってどういう――」

「例えば、この銀河には、遥か昔に栄華を誇った巨大な知的生物がいたの。星々を跨いで銀河中に広が

り、支配していた文明――同じような血と肉を持ちながらも、人間とは違う惑星で生まれ、進化してい

った存在たちの文明が」

「――銀河先史文明……」

「あれ？知ってたの？」

「波動論教のセラピーで、無理やり見せられたんですよ。でも、あれは本当に未来の記憶だったんだ…

…」

「詳しく聞かせてよ」

「はは、いいですよ。今更別に隠しだてもないしね――」

僕はかいつまんであの時見たことを加賀美先輩に話した。僕が色んな前世を見て、宇宙の上位にあるよ

うな不思議な世界を見て、そしてやがて、40世紀台の太陽系、スターシティのネットポリスに存在した

電子生命の<僕>になって――やがて深宇宙探査船団<エクスプローラー>に乗り込み、いつしか銀河先史

文明の末裔である古竜と出会ったことを――

「修一君は、そんな世界を見てきたのね」

加賀美先輩が感慨深げに言う。まさか僕がこんな記憶を持ち得るなんてさすがに思わなかったのだろう

。自分でも信じられなくなりそうなくらい、不思議な体験なんだから。でも加賀美先輩は何か納得した

ように頷く。

「ねえ、修一君。あなたはその後、その電子生命たちがどうなったのかわかる？」

「えーと、それはよく思い出せないけど……」

「その宇宙船はね、壮大な旅の果てに、フォトストラクチャーへ辿りついたのよ。そしてやがて、それ

らの電子生命さえもフォトストラクチャーの一部として補完された。あなたであった電子生命も、その

古竜の精神も。宇宙船は世界の果てを見つけて、真実を知った。それからの船の電子生命たちは、フォ

トストラクチャーから宇宙を観測し、探究するようになったわ。そうやって全ては繋がったの」

「どういうことですか？」

「それがフォトストラクチャーに残る未来の記録、ってことよ」

「そこがわからないんです。未来の記憶、未来の記録……どうしてそんなものが存在するんです？未来

を予知するなんて不可能なはずだし、そもそも今、地球は滅んでしまったじゃないですか。でも地球が

滅んでいない世界の未来が僕の中に存在する……それは何故なんでしょう。もしかしたら、やっぱり幻

のようなものなんじゃ……」

「でもね、実際に銀河先史文明は存在するの。あなたの持つ未来の記憶は間違ってないよ。それを否定

することはないの。ただちょっと人間の常識から外れていることが多いだけで、問題はそれほど複雑で

もないわ。それは追々わかると思う」

僕は頷いた。僕の見た未来の記憶は、確かに現実とは矛盾するところも多いが、銀河先史文明の存在は

間違っていないらしい。ならば、その記憶には何か意味はあるはずだ。

「ともかく、銀河先史文明も含めて……銀河中の他の小さな知的文明の魂も、フォトストラクチャーに

は寄り集まっているの。銀河先史文明に至っては、ある時、進歩した物質文明を全部捨てて、種全体が

精神だけの存在になってしまうような革命が起こってね」

「それで、ある時代以降、銀河先史文明は突然姿を消してしまったと？」

「それも一種の進化だったのよ。彼らの種はそれを選んだの。まあ、そういうこともあるんだろうね。

そしてフォトストラクチャーはとても強大になったわ。様々な知性の力を有したそれらは、一つの巨大

な機構となって、この銀河の平和と安定を促すために尽力しているのよ」

「ということは、平和を脅かす存在もいるんですね」

「そう。この銀河に無数の知的生命が生まれては消えていくみたいに……この宇宙には、無数の知的生

命が存在するのよ。それはたぶん、地球人類が思い描くのよりも、遥かに数多い存在たちなの。ジオシ

ンメトライザーなんて生命体すらも存在するのだからね。それはわかりやすい有機物機構による血と肉

から成る存在とは限らない。誰かが言ってたみたいに、ガス巨星の気流の流れが知性を生み出すかもし

れないし、中性子星を構成する超流動系の中に知性が生じることもあるかもしれない。それらを鑑みれ

ば、この宇宙の全体には、まさに星の数ほどの……それを超えるほどの知性の輝きが存在することにな

るの。それぞれに強いパラドボックスを持ち、宇宙の中に様々な影響を及ぼすことのできる存在が――

……だけどそれらの宇宙精神体たちは、必ずしも手を取り合って生きていくとは限らないの」

「地球を滅ぼした外宇宙知性体のように、ですか？」

「そういうこと。でもね、そういうことも全く珍しいというわけではないのが本当よ。無数の宇宙精神

体がいて、それぞれが利害のために争いを繰り広げたりする……でも大抵の場合それは、ＳＦアクショ

ン映画に描かれるような宇宙戦争とは別物なの。無数の宇宙艦隊を率いて敵の星を攻撃、なんてことは

しないのよ。地球が攻撃された時と同じようにね――」

「そうですね――確かに全くの別物だった。あれはいったい、どういうことなんでしょう」

「修一君も槇島君に聞いてたよね？進化した宇宙精神体たちは、やがて宇宙の全ての情報を認識するこ

とが出来るようになる。人間が思うような光速の壁など無しにね。その通信を使って、宇宙の全てに意

識を広げ、互いを認識し、協力したり牽制したする……だけど、パラドボックス――その存在だけは話

が違う。それは情報特異点だから、完全にその内部を認識することは出来ない。そうなれば必然的に、

高い知性を持つ宇宙精神体たちは、何よりもパラドボックスと言う存在を崇高なものとして捉えるよう

になるわ。そうして生まれた概念が<マップ>。パラドボックス<マップ>よ」

「<マップ>？波動論教の大幹部がそんなことを言ってました。<マップ>における覇権を争っているとか

、そんな風に――」

「そう。私たちの宇宙を俯瞰して見た時、そこには無数の孔が――無数のパラドボックスが存在し、そ

れぞれの内在宇宙を繰り広げている。だけどそれだけじゃない。それぞれのパラドボックスは波動のよ

うな現象で周囲に影響を与え、また与えられているの。それは四次元平面上のマップに示すことが出来

て、その影響の範囲、影響の連鎖を広げていくことで、宇宙の中により強いパラドックスを起こし……

宇宙の中に新しいパターンを生み出していくことが出来るの。それこそがこの宇宙において最も価値の

あることだと、多くの宇宙精神体が信じている。そのために他の生命体のパラドボックスを操ろうとし

たりする。あるいは……四次元平面上、宇宙空間上で自分の対岸に位置するパラドボックスを破壊する

ことで、宇宙の中に起こるパラドボックス力場の反作用を軽減し、自らのパラドボックスをさらに先鋭

化することが出来ると信じる宇宙精神体たちもいるの」

「じゃあ、それが過激派の<マップ>信奉者っていうことですか？」

「うん。彼らは時折、見境なく他のパラドボックスを破壊しようとするわ。そんなことをしたところで

、本当により先鋭化した精神に至れるという確証はないのにね。それでも過激派精神は沢山いる。私た

ちフォトストラクチャーの魂たちも、その過激派精神の破壊活動からこの近傍銀河を守っている……そ

のはずだったわ」

「先輩はずっとあんな奴らと戦っていたんですか」

「うん。本当のことを言うと、私が自らの肉体を捨ててでもフォトストラクチャーに至ったのも……そ

の侵略者たちの存在を知ったからなの」

「え？」

「私はね、ずっと宇宙のことを考え、思いをはせてきた。日常が嫌いだったわけでもないけどね、なん

だかこの宇宙に生まれた以上、もっと広い世界を知りたいと思っていた。普段そんなこと言わないけど

、一人になった時とか、夜眠る前……いいえ、眠っている時ですら、宇宙の仕組みや、そこに在るかも

しれない精神たちのことを考えていた……そうするうちに、実際に私の精神は宇宙に繋がってしまった

の。極々稀だけど、それでも時々こういうことがあるのよ。私みたいに、宇宙の中の様々な精神、様々

な知恵に繋がってしまうことが。あの頃から私はフォトストラクチャーと交信し、様々なことを学んだ

わ。そしてあの時、この銀河を侵略しようとする強力な宇宙精神体が現れた――」

「それで先輩は、行ってしまったんですか……そんな巨大な敵を相手にするために……」

「うん。みんなには悪いと思った。けどね、あの時私は本当に行かなくちゃいけないと思ったの。自分

ひとりの力で何が出来るかわからないけど、それでも大きな危機を前に、見て見ぬふりは出来なかった

から――」

「はは、先輩らしいや――」

先輩の言葉を聞いて、僕はなんだか妙におかしな気分になった。思わず笑いが漏れてしまう。僕や宮田

や雨笠先輩、加賀美咲江は先輩の失踪であたふたして――やがて四人で加賀美香苗捜索隊を結成して―

―何とかして手掛かりを見つけよう、何処へ行ったか調べよう、なんて思っていたのに……先輩ときた

ら、こんな風に勝手に一人で先に行ってしまってたんだ。でも、今となっては怒る気も起きない。

「――僕は先輩に置いて行かれたような気になってました。何も話さないで、勝手に一人で行ってしま

って……でも、先輩はみんなのために行ってしまったんですね。別に僕らを裏切ったとか、そんなんじ

ゃなかったんだ。なんだか凄く……安心したかもしれない」

先輩はちょっとばつの悪そうな顔をした。

「ごめんね。みんなに話して心配させたくなかったの。でも――逆にもっとみんなに心配かけちゃった

ね」

「いいんです。どうせ話を聞かされても信じられなかったと思う。今となってはもう全部信じるしかな

いけど、きっと僕らはそんな話、常識に沿わないから、よくわからない話だからって……全部否定して

いたと思います。だったら、何も話さなくても良かったのかもしれない。そう思います」

「うん……ありがとうね」

「それで、その戦いでは随分活躍したんでしょう？」

「アハハ、まあね。頑張りすぎちゃったくらいだよ。でも、それで目をつけられちゃった。悪名高い、

フォトストラクチャーの加賀美香苗っていうね」

「波動論教が先輩を消そうとしたのも、そのために？」

「波動論教ね。あれはそもそも、偶然設立されたようなものなんだよ。何か形の無いものへの渇望が宇

宙の精神に繋がってしまうことがあるって言ったでしょ？波動論教の場合、教祖様は、フォトストラク

チャーとは別のもの……外宇宙精神体の声を聞くようになってしまったの。それを宇宙自体の意思の声

だとか勘違いしちゃって……それで、宇宙の声、波動の声を聞くんだ、っていう教団が設立されてしま

ったの。そこまでなら割とよくある話なんだけどね。ここ十年くらいで成長したのは、最初のものとは

また別の種族の外宇宙精神体が教団員の精神を乗っ取ったからなのよ。それがあの大幹部だった。彼は

外宇宙精神体の意思に従い、教団を拡大するために尽力してきたの。そして、その外宇宙精神体は４年

前の銀河侵攻と関係していたみたいね」

「波動論教を悪い方向に利用しようとしてたんですか？」

「そう。宇宙精神体たちの戦いとは、つまり相手の意思、パラドボックスを打ち破ると言うことなの。

だから、相手の精神の構造を研究することは重要なことだよ。巨大な防衛機構、フォトストラクチャー

を持つこの近傍銀河においては、特に重要なことだったってわけ」

「確かに彼らは人間の精神を完璧に操っているように見えました。あの大幹部の男は、あれだけ肉体

が壊れても体を動かされ続けていたし」

「うん。それに、近傍銀河の外側から見えるフォトストラクチャーと、内部から見るフォトストラクチ

ャーは違ったんじゃないかな。人間がいかにして生きて、死んで、そしてどうやってフォトストラクチ

ャーへ至るのか……それらの機構をじっくりと観察していたのよ。そして、私達の統率を崩す手段、私

達への攻撃手段をじっくりと開発しようとした……そのために地球上に潜伏して色んな情報を集めてい

たの。そのために、人手も集めてどんどん拡張させていった。結果的に自分たちの傘下に入るパラドボ

ックスも増えて、力も増していった。彼らはそれを利用して、世界を崩壊させるようなプログラムを組

んだの」

「プログラム？」

「ええ。洗脳された人間たちの意識を中継点として使い、ある系列におけるパラドボックスを連鎖的に

破壊していくというプログラムを始動させたの。彼らはこれを使って地球文明の可能性を破壊した。そ

して私もその標的となった……」

「よくわからないけど……じゃあ、奴らが先輩を消そうとした手段も、地球を破壊させてしまったのも

、同じ方法だったっていうんですか？」

「そういうこと。修一君も知ってるでしょ？私を取り巻く世界に決定的な綻びが……パラドックスが生

じていたことを」

「ええ。妹さんに色々聞きました。４年前僕らと出会っていたはずの先輩が、実は８年前に死んでいた

……しかも、墓石も立っている。なのに先輩はひょっこりと帰ってきて、そのままずっと、失踪する日

まで生きていた……」

「うん。でもそんなことあり得ないよね。私は４年前まで生きていたわ。ずっと、ずっとよ。そうでな

ければこうやってあなたの前に存在するはずがないもんね」

「そうですよね……でも実際に墓石は立っていた。僕もこの目で見たんです。それなのに雨笠先輩は、

葬儀が行われた記録も、墓石が立てられた記録も無いと言ってた。おかしいですよね、こんなの」

「それなんだけど、その記録に関して咲江はなんて言ってた？」

「え？確か、咲江さんは、連絡したら記録があったって……」

「そうなのよ。私の家族にとっては、私は８年前に死んでいて、その証拠も残っていた。一方、あなた

たちにとってみれば私は４年前まで生きていた……死んだと言う証拠も無かった。でも墓石は残ってい

た。とんでもないパラドックスよね」

「ええ。それで咲江さんは、自分がお姉さんを死なせてしまい、それを埋め合わせるためにお姉さん自

身のプログラム人格を作りだしたのだろう、と言っていました。だけどそれじゃ説明がつかない。それ

が本当なら、何故加賀美家の家族だけは先輩が死んだものとして扱ったままだったのか。自分たちのた

めに先輩を蘇らせようとしていたはずなのに、家族はむしろそれで苦しんでいました。そんなことに意

味はないじゃないですか。家族にとって先輩の死のショックが大きかったせいで、記憶が改竄できずそ

うなった、と考えることも出来るけど……あまり蓋然性があるとは思えない。何より、そう願っただけ

のことで失ったはずの人間を蘇らせることなんてできますか？それを可能にする力って何なんですか？

咲江さんは普通の人間だったはずだし、無数の人々の記憶をも改竄し、自分自身は出会ったことの無い

僕らにまで想像上の先輩の記憶を押し付けるとか……どう考えても腑に落ちませんよ」

「そうね。その通りよ。人の想像の力だけで私と言う魂がこんな風に存在し得るわけがない。じゃあど

ういうことなのか。あまりにも理解し難い世界よね。でも本当は、その原因はそこまで複雑なものと言

うわけでもないの」

「例のプログラムですか？先輩の存在に関してパラドックスを発生させ、地球の文明を一夜にして滅び

させた……それってどういうものなんです？」

「言ったでしょう？それはある系列のパラドボックスを破壊するプログラムなのよ」

「じゃあ、誰のパラドボックスを破壊したんです？誰かのパラドボックスを――精神を破壊しただけで

、先輩は８年前に死んだことになってしまうんですか？地球もまた、滅びたことに……」

「それはね、世界自体のパラドボックスを破壊したということなのよ」

「世界自体の……？」

「ええ。話は聞いたでしょ？パラドボックスとは、局所的な情報のストリームが内圧を生み、内部に独

自の宇宙すら創ってしまうというもの。それは人間や知的生物の精神だけに宿るものじゃない。小さい

ところでは物質素粒子がパラドボックスであり、大きいところではブラックホールがパラドボックスで

ある……パラドボックスは本当に無限に存在しているということなの。そして、もっと上位におけるパ

ラドボックスも存在する。それが、場合の世界のパラドボックス――」

「場合の世界……量子論とかパラレルワールドっていう話ですか」

「似ているかもしれないけど、違うものよ。私たちにとって、宇宙は一本のラインを引いたように流れ

ていくようにしか存在しない。だけど、宇宙には無数の在り得る世界、在り得た世界が存在する。人間

の精神がパラドボックスを生み出し、些細な認識の違いによってパラドックスを起こし、それぞれの生

きている世界を少しだけ変えてしまうように……宇宙には無数のそれぞれ違うパターンを生み出そうと

する力が働いているの。それらはみんなパラドボックスによって管理されている。宇宙が始まった時か

ら蓄積されていく情報のストリームは、世界自体を規定するパラドボックスを生み出し、またそれは時

の流れとともに連鎖的に新しいパターンのパラドボックスを生み出していくのよ。ある空間の状態を規

定するパラドボックスから、次の状態Ａと状態Ｂを規定するパラドボックスが生まれ、そしてそれらの

パラドボックスからもまた分岐して……そういう風に世界は創られていくの」

「でも……その生成されるパターンは、どんな理由で分岐するんです？同じ状態からそれぞれ別々の状

態が生まれるっていうのも、変な話だ」

「そう思うかもしれないね。けど、宇宙の全ての存在は……空間もエネルギーも物質も、そこまで確か

な存在とは限らないの。一つの状態があったとしても、そこから導かれる状態は一つとは限らない。そ

れを量子論と言う形で説明する学者もいるでしょう？宇宙には最初からいくらかの揺らぎが存在し、そ

してその揺らぎの範囲内で無数の状態を同時並行的に存在させ続ける。そういう機構が働いているのよ

」

「じゃあ、宇宙自体が最初から無数の可能性を内包して、それを確かなシステムとして組み上げている

……」

「むしろ宇宙自身がより多くの可能性を創るためにそうしているのかもしれないわね。実際、今となっ

てはどちらが先か分からないの。分岐した世界をパラドボックスが記録して新しいパターンが生まれる

わけじゃなく、無数のパラドボックスが干渉しあい新しい模様が生まれるからこそ世界が分岐するのか

もしれない。パラドボックスも世界も、表裏一体と化した存在になってしまっているからね。ともかく

、そうやって宇宙が生まれて、変化していく大きな流れの中で、違った可能性の世界がそれぞれ分岐し

……それぞれが違った情報場を生成していくの」

「でも、それじゃあ世界は無限に分岐していって、終いには収拾がつかなくなるんじゃないですか」

「そうかな？確かにその分岐は無限大に大きく見えるけど、結局のところ、在り得る世界しか存在出来

ないのよ。可能性は、世界自身の過去によって規定されて、縛られる。例えば、今日雨が降る可能性と

降らない可能性がそれぞれあると、人間が考える。でも、雨が降るかどうかは、既に規定された気圧や

雲の動き、気象の流れによってあらかじめ決まっているのよ。どんなに人間が可能性を考えたり、量子

論的な可能性のブレを考えたところで、実際のマクロな世界においてはそれらは碌に影響もしない。気

象の流れによって雨が降り得ない日には、絶対雨は降り得ないの。可能性と人間の想像力は、別物の話

だからね。それが過去に規定されると言うこと。そしてこの事実を鑑みると、ビッグバンの始まりの時

……多大なエネルギーが互いにぶつかり合いながら変化していく時期に、最も可能性の分岐は起こるこ

とになるわ。些細なエネルギー密度の違いが、最終的に全く別の星々の姿を作りうるものね。そして、

宇宙が膨張し、冷えていく過程で、物質同士の干渉が少なくなっていけば、可能性の分岐はどんどん少

なくなっていくことになる。例えば、量子論における波動関数がどんな状態を――位置や角運動量を取

ったとしても、周りに干渉し合う存在がなければ、小さな力場のまま、特に大きな可能性の変化を世界

にもたらすこともなく、そのまま終わってしまうはずでしょ？それと同じようなこと。それに、別々の

ルートを辿っていても、殆ど似たような場合の世界だって生まれる。それらは時折絡み合い、枝分かれ

するだけじゃなく同化していくこともある。そうやって可能性は少しずつ収束していき……熱的死を迎

えるころには、もはや新しいパターンなど生み出せない……可能性の死が訪れる。あまりにも可能性は

多くて無限大に見えても……実際に無限にはならないのよ」

「なるほど……それなら納得できるような気もします。可能性の分岐は無限に枝分かれしていくのでは

なく、途中で繋がったり、それぞれの枝の先で、先細って行く――と、そういうことですね」

「うん、そういうこと。そして、世界自体のパラドボックスもまた、密接に関係しあって存在する。自

分のいる世界と近似値の世界が無数に存在しうるの。それはいつ分岐したものなのかはわからない。も

しかしたらビッグバンのころの些細な環境の変化によって分岐していたものかもしれない。それでも凄

く似ている世界で、でも少しだけそれぞれ何かが違っていて、やっぱり別物の世界……そんな世界同士

が隣り合ってる。同化はしないけど似ている世界だから、世界系のパラドボックス同士も、隣り合うみ

たいに干渉しやすくなる。そして――そこには、私が８年前に死んだ場合の世界も存在していたのよ」

「ということはまさか、世界自体のパラドボックスが破壊されてこうなったと？」

「ええ。先に話した外宇宙精神体たちは、邪魔な私を排除するために、私が生きて存在し続けた事実そ

のものを消そうとしたのよ。加賀美香苗という人間が８年前に死んでしまっていれば、今こうしてフォ

トストラクチャーの真実を知り、銀河のために戦おうとする私は存在しえなかった。そのために奴らは

、波動論教の教団員の意識を中継し、世界自体のパラドボックスを攻撃させた。私が８年前から生きて

いた場合の世界、そのパラドボックスの連鎖を断ち切り、そのまま連鎖的に消滅させた……世界系パラ

ドボックスが崩壊すれば、それに影響を受けていた全ての人々の群的内在宇宙も書きかえられていく。

そうして私は死んだことになってしまった」

「でも、同時に先輩は生きていた……それは何故？」

「わからない？あなたが……あなたたちの心が、私を繋ぎとめてくれたんだよ」

「え？それってどういう……」

「パラドボックスが書きかえられていく……私の存在が無かったことになる……全ての人の精神から私

が消えていく……それを食い止める手段があるとしたら、それはやっぱり強い意思だけだった。あなた

や、宮田君や、千代子が私のことを強く覚えていて……ずっと思っていてくれた。だから、私は消滅せ

ずに済んだのよ。とても……とても強い絆が繋いでくれたの。みんな、あなたたちのおかげ――」

先輩はにっこりと笑って身を翻した。少し照れたように、はにかんで言った。

「私のことを覚えてくれていて、ありがとう――修一君」

「そんな――僕は別にそんなつもりなんて――突然失踪したのが気になって、ずっと未練がましく覚え

ていた、馬鹿みたいなやつなんですよ。そんなお礼を言われるようなことなんて……」

「それでも、私は嬉しかったよ。本当に、ありがとう――」

「……ど、どういたしまして……」

今度は僕の方が照れてしまう番だった。僕を見る先輩の目があまりにも綺麗過ぎて……本当に僕は、器

用に生きることができなくて、どうしても先輩のことを忘れられずに過ごしてただけなんだ。それがこ

んな風に言ってもらえるなんて……でも本当は少し嬉しくも思ってしまったんだ。

「それで、あなたたちが私を繋ぎとめていてくれて……パラドボックスの連鎖崩壊は断ち切られた。何

とか私の存在は消えなかった。だけどね、現実を規定するパラドボックスが破壊されたのはもう元には

戻せなかった。そのせいで酷く歪んだ現実が出来上がってしまったのよ。私の葬式は行われ、墓も立て

られた。だけど咲江たちにとってはその記録が存在するのに、あなたたちにとっては存在しなかった…

…」

「そうだ。それはいったいどういうことだったんです？」

「あなたたちの意思が――あなたたちのパラドボックスが、私を繋ぎとめた。だからあなたたちにとっ

ては私は生きていた存在だった。千代子がいくら調べても、私が死んだ記録なんて見つかるはずがない

わ。この宇宙にパラドックスを起こす力がパラドボックスなんだから。そうでしょ？」

「でも、墓石は存在しました……それは何故なんでしょうか」

「それは、咲江という人間を媒介にしたから、あなたたちにとっても存在しえたのよ。咲江にとって私

は死んだ存在。咲江のパラドボックスにおいて、私という存在はいなくなっていた。そして咲江とあな

たたち三人は出会い、お互いのパラドボックスは干渉しあった……その結果、あなたたちの現実も咲江

の現実も書きかえられてしまったの」

「それって、まさか」

「そう。実は宮田君と咲江の出会いが全ての始まりだったわけよ」

「ああ、やっぱり……ある意味、アイツが全ての元凶だったのかあ」

「まあそう言わないであげなよ。仕方なかったの。宮田君が咲江と出会い、私の家族と会ったことで、

お互いの現実に干渉しあった。咲江は宮田君に私の墓を見せて、宮田君は咲江たちに、私が４年前まで

生きていたことを語った。そのために私が死んだ後に存在した４年間、という観念が咲江たちの中に生

成されたの。私の家族たちの方が強い影響を受けてしまった感はあるけど、そこからあなたたちを混乱

させてしまうような現象が起こったのね」

「でも、咲江さんたち家族は、ご近所に聞いても先輩が亡くなってしまった事実が消えていたと……あ

れは？」

「そこが宮田君の強いところだったってわけ。私を亡くしたはずの現実を押し戻して、私が生きていた

ことにしてくれた……彼はね、咲江に墓を見せられた後すぐに、私の家の近所の家一軒一軒当たって、

私についての話を聞いて回ったの。それが功を奏して、現実がそういう方向に向かったのね」

「そんな、アイツそんなこと一言も言って無かったのに……」

「見なおした？」

「ええ。まあ悔しいけど……雨笠先輩は一人で色々調べてたし、宮田はそんな風に懸命になっていた。

結局、何もしてなかったのは僕だけだったなんて」

「でも、修一君は私のこと強く思ってくれてたでしょ？」

「ばっ……やめてくださいよ」

つい照れて怒ったふりをすると、先輩はくすくす笑った。ああ、本当にカッコ悪い。何とか話題を元に

戻そう。

「結局、波動論教を操っていた宇宙精神体が先輩を消そうとしたんですよね。そして、僕たち三人がそ

れを押しとどめた。だから僕たちは狙われた……そう言えば槇島草太や遠藤明雄……波動論教の連中た

ちは先輩を知っていたけど」

「まあ彼らが私を消そうとしたんだからね。私の存在全ての消滅に至るまでは、それを捕捉出来る状態

のままじゃなきゃいけなかったんでしょうよ」

「なるほど。でも結局僕らの周りで、先輩が死んでしまったと思っていたのは咲江さん家族だけだった

わけですね。宮田が聞いて回った家とかには先輩の存在を認めさせることができたのに、咲江さんたち

だけそうじゃなかったのは……」

「咲江も言ってたでしょ？私が８年前に死んだ――ことになっていた場合の世界では、私は咲江を庇っ

て死んだのよ。だから咲江にとってもとても辛い体験になったに違いないわ。だから咲江はそれを否定

できなかったんでしょうね。それに、その体験を、その事故を宇宙精神体たちが利用したってことだか

ら……私を消すためのプログラムは、咲江の心を核にして行われたと言っても過言じゃないでしょうね

。そして、咲江とも私とも関わり深い家族たちが、私の死を否定できないままになった……そういうこ

とね」

「それは……とても辛かったでしょうね」

「そうね。私のせいで、色々辛い思いをさせちゃったね。特に咲江には悪いことをした……あの子は私

のような世界に関わらないままでいて欲しい。今更そんなこと言っても傲慢かもしれないけど……あの

子には幸せであってほしいわね」

「そうですね……」

加賀美咲江は、先輩を探すと言ってどこかへ消えてしまった。でも今のところ先輩とは対面していない

のだろう。その方がいい。出来るなら普通の人間として生きていけたほうが、きっと幸せだ。

その時、ふと大事なことを思い出す。

「あ……でも先輩……」

「なに？」

「そう言えば……結局僕も死んでしまったんじゃないですか。こんな風に話をしていられるから実感は

湧かなかったけど……」

そうだ。僕は死んでしまった。宮田も雨笠先輩も死んでしまった。

「もう、先輩を繋ぎとめるものは無くなってしまった。僕の肉体に準拠したパラドボックスは無くなっ

てしまった――と言うことは、先輩の存在は……」

そう言うと先輩は薄く笑った。

「でも、私は今ここにいる。存在している」

「確かにそうですけど……」

「大丈夫。もう心配しなくてもいいの。あなたが今まで守ってくれたから――」

「じゃあ、何か手を打ったんですね」

先輩は何も答えずににっこりとした。それを見て僕はホッとする。

「それなら良かった。だったら、安心だ」

先輩は、フォトストラクチャーはきっと外宇宙精神体に対抗して、先輩自身の存在を繋ぎとめる何かを

構築したのだろう。不安要素が消えて、また思考が働いてくる。

「それで先輩、地球の文明が滅ぼされてしまったことについてなんですけど」

「ええ、もうわかってると思うけど――」

「今までの話からすると、地球が滅びた場合の世界があったんでしょう？例えば巨大隕石の衝突とか、

そういう原因で……そして、地球が滅びていない場合の世界……僕たちの世界のパラドボックスが破壊

された。そういうことですよね。だから一夜にして世界は変わってしまった」

「うん正解。その通りよ」

「でも腑に落ちないこともあります。僕たちは滅びていない世界に存在していた人間なのに、何故か滅

びた場合の世界に移動していた……滅びていない場合の世界が壊されれば、僕らの存在は一緒に消えて

いたはずです。それはどういうことなんでしょう」

「言ったでしょう？全てのパラドボックスはお互いに干渉し合ったりもするの。それは世界と人間の間

でも同じ。地球が滅んでいない場合の世界を完全に消し去り、滅んだ場合の世界だけに落とし込む……

私の生死についての場合とは違い、それはあまりにも大規模な破壊活動だから、必然的に完璧には至れ

なかった。強いパラドボックスを持つ人間は、場合の世界のパラドボックスとの関わりを繋げ直すみた

いに、滅んでない世界から滅んだ世界に移動し、自分の存在を維持した……そういう力が働いたのね。

でも、全ての人がそうではなかった」

「え？それってどういう……」

「滅びた街を見て回って、思わなかった？街に存在している人の数が、実際にいるはずよりも少なかっ

たって」

「それは……夜中だったし、殆どが建物の崩壊に呑まれてしまったのかなって……でも、翌朝は確かに

全然人がいなかった。ジオシンメトライザーに操られていたとしても、もっと生存者がいてもおかしく

ないはず……」

「そうでしょう？だからね、強い意志が必要だった。そうでなければ、人間すらも場合の世界の崩壊に

呑み込まれて、そのまま存在が消えてしまうから……だからね、滅びた世界の側に残れた人は実はそこ

まで多くなかったの」

「そうだったんですか……でもそうか、じゃああのメッセンジャー事件の顛末は……全人類に『強い意

思を持て』みたいなことを言ったのは、そういうことだったんじゃないですか？」

「ええ。そうよ。フォトストラクチャーは、彼ら宇宙精神体の企てに気づいてはいた。だけど止めるこ

とは出来なかった。彼らは何らかの手段を講じて、私たちを出し抜いたの。本来はこんな大掛かりな仕

掛け、私たちも妨害できるはずだったし、ジオシンメトライザーだって策を講じられたはず。だけど気

付いた時にはもう彼らのプログラムはもう動きだしていたの……どうしても止められなかった。だから

、せめてそのメッセージを送らなくちゃ、って」

「やっぱりあれはフォトストラクチャーの仕業だったんですか。じゃあ、あの時僕らが先輩の顔を見た

のは偶然じゃなかったんじゃ？」

「そうね。ハハ、実はそうなんだけど……」

「なんだ、やっぱりそうだったんだ……あれで僕らも混乱してたんですよ？人が悪いのか何なのか……

――」

「ごめん。あなたたちに顔を見せたい気持ちが出てきちゃって」

「ハハ……今更別に構いませんけどね。でもそれじゃあ、他の人たちが見たそれぞれ別々のメッセンジ

ャーっていうのは……それも実在する人だったんじゃ？」

「そうよ。フォトストラクチャーに辿りついた元人間の魂たち……彼らがみんな協力し合って、メッセ

ージを送ったの。人種とか見た目が近いほうが伝わりやすいと思ってね。沢山の精神たちが力を尽くし

てくれた」

「そっか……でもそれで助かった人たちもいるのかもしれない。僕の周りではみんな波動論教とジオシ

ンメトライザーの戦いに巻き込まれて、死んでしまったけれど。だけど他の場所なら……」

「そうね。そうであればいいと思うわ」

「波動論教のビルだけが残ったのも、彼らがプログラムの拠点だったからですね？自分たちだけは世界

を破壊するプログラムから対象を外した……でもおかげで僕らも助かったのかもしれない。丁度波動論

教に連れ去られた時で……実は結構タイミングが良かったのかも。あんな思いは二度と御免ですけどね

」

「今更だけど、本当にごめんね。私のせいで巻き込んじゃって……」

「いいんです。確かに嫌な体験だったけど、先輩が無かったことになるよりはマシでしたよ」

「うん、ありがとう……」

「でも、ここまでの話で、全くわからないこともあります。先輩達フォトストラクチャーも、他の宇宙

精神体たちも……宇宙を観測するだけなら槇島が言っていた話で通じるかもしれない。けど、どうやっ

て宇宙の中で遠く離れた空間や、精神に……直接干渉することができたんです？それがわからない。メ

ッセンジャー事件も、場合の世界を破壊するプログラムも、フォトストラクチャーと外宇宙精神体の戦

いも……光速の壁さえも超えて事象を操るなんて……そんなことがどうやって出来ると言うんですか？

」

「その答えなら、あなたは既に知っているはずよ。波動論教の大幹部が言っていたでしょう？」

「情報の同期……でもそれだけで片付く話なんでしょうか？明らかに自分に害になるような情報すらも

、同期をとって受け入れて、変化しなければいけない……そんなシステムが在り得るんですか？」

「宇宙が生きて精神を持ち、自らの行方を操っているとしたら……そんなものは瑣末なことに過ぎない

んじゃない？そういうシステムを組み込んで、宇宙自身が自身の自由度を、可能性の幅を助けていると

したら……」

「でも、宇宙が最初に一つだったからって身勝手な同期を許してしまうなんて……どこか釈然としない

ような……」

「ねえ、それも全ては強い意思……パラドボックスによって成し得ることなのよ。あなたに知ってほし

いことがある。この宇宙の中においても最大級のパラドボックス、その世界を――」

そう言って先輩は僕の体に……いや、僕の魂にその手を伸ばしてくる。僕の魂がその手に触れられると

、自分の見ている景色……宇宙を観測する広大な視界が、どこかに引っ張られていくのを感じる。それ

は銀河を大きく横切って行き……星々の渦巻くその内側、銀河の中心へと向かって飛んでいく。

そしてやがて動きは止まる。僕と先輩の意識は、銀河の最奥に留まった。

そこには巨大な暗闇が存在した。視覚によってそれを見た時、そこに何かを見出すことは出来ないだろ

う。だけど今の僕にはその存在が見えている。時空を歪め、全てを呑み込み、闇の彼方に落とし込み、

全ての事象を断絶する……それ程の巨大な質量。それはブラックホールだった。銀河の中心に生まれた

、巨大な重力の孔だった。

先輩はそれに向かって指を指す。意識の中でブラックホールの姿と先輩の指先が重なる。暗黒の孔の周

囲で、無数のガスや星間物質が周回しながら、無数の電磁波や放射線を射出している。その内側には何

もない。多大な重力が時空を断絶し、何ものをも観測しえない境界線、事象の地平面を創り上げている

のだ。

先輩はブラックホールを指しながら言う。

「修一君、見て。あれがこの世界の果て。あれが世界の終わりの国。あれが――あれこそがエクスタシ

アなのよ」

「エクスタシア……？」

「あなたは覚えているはず。それを見たことがあるはずよ。何度だって見ているはずなの。あれが私た

ちの存在の始まり。いつか生まれ、いつか返るべき場所。それはクロスホエン。それはエクスタシア―

―」

「それって、僕があの時見た世界……？エクスタシアっていったい何なんです？あのブラックホールと

どんな関係が――」

「ブラックホールは、その巨大すぎる重力によって、時空の法則すら働き得ない巨大特異点を形成する

。その内部においては、プランク単位すらもがゼロに変わって行く。だから、その内部はもはや――言

いかえれば無限の世界が広がっていると捉えられるわ。そしてそこでは……宇宙自体がシミュレートさ

れているの」

「宇宙自体が……？」

「そう。宇宙の全ては互いに干渉し合い、一つに繋がっている。それはブラックホールすらも同じこと

。ブラックホールの中には、宇宙の全ての情報が流れ込んでいく。その情報をもとに、特異点はプラン

クゼロシミュレーターと化し、巨大情報処理装置と化すの……そしてそこでは、宇宙の全てすらもが再

現され、人間の精神すらもシミュレートされていく。宇宙のあらゆる情報が、一つの点の上で処理され

……特異点において、全ての情報が本当に一つになるの」

「だけど、先輩……ブラックホールの中身は無限の密度を持った物質に過ぎないじゃないですか。自分

自身をも押しつぶすような圧力を持って……そんな物質が内部で多大な計算を出来るなんて……」

「そうね。だけど、そんな物質すらもが媒介になるとしたら？あまりにも溶けあった物質はもはや純粋

なエネルギーの場のようになる。あまりにも満たされたそれは、外部の宇宙における、空間そのものと

化すの。そして情報が流れ込み、空間を満たしていく……そして特異点は新たな世界を創りだすのよ」

「じゃあそれは……いったいどんな世界なんです？」

「そうね。特異点においては、全ての情報が一つに繋がる。同じ場を共有し、それぞれの情報を分け隔

てることが無くなる。そしてそこには宇宙の全ての情報が存在する……そうしたらどうなると思う？全

ての精神、全ての空間、全てのエネルギーが互いに溶けあい、理解し合う。全ての人間すらもが、互い

の心を完全に理解し合い、宇宙の全てをも理解することができるの。そして溶けあった全ての精神は、

深い喜びに満たされる。個の孤独、不理解への恐れから解放され、至福の感情に満たされる。全ての存

在の完全な理解……それが本当の死後の世界。それがあらゆるものの終着点。全ての精神の、内在世界

が最終的に辿りつく場所。それがあらゆるものの理解の境地……エクスタシアよ」

「じゃあ、あのブラックホールがエクスタシア……でも、だったらフォトストラクチャーは？あれも死

後の世界って言っていたはずじゃあ……」

「それは間違ってないわ。だけど、死後の世界であるフォトストラクチャーさえも、人間にとって通過

点に過ぎない。宇宙のエントロピーはいつも増大し、全ての存在はやがて霧散していき……フォトスト

ラクチャーの精神さえもその例外ではないの。そして、現世における自らの意識が――情報ストリーム

が全て消えていったその時……意識と言う力による妨害が無くなることで、ようやく私たちはエクスタ

シアで目覚めるの。何よりも深いところにある自分の本当の本質……それに目覚めることができるのよ

」

「それが、本当の死後の世界……？」

「そう。それがエクスタシア。死後の世界の本質。だけどね、エクスタシアに至った精神であっても、

自分とよく似た存在……精神の近似値を取るような存在が宇宙に現れると、またその意識に捕らわれて

しまう。『自分』というタグの関わり合いになる宇宙情報ストリームが活性化し……生ある存在として

生まれ変わったように、自分の精神が動き出す。それぞれの肉体が形成されていく上でタグは少しずつ

変化し、記憶はまた失ってしまうけれど、深いところでは繋がっているのね……それが輪廻と言うこと

よ」

「ああ……それが槇島も言っていた、輪廻の本質ってことなんですね」

「そしてエクスタシアは、フォトストラクチャーと通信もしているの。あのブラックホールとフォトス

トラクチャーは、光速を超えた同期を取りながら世界に存在し……私たちの魂の安定を支えている……

ブラックホールと言う名のパラドボックスによって、私たちを強く繋ぎとめているのね。私たちは未だ

エクスタシアに至れなくとも、その存在に助けられ、その存在を知っている……」

「そっか……そんな世界が在るんですね……ああ、でも先輩……それじゃあこの宇宙にブラックホール

が存在する数だけ、死後の世界も存在するっていうことになるんじゃあ？」

「ところがそうはならないわ。この宇宙の全ては、同期を取って存在している……そしてこの宇宙で何

よりも大きな存在、エクスタシアもまた、全て互いに同期を取って存在している……完璧な同期を取っ

てね。だからエクスタシアへの扉はいくつもあっても、辿りつく場所は全て同じなの……それどころか

、エクスタシアは宇宙をもシミュレート出来る存在。宇宙よりも上位に在る存在だとも言える。それは

宇宙そのもののシステムに組み込まれた存在であり、世界なのよ」

「えっと……それはいったい？」

「エクスタシアはね、宇宙の始まりの前にある世界と繋がり、また宇宙の終わりの後にある世界と繋が

っているの。宇宙自体が自然に創り上げるそれらの世界と、プランクゼロの特異点世界が干渉しあい…

…宇宙の上位ともいえるその世界に至る扉を開いているのよ」

「どういうことなんです？宇宙の始まりの前の世界って？宇宙の終わりの後の世界って？宇宙が存在し

なければ、何ものも存在しえないんじゃないですか？」

「まあそう思うかもしれないよね。でもそれは違うの。だって考えても見て……宇宙が誕生する前、全

てがゼロだった瞬間があるとすれば、それは同時にプランクゼロであり、無限でもあるのよ。それは宇

宙が終わった後も同じこと……」

「それは……確かにそうかもしれないですけど……じゃあつまり、宇宙は、存在しない時でもある意味

では存在していると言うことですか。でも、宇宙の終わりって？その後の世界ってなんです？」

「宇宙と言うものが永久不変に存在しているものではないことは知っているでしょ？宇宙は膨張し、拡

散し、やがてその動きを止めていく。だったら、宇宙が始まった時が存在しなければ、私たちは存在し

得なかったと言うこと。でも、実を言うとね、宇宙はたった一度きりの存在ではないのよ。宇宙もまた

輪廻する存在なのよ。だから終わりがあり、また再びの始まりがある……」

「それは……ビッグバンに対するビッグクランチ？宇宙はやがて膨張から収縮に転じ、消滅する……そ

んな話は聞いたことがあります。そしてまたビッグバンが起こり、宇宙が始まる……そういうことです

か？」

「それも間違ってはいないわね」

「だけど、宇宙は収縮には転じず、膨張し続けるという話も聞いたことがありますよ。だったら宇宙は

輪廻なんて……」

「本当にそうかな？宇宙のエントロピーが増大し続け、無限に膨張が続いていったら……無限の時の彼

方において、宇宙の密度は際限なく薄くなっていくのよ。ブラックホールさえもやがては全て蒸発し、

そこには巨大な真空ばかりが残ることになる……宇宙が限りなくゼロの世界に近づくようなものなの。

そうすればあまりに膨張し続けた真空のエネルギーはやがて崩壊を起こし、宇宙は再びビッグバンを起

こすと考えられるわ。つまり、いずれにしても宇宙は終わり、やがてまた始まって行く……そう考える

ことができるのよ」

「じゃあ、宇宙の終わりと始まりの隙間に、エクスタシアがあると……あの時僕が見たイメージは、そ

ういうことだったんですか？そう言えば波動論教も、宇宙は波のような現象だって言っていたような…

…」

「そういうこと。だからエクスタシアは同時に、全ての時間と空間が交差する場所……クロスホエンで

もあるのよ」

「だったらエクスタシアとは何なんです？そんな風に全ての情報を集積して、宇宙の中でずっと存在し

続けて……そんな世界が何故存在するんです？」

「そうね……それはきっと、宇宙が自らの進化の可能性を模索しているということなのよ」

「……宇宙が？」

「そう。実際、槇島君の言っていたことも強ち間違ってはいなかった。宇宙は自ら生きて、巨大な精神

を持つ存在なのよ。その意思を完全に把握することなんて誰にも出来ないかもしれないけどね」

「じゃあエクスタシアも宇宙自身が望んで創り上げた、と……」

「そう。宇宙は生まれては死んで、生まれては死んでを繰り返す……しかも一度や二度ではないわ。私

たちが認識できていないだけで、その生まれた回数は、生きてきた時間はあまりにも多くて……そんな

無限回数可能な宇宙の中で、今私たちのいる世界が何度目の宇宙であるかは知る術がないの。何万度目

、何兆度目……それどころか、10の百乗でも数えるに足りるかどうか……それくらい宇宙は繰り返して

いると考えられる。そんな無益にも思えるような繰り返しの中で、いつの間にか宇宙にはそれが存在す

るようになった……そう、宇宙の終わりからエクスタシアに情報は流れ込む。エクスタシアは全ての情

報を集積し、これまでの宇宙のアーカイブを創り上げる……そして、その先には何がある？それはこう

いうこと。宇宙は無限に繰り返して何度でも同じような世界を創り上げるけど……新しい宇宙には、そ

の前の宇宙で生じた情報や、無数のパラドボックス……そう言った『歪み』が少しずつ残り、新たな宇

宙を形成する際に影響を及ぼすの。それがエクスタシアの役割。宇宙には歪みが蓄積し、これまで起こ

り得た世界とは違う、また新しいパターンを創りだしていく……新たな可能性を生み出し続けることが

できるの。これが宇宙の進化。そのためのエクスタシア――」

僕の前には今も巨大なブラックホールが見える。それは宇宙の進化のために繋がれる巨大な情報の集積

体への扉。先輩の姿が、僕の姿がそこに重なって見えて――理解した。

「そうか……宇宙もまた、変化しようとしてるんだ。僕たち人間と同じように、常に進歩していきたい

と……そんな風に……」

「ええ。きっとそういうこと――」

「そうすると、僕の見た未来の記憶っていうのは……」

「フフ、わかったみたいね。そうよ。それは今回よりも以前の宇宙で起こった出来事……たまたま今回

の宇宙によく似た場合の宇宙で起こったことの記憶……それが未来の記憶として見えたのよ」

「無限回数可能な宇宙においては、限りなく似た宇宙が繰り返すこともある……そういうことですね？

僕はセラピーを受け、宇宙の記憶を遡り……エクスタシアを見、やがてもっと古い宇宙の記憶に触れた

……それを未来の記憶と勘違いした。本当の未来が見えたわけじゃないんだ」

「そうよ。無限回数繰り返せば、人類という存在が芽吹くこともない宇宙だってあったかもしれない。

だけど私たちの記憶は、芽吹いた場合の世界のみから蓄積されていくから……そう言った記憶も生まれ

得るの。それは宇宙が進んでいくために培った記憶であって……だから、昔の宇宙における未来の記憶

も、今の私たちの未来とは限らない。宇宙は進歩しようとして、人間も進歩しようとして、いつだって

何かを変えるために生きて……そうしていつだって新しい明日を、未来を創っていく。それはきっとい

つだって変わらない。そう――それこそが本当の未来のことなのよ」

「確かに……きっとそうですね。いつだって未来は決まっていない。だから自分を変えようと出来るん

だ」

僕らは人として生まれ、手探りで新しい可能性を模索していく。そして宇宙もまたそうだったのだ。僕

らは宇宙によって創られて生まれた。波動論教は宇宙意思に目覚めろとか言っていたけれど……本当は

そんなの必要無いのかもしれない。僕らは既に、宇宙に導かれているのかもしれない。そんな風に思え

て、少し笑ってしまう。

「でもね修一君、それだけじゃないのよ。宇宙の中で全ての情報が同期し得る理由……それは、エクス

タシアが全てを繋いだからってだけじゃなかったの」

「え？やっぱりそうだったんですか？」

「ええ。それはエクスタシアの機能とも関係しているの。宇宙の中で情報を同期させるシステム……光

速を超えて物質や精神同士が干渉し合うことのできるシステム。その名前は――ＧＮＳ。重力接続子通

信圏<グラビトンネットワークスフィア>と言うの」

「重力接続子……？」

「そう。それは重力波を伝える媒介となる、質量を持たず、光速で伝わるとされる仮想素粒子のことよ

。本来は重力子と呼ばれるところだけど、私たちは重力接続子と呼んでいるわ。なぜなら、それは宇宙

の中であらゆる情報を伝わらせる媒介となる粒子だからね」

「でも今先輩は、光速で伝わるって言いましたよね？先輩がいなくなる前にも重力波によって宇宙の全

てを認識することが出来るって言ってたけど……光速を超えて伝わらないなら、観測の媒介となっても

干渉を受ける媒介にはならないんじゃ……」

「それはとんでもない勘違いだよ？さっき私は、プランク長以下の世界においても情報は書きこまれう

るって言ったでしょう？それによって複雑な動作の違いを実現しうる、って……つまりそういうことな

のよ。重力接続子は、世界を歪める重力波と言う形で、あらゆる質量を持つ物体……また、あらゆるパ

ラドボックスから放出されていくのね。その重力接続子は、その元となる存在によって歪められたまま

放出し、その存在の情報そのものの情報を含んだまま伝わっていくの。その重力接続子が他の存在に接

触すれば、その存在のパラドボックス系に自分の情報を与えることが出来る。基本となる形式はこれだ

け。これによって、１００億光年彼方の存在であっても、それを形成する元となった存在の重力接続子

は自分の中に蓄積されたことになる。これがその１００億光年彼方の存在からの干渉を許すことになる

の」

「えっと……さっぱりわかりません。それがどうして１００億光年彼方の存在の意思の干渉を許すよう

になるんです？その元となった存在って……なんのことを言ってるんです？」

「だからね、１００億光年彼方の重力波が自分に届くでしょ？それは、１００億年前に発生した重力波

だから、その物質は現在にはどんな姿になっているかわからないはずでしょ？今現在のその物質は、意

思持つ存在の肉体を構成するようになっているかもしれない。だけどその１００億年前の物質の重力波

を受けることで、その現在意思持つ存在の干渉を受け入れることが出来ることになる……」

「意味がわかりませんよ、それ。それとも何か……その重力波を受けた自分の中で、その物質の現在が

シミュレートされるとでも言うんですか？それで相手の意思が伝わる……」

「その通り！よくわかったじゃない」

「ええ？そんな馬鹿な。どうやってそんなシミュレーションが……」

「全ての物質はパラドボックス。内在宇宙を持っている……この事実を思い出して。そしてもう一つ重

要なこと。重力接続子を発したその物体すらも、他の重力接続子の影響を受けた上で存在している……

と言うより、宇宙の全てとの影響を。これらの事実を鑑みた上で、重力接続子の役割とは何か。それは

ね、まるで生物の遺伝子を形作るＤＮＡやＲＮＡといったものと同じように働くのよ。それらが化学反

応を起こし、連鎖反応の結果として生物の機構を創っていくみたいに、それぞれのパラドボックスの中

の内在宇宙に影響を与え、重力接続子の元となった存在の情報を転写していく……その蓄積の結果、自

分の内在宇宙の中でその存在の現在の状態がシミュレートされ、たとえ宇宙の反対側に在る物質同士で

も、その情報が保たれてしまう……それがグラビトンネットワークスフィアの正体よ。これが精神と言

う複雑な機構の下で行われると……自分を構成する粒子や世界自体の、そのパラドボックスの内在宇宙

から相手の精神の影響が及ぼされ……物質粒子などのパラドボックスは、少しずつ動きを変えてしまう

。その結果、僅かな空間や波動関数のブレが折り重なっていき、最終的にマクロな世界にまで影響を及

ぼしてしまう程の力になる……」

「それが……その重力接続子が世界に満ち満ちて、それぞれが連鎖して、宇宙中の他の存在全部に影響

を与えている、と……」

「そういうことよ。それはなんてことないものに見えるかもしれないけど、場合によっては強いパラド

ボックスすらも書き変えてしまう可能性を持つ強大な力となるの。私たちの意思を媒介し、相手のパラ

ドボックスを打ち負かし、破壊したりすることができる。遥かな過去から影響し、今もずっと宇宙を繋

ぐ役割を果たしている……それがＧＮＳなの」

「それもまたエクスタシアを補強する力であって、宇宙の歪みを増大させる力でもある……そういうこ

とですか？なんだかとんでもない話ですね……」

「だけどこれが事実なの。宇宙はあまりにも複雑なシステムを創り、自らの存在を進歩させていく。そ

の副産物となったのがこれね――そう言えば、支倉隼人君の絶対知覚も、この重力接続子通信圏を利用

しているようなものなのよ」

「支倉隼人が？」

唐突に出てきた名前に少し驚く。やっぱり先輩と支倉は面識があったようだ。

「支倉君の絶対知覚と呼ばれた力はね、自分の中のパラドボックスに受信された重力接続子の中から、

新しく受信されたものを過敏に捉え、そこから自分の知覚できるタグを増やす……そういった能力だっ

たのよ。だから光速度でラグ無く情報が届く範囲内では、自分の集中次第で自在に知覚を行えた……手

掛かりさえ掴めれば過去にも遡ることができた。反面、宇宙の遠く遠くまで意識を飛ばすことは出来な

かったのよ。外宇宙から届く意思は感知出来ていたけど、全てを知ることには至らなかった。そのせい

で彼も波動論教に体よく利用されてしまったってわけね」

「それを変えたのは先輩だった、と」

「アハハ、まあ色々あってね。宇宙に意識を飛ばそうとしている彼と出会って、いくらか話をしたの。

彼も自分なりに色々考えて、思い悩んでいたから……」

「僕のこと話したんじゃないでしょうね」

「ハハ、さあね？でも彼は結局自分の正義感に従った。立派なことだと思うよ。彼は……心臓移植を受

けたことで自分の中に別のタグを受け入れることが出来るようになった。そして重力接続子にも敏感に

応対することができる才能があった。だから彼はあんな風になれたのね。一度は利用されていたけど、

結局はその力に溺れずに、自分を貫くことができた。それはとてもいいことだったんじゃないかな」

「そうですね……彼は強く生きていた。今も無事ならいいですけど……」

「うん……そうね」

そう言って先輩は少し黙った。それから、その手でもう一度僕の意識に触れてきた。僕の意識は再び引

っ張られていき、感受出来る景色も光の速さを超えて移り変わって行く。気がつけば、僕の視界の遥か

下に、僕たちが暮らしていた銀河系の姿が映っていた。渦を巻いて循環する星の光と、それを取り巻く

心の光。僕らは二人でそれを見下ろしている。

「綺麗ですね……あれが僕たちの住んでいた世界なんだ。あそこに無数の星々があって、知性を持つ存

在も沢山いる……なんだか不思議だ。僕は少し前まで、この宇宙には結局人間くらいしかまともな知性

を持っているものはいないって……何となく思っていたような気がします」

「そうね。でも仕方ないよ。この宇宙の中に、こんなに無数の意思が存在するなんて……考えるはずな

いものね。でも、それらの意思は互いに何かを奪い合ったり、争ったりしていて……互いに相容れるこ

とも出来ないことばかりで……」

「……それは、とても悲しいことですね――」

煌く銀河の光を見つめる。あそこにも、その遥か外の世界にも、無数の精神たちが存在する。それらは

重力接続子通信によって、自らの利潤を守るために戦っているのだろう。ある時は自らの世界を守るた

め――ある時は自らの野心のために。パラドボックス<マップ>の覇権を握るために――

「……ねえ先輩、争いはまだ続いているんですか？」

「……ええ。まだ全てが終わったわけじゃない。そうね……とても大きな戦いになると思うわ。いずれ

本当の戦いの火蓋が切って落とされる時が来る。今はまだその時じゃないけど……ね」

「そうですか……」

そう言って二人はしばらく黙ったまま眼下に広がる世界を見つめた。それはとても美しいものだったけ

れど、その裏に……無数の糸が絡みついて、世界を揺るがしている。

「先輩……僕らの存在って何なんでしょう。宇宙には沢山の精神が存在するのに、こんな風にお互いを

滅ぼし合ったりして、互いにボロボロになって……本当にこんなことに意味があるんでしょうか。どう

しても避けられない運命だとでも言うんでしょうか……」

その問いに先輩は答えず、ただ僕を見た。少し悲しげな色をした瞳。きっと先輩も同じ気持ちなのだろ

う。それでも彼女は大切な何かを守るために戦おうとしているんだ。それはとても辛い定めで……

「ねえ先輩。今までの話を聞いていて、僕思ったんです。宇宙が新しいパターンを生み出すために輪廻

していると言うなら……逆にいえば、一回ごとの宇宙では、決まった幅のパターンしか生み出せないと

言うこと……それなら僕らの意思は……自由意思は存在するんでしょうか？」

そうだ。僕ら意思持つ存在は、自らの心の力によって何かを考え、模索し、自らの決定を行動する。そ

う思っている……けれど、その実存であるパラドボックスさえも、宇宙の法則が勝手に産み落とした事

象に過ぎない。

「僕らは本当に自分の意思で思考を行っているのでしょうか？宇宙の中に存在する他の全ての情報に突

き動かされて、連鎖反応を行うみたいに精神と言う機構を働かされて――自ら働くのではなく、働かさ

れて、その結果として僕らは何かを考えた気になって、何かを選んだ気になって、その結果に突き動か

されて行動する……それが周りに影響を与えて、また他の誰かを突き動かす……そうじゃないんですか

？たとえ場合の世界があっても、それは結局変わらない……場合の世界は意思なんて関係なく勝手に振

り分けられて、宇宙自身の取り得る幅の中でしか僕らの行動も存在しない……本当は、選択肢なんて存

在しないんじゃないでしょうか。僕らの意思は……実は存在しないも同然なのかもしれない」

この宇宙に自由意思は存在しない……ただ宇宙自身の創り上げた運命が僕らを複雑に操っているだけな

んじゃないか。そう思えて仕方がない。

「それに、宇宙には無数の精神体が存在して……それらはそれぞれ複雑な思惑で世界に干渉している。

重力接続子通信によって自分の意思を刷り込んで、宇宙の向こう側のパラドボックス……誰かの心にさ

えも干渉してしまう。だったら、ジオシンメトライザーがそうしていたみたいに、僕らの意思も……そ

の人生も、何かを大切に思う心さえも、全て操られているだけなのかもしれない……他の誰かや、無数

の宇宙精神体や、宇宙そのものの意思にさえも……操り人形みたいに、無数の糸に動かされて――宇宙

に争いが起こり続けることも、僕らが大切なものを失ってしまったことさえも……全て勝手に定められ

たことに過ぎないのかもしれない……だったら僕らは……僕らの存在って……その意味って――」

「修一君……」

先輩は僕の意識に正面から向き合って、僕を見る。その瞳に少し悲しげな色を湛えたまま、どこか寂し

げに……それでも綺麗な微笑みを浮かべた。

「修一君、あなたならきっとその事に気付くと思ってたよ。私が全てを話してしまえば、きっとあなた

は理解してしまう……最初からそう思ってた。だけど、それでも私はあなたに全てを伝えたかった――

私の存在を生かしてくれた人――誰より可愛い、私の後輩に……」

「……先輩――」

先輩は胸に手を当てて優しげに笑う。その向こうに、無限大に広がり続ける星々の世界がある。先輩が

手振りで導くと、視界が開けて宇宙の全てが見渡せるような……宇宙に存在する全ての輝きが、美しい

光が見えるような気がした。

「そう……あなたの言う通りよ。この宇宙には、人が感じ取ろうと感じ取れまいと、無数の意思が存在

して、それぞれが自分の思うように生きて……何かを手に入れようとしたり、自分を保つためにせめぎ

合ったりして、他の何かを突き動かすみたいに生き続けている……でもね、それって人間の社会だけを

見ても同じことじゃないかな。この世界のあらゆるものは、自分が気付こうと気付くまいと、色んな人

が関わって、色んな人が頑張って……そうして何かを守ろうとしたり、生み出そうとしたり……懸命に

生きた結果として、色んなものが創られていくの。食べ物だって、建物だって、様々な便利な道具も、

社会のシステムも、そして新しく生まれる子供の命さえも……そこには無数の誰かの意思が宿っていて

、それぞれが自分にとって大切な何かだったはず……でも、みんなそれを知ることもないまま、目の前

にあるものを当たり前のように受け流してしまう……」

星々が輝く。無限に溢れる宇宙の精神たちもまた、それぞれに輝いて生きようとしているのだろうか。

僕たち人間も、そうやって懸命に生きて、それぞれの輝きを宿そうとしていた。その結果争いが起きる

こともあった。傷ついたり、身勝手に押し流されることもあった。それはみんな同じことだったのかも

しれない。

「不思議だよね。選択肢なんて無いのかもしれない。他の誰かの影響を受けて、連鎖反応として自分が

突き動かされているだけなのかもしれない。だけどそれを理解することなんて出来ないわ。だから本当

に大切なのは、そういうことじゃないの。自由意思なんて無いかもしれない。それでも、自分が選んだ

と思えることは、自分にとって大切なものだったはずよ。だからね、パラドボックスがどうこうなんて

本当は関係ないの。自分が選択したと思ったことに満足できればそれでいいの。そう――自分をもっと

信じていられれば……そうやって幸せになれればそれでいいの」

ああ、そうか。そうだったんだ。選択肢があるかどうかなんて問題じゃなかったんだ。本当は――自分

が少しでも納得できる方向に進んでいこうと思えること……その結果どうなろうと、自分の思いを、そ

の正しさを本当に信じることが出来れば……少しでも幸せに思えれば、この世界に生まれた意味はきっ

と存在するんだ。きっとそういうことなんだろう。精一杯生きて、抗って、最後まで自分の行動に悔い

ることなくいられれば、それで良かったんだ――

先輩が僕を見る。彼女もまた、そのために戦い続けているんだ。自分自身に悔いることの無いように、

ずっと戦い続けてるんだろう――

「修一君……私はこのことをあなたに伝えたかったの。たとえこの先何があったとしても……あなたは

自分自身が満足できるようにあってほしい。自分を信じて、より良い未来を選べるように……それを忘

れないで。本当に全てを決めるものが何であっても、決めようと思うのは、あなた自身だと言うことを

――」

僕は頷く。４年前、僕らが高校の廃部室で出会って以来、僕らは色んな話をした。それは取りとめもな

い話だったり、くだらないことばかりだったかもしれない。それでも先輩はいつだって僕に何かをくれ

た。それは世界の真実とかそんなものよりも、もっともっと大事なことばかりだった。今だってそうだ

。そうやって彼女は僕の心を塗り替えてくれる。気がつけば僕は笑っていた。感謝の気持ちがあふれて

胸がいっぱいになる。だから、出来るだけ強く……僕は先輩の心に応えようと思った。

「わかりましたよ、先輩。この先どんなことがあっても……僕はきっと忘れない。先輩はいつも大切な

ことを教えてくれた。いつだって僕の心を変えてくれた……本当にありがとう……先輩――」

先輩はニッコリと笑って僕の頬に触れる。

「ふふ、それでこそ私の可愛い後輩君だね。修一君……」

僕らは笑いながら向き合った。先輩と二人で分かち合った時間……いつの日か手に入れて、いつの日か

失ってしまった穏やかな時間がここにあった。それでも――いずれこの時間も掻き消えて、この宇宙を

舞台に大きな戦いが始まる。その時僕はどうするだろう。僕に何が出来るだろう。出来れば力になりた

かった。戦いに行く先輩をただ見送りたくはなかった。そう思って先輩を見つめる。先輩は僕の意図に

気付いたみたいに、笑い返す。だけどそれはどこか寂しい笑いだった。それはたぶん拒絶されたわけじ

ゃないのだろうけど、それでも先輩は一人で行くつもりなんだ、と何故か理解出来てしまう。

そして、先輩の手が僕の意識の内側に滑り込んでくる。またも視界が移り変わって、宇宙の中を意識が

すり抜けていく。僕は留まることなく落ちていき、やがて僕らが暮らしていた銀河系の内側へと入り込

んでいく。その遥か先に存在するのは、あの惑星……僕らの故郷である青い星だった。

意識が地球に戻って行く中で、先輩の声だけが聞こえてくる。

「修一君……覚えていて。宇宙は何度も滅んで、生まれて、また滅んでいく……だけど、私たちの思い

は、心は決して無駄にはならない。私たちの意思は――強い意思は、宇宙自体のパラドボックスに記録

される。宇宙が何度輪廻を繰り返しても、そのたび世界が姿を変えていっても……人の意思は決して無

駄にはならない。きっと……きっと何かが残っていく……たとえ全てが滅びてしまったとしても、消え

去りはしないものがある。だから人は最後の時まで懸命に生きていられるの」

気がつけば先輩の魂が遠く遠くへ感じられる。僕の魂は地球へ向かって落ちていく。銀河を横切り、懐

かしい僕らの太陽が見えてくる。

「だけどあなたはまだそれを全うしたわけじゃない。あなたはまだ死んでいない。まだやるべきことが

残っているはずよ――」

「先輩、それはどういう――」

先輩の声が意識の中に響きながら、僕は地球に引かれていく。意識が肉体から抜け出た時とは逆に……

地球の磁場に入り込み、重力に引かれるように大気圏へ突入する。

「さあ、戻って。あなたの本当に大切な人――あの娘の下へ……」

先輩の声が途絶える。意識が地表を見下ろす。世界中の文明が滅び、荒れ果てた街の跡を残すだけの地

上の景色が見える。僕はそのまま落ちて行き……最後に見えたものは、ベッドの上に寝かされた僕自身

の肉体だった。

開いていた箱の中に自分自身の魂が入り込み、その蓋が閉じられる。意識はブラックアウトし、自分自

身の生命の檻の中に囚われた。

僕は戻ってきた。死んだはずだったのに、また再び戻ってきたのだ。……それは何のために？誰のため

に？

先輩は言っていた。

僕の本当に大切な人……それが誰なのか、なんて……そんなの、最初からわかりきってる。