Victo-Epeso’s diary

THE 科学究極 個人徹萼 [CherinosBorges Tell‘A‘Bout] ノーベルノークスクラム賞狙い 右上Profileより特記事項アリ〼 何かあったらコメント欄よりお便り待ってマス

クロイツフェルトの森の中

槇島草太でした、当時、かつての父、2012年俺がノートPC

(自己研究・自己創作漫画ネタメモノート含む)投げ込んだ辺りにいて、

教員の方していたんですね。大崎──品川ラインでご夫妻ともに??

 

あ──、研究職の方も強かったはずだ、こりゃあ思った以上に

影響力有り得るっちゃあ有り得るワケだ。直感で投げ込みに行ったのだが。

 

閉じたままの自己研究じゃあなんの波及も有り得ないもの。

記憶を頼りに……なんとなく最善の出口を本能的に

見つけようとしていたんだろうか。

 

てんぷるに来る、数学πの話を投げたくなる

 

あの時自己研究ノートが全力解析され除染関係に

何らか役立てられた可能性があったのだという……。

 

しかも、独自の理論に何らかの出口が見つけられたのだという。

前々からの研究論文みたいなものが掘られて俺自身の過去の独自色高い

科学技術が糸口見つけられ、技術提携含めてなんらかの、さまざまな形

分野方面での技術大使的な存在として間接的に役立っていたのだという!!

 

俺こそが本物の日本の救世主だったという……、

しかし、その代わりにALPS水飲めや的課題を

前々にやり込まれ死にかける日があったのだという……。

 

16~17の時、高2だろうな。

 

めっちゃ左目デロデロになって充血し表層皮膜ボツりかけたし

耳たぶとか、足とか、身体中色んなところに変なイボが出来て、

物理的にグチュグチュ潰して回るために自傷癖か疑われるレベルの

身体ガシガシ掻きむしりが必要だったという……、このお陰か色々と

色々な事が捗らなくなった時期があったのだという……。

 

でも、眼からウロコ方で最終的に意外となんとかなった

ガイの者だったという……。当時から埒外化しかけていたのだ。

 

下下下になりかけてなんやかんや眼が落ちない

キ○ローみたいな扱いに一部、なってしまった男

 

俺自身が割とそういう方だったという扱いを受ける界隈も、

一部あったのだろう、という……。眼砕嫌!だったのだという……。

 

いちおうは